光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
237 / 1,060
第六章 葛藤

24話

しおりを挟む
「翠葉、入るわよー?」
 湊先生の声が聞こえてすぐにドアが開いた。
「夕飯のスープと点滴」
 湊先生の後ろには蒼兄もいて、なんとなくほっとする。
「あんた、そんなわかりやすくほっとした顔してるんじゃないわよ」
「あ……ごめんなさい」
 先生はてきぱきと点滴の用意をする。
 一日中横になっていることもあり、血圧が低すぎるということもなく一発で針は刺さった。
「三時間くらいで落とすから」
 と、滴下の調節をする。
「先生、ずっと不思議に思っていたんですけど……」
「何?」
「この点滴スタンド、どこから持ってきたんですか?」
「うちからよ?」
 湊先生はなんでもないことのように話す。
「病院からじゃなくて、家から……?」
「具合悪くなっても病院に来ないバカがいるからねぇ……」
「……バカ、ですか?」
「そう、秋斗よ。熱なら寝てれば治るとか言って、たいていは来ない。で、何も食べず薬も飲まずに寝てるていたらく。挙句、寝たきりにも我慢できなくて仕事しようとするから見るに見かねて点滴と薬の処方だけはしてあげるの。本当にどうしようもない……」
 散々な言われようだけど、湊先生の最後の一言には優しさと愛情が感じられた。
「だから、元気になったらまた料理でも作ってやんなさい」
「……その前に謝らなくちゃ」
「そうね、それでいいのよ。悪いことや間違えたことをしたら謝る。人間関係、それでなんとかなっちゃうものよ」
 どこか諭されるように言われ、
「だから、あんたはもっと思ってることを口にしなさい」
 私はそんなに思ってることを口にしていないのだろうか……。
 自覚していないだけに、努力する以前に意識することがとても難しいように思える。
 そこへ栞さんが入ってきた。
「翠葉ちゃん、スープもあるけどこれもあるの」
 見せられたのはプリン。それもただのプリンではなく、季節の果物が宝石のように飾られていてとてもかわいいプリン。
「今日、秋斗くんがアンダンテで買ってきてくれたプリンなんだけど、どっちを食べる? スープは明日でも大丈夫だけど、プリンは果物が乗っているから今日食べたほうがいいかもしれないわ」
「選ぶ余地なんてないじゃない。翠葉、プリン食べなさい」
 湊先生言われてスープは却下となった。
「でも、まだお礼言ってない……」
 デスクの椅子に腰掛け会話には参加していなかった蒼兄が、
「秋斗先輩、まだリビングにいるから呼ぼうか?」
 言われて少し考えてしまう。
「でも、まだ夕飯食べてる最中か……。湊さん、それ俺が食べさせますから夕飯食べてきてください」
「じゃ、あとはあんたに任せるわ」
 と、栞さんとふたり部屋を出ていった。
 蒼兄がベッドサイドまで来ると、
「翠葉、言葉を選びすぎるのも良くないぞ」
「え……?」
「まずは謝ることが先決だろ? そのあとのことはそのあとに考えればいいんだよ」
 と、口元に運ばれてきたメロンを口にする。
「……甘い」
「良かったな」
 木苺は甘酸っぱくて、夏みかんはそれとは違う甘酸っぱさだった。ミントの葉は口の中をサッパリとさせてくれる。
「美味しい……」
 頬が緩むのが自分でもわかった。
「……やっぱ先輩呼んでくるよ。これを食べてるときはそういう顔できるだろ?」
「えっ!?」
 蒼兄はにこりと笑って部屋から出ていってしまった。
「……どうしよう――」
 違う、どうしようじゃなくて謝らなくちゃ……。
 謝るときの言葉は全国共通ごめんなさい、だ。
 でも、ごめんなさいの理由も話さなくちゃいけないだろうか……。
 数分もせずに蒼兄が秋斗さんを連れて戻ってきた。
「そ、蒼兄っ、ひとつだけ教えてほしいっ」
「何?」
「あのっ、謝るときって、横になったままでも失礼じゃないっ!?」
 沈黙の間が一瞬。直後、蒼兄と秋斗さんは笑い出した。
 ……どうして、笑うの?
「翠葉ちゃん、ちょっと訊きたいんだけど、何がどうしてそういう質問だったのかな?」
 秋斗さんに尋ねられる。
「だって……ごめんなさいとお辞儀はセットでしょう?」
「くっ、そういうことか……」
 と、またおかしそうに笑いだす。
 どうして笑われているのかがわからなくて困る。
 尋ね先の蒼兄は壁に縋って笑っているのだからひどい……。
「どうしてこんなに笑われなくちゃいけないの?」
 私に背を向けている蒼兄に訊くと、蒼兄ではなく秋斗さんが答えてくれた。
「ちょっと俺たちにはツボだったんだ」
 そこへ笑いが少し引いたらしい蒼兄がメガネを外し、涙を拭きながらやってきた。
「翠葉、今は身体起こせないだろう? 身体が起こせるようになるのを待っていたら当分は謝れなくなっちゃうよ。それに、先輩は翠葉の状態を知っているわけだから、お辞儀がセットじゃなくても問題ないよ。確かにうちでは人と話すときは人の目を見て、とか、謝るときは頭を下げて心から謝るって躾けられているけれど、すべてがその限りじゃないよ」
「そうなの……?」
「そう。先輩がね、翠葉にプリン食べさせたいって言うから、俺はあっちにいるよ」
「え……!?」
「大丈夫だよ。もう一度、ちゃんと話してみな」
 蒼兄がこの場からいなくなってしまうことを心細く思っていると、
「翠葉ちゃん、もう一度話をしよう」
 私を覗き込む顔は怖いものではなく、気づけば私は「はい」と答えていた。

 蒼兄が部屋を出ていくと、ドアは閉められ部屋にふたりになる。
「プリンは冷たいほうが美味しいと思うんだ。だから、まずはこれを食べるのが先決ね」
 と、ゼリーのときと同じように、少しずつ口へスプーンを運んでくれた。
「美味しい?」
「はい」
「でも、やっぱり俺だと緊張しちゃうんだね。蒼樹がさ、アンダンテのものを食べてるときは緊張ほぐれるだろうから、って言ってたんだけど……」
「……だって、蒼兄は慣れてるけど、秋斗さんに食べさせてもらうのは今日が初めてだもの……」
「そっか……じゃ、何度も食べさせて慣れてもらうしかないね」
 そう返されるとは思っていなくて返答に詰まる。
 秋斗さんはそんな私を見てクスクスと笑う。けれども、口へ運ぶ手を緩めることはなかった。
 プリンを食べ終えると、
「もう一度訊くね。さっき聞かせてくれた理由も、俺を振ったときに言った理由も、全部本音?」
 断わったときに話したことは本心だった。今だって、こんな状態の自分を見られたいわけじゃない。
 それに、痛みがひどくなって余裕がなくなれば人への配慮なんてできなくなる。それこそ、好きな人には近くにいてほしくない。
 それは大好きな家族だって例外ではないのだ。
 今日のは……本音かと言われれば本音だ。
 雅さんに言われなければ考えもしなかったことだけれど、知ってしまったら考えずにはいられなかった。考えたら、どうしたらいいのかわからなくなるほどに不安になった。
 ――これを話せばいいのかな。
 さっき栞さんに言われたこと。
 答えを出すまでの過程をきちんと相手に伝えなくちゃいけないというのは、こういうこと……?
 ならば話してみよう。
「……雅さんに会わなければ難しいことは考えなかったかもしれません。でも、知ってしまったら聞かなかったことにはできなかったし、考えずにはいられなかった。……すごく不安になりました」
「うん」
「でも、断わったときにお話ししたことは本心です。こんな状態の私は見られなくないです。見てほしくないです……。でも、どうしてか側にいてほしいと思う気持ちもあって、自分の気持ちなのに上手に折り合いがつけられない――」
「……そうだったんだね」
 秋斗さんは何を言うでもなく、私の話す言葉に耳を傾け受け止めてくれている気がした。
 でも、まだ私は伝えなくちゃいけないことを伝えてない。
「――さっきはひどいことを言ってしまってごめんなさい」
 秋斗さんはプリンのカップをサイドテーブルに置くと、私を真正面から見るようにベッドに腰掛ける。
「それは自分以外の人を俺に勧めたこと?」
「はい……」
「……俺も謝らせてね」
「え……?」
 秋斗さんは何も悪いことなんてしてないのに、どうして……?
「俺はさ、蒼樹みたいに上手に説明することができなくて、すごくイラついてたんだ。翠葉ちゃんが不安になっているのはわかっていたのに……」
 そんなの、秋斗さんは全然悪くない。なのに、「だから、ごめん」と謝られた。
「あのっ、それは秋斗さん悪くなくて、私が無知なだけで――」
 どう言葉を続けたらいいのかがわからなかった。
「翠葉ちゃん、俺はそういう部分も含めて君を好きになったんだよ」
 自分を丸ごと包み込むような眼差しや言葉に泣きたくなる。
「翠葉ちゃん、ちゃんと聞いてて?」
 前置きをされて少し身をかまえる。と、
「俺は……身体が起こせなくなるほど体調の悪い翠葉ちゃんも鈍感な翠葉ちゃんも、美味しい料理を作ってくれる翠葉ちゃんも、アンダンテのタルトが好きな翠葉ちゃんも、森林浴が好きな翠葉ちゃんも、カメラを持つと時間を忘れちゃう翠葉ちゃんも、俺の言葉に一挙一動してくれる翠葉ちゃんも、どんな翠葉ちゃんも好きなんだ」
 絶句していると、
「まだほかにもある。光を嬉しそうに見る翠葉ちゃんとか、髪の毛がきれいな翠葉ちゃんとか、無防備すぎる翠葉ちゃんとか、藤山で甘えてくれた翠葉ちゃんとか、いつも自分の身体と闘っている翠葉ちゃんとか――」
「それ以上言わないでくださいっ……」
 聞いていて恥ずかしくなって、途中で口を挟んだ。
 寝ていると髪の毛で顔を隠せないから困る。だから、手で顔を覆った。
「これだけ伝えればわかってもらえる?」
 秋斗さんに両手を取られ、
「もう一度言うよ。……少しでも俺が好きなら俺の側にいてくれない?」
 至近距離で目を合わせられる。
 その目は怖い目ではなく、とても真っ直ぐで誠実な目だった。
「――あの、ひとつだけ訂正してもいいですか?」
「……何?」
「……少し、じゃなくて……すごく、です」
「……え?」
 取られた手を必死で顔に寄せる。
「少しじゃなくてすごくって……それにかかる言葉は『好き』でいいのかな?」
 恥ずかしくて、目を瞑ったままコクリと頷く。
 どうしよう……。顔が熱い。間違いなく赤面している――
「じゃぁ、さっきのお詫びもらってもいい?」
 訊かれて、なんのことだろう、と思う。
 すると、身体の両脇のマットが沈む感覚があって、目を開けるとすぐ近くに秋斗さんの顔があった。
「目、閉じて?」
 言われて目を閉じる。と、次の瞬間には唇に生あたたかい感触が降ってきた。
 それはすぐに離れる。
 びっくりして目を開けると、
「仲直りのキスね」
 穏やかに笑う秋斗さんがいた。
 顔に火がついたかのように熱い。
「翠葉ちゃん、もう『NO』とは言わせないよ。今から君は俺の彼女、恋人だからね」
 満面の笑みで言われた。
 彼女、恋人――本当に……?
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

俺の家には学校一の美少女がいる!

ながしょー
青春
※少しですが改稿したものを新しく公開しました。主人公の名前や所々変えています。今後たぶん話が変わっていきます。 今年、入学したばかりの4月。 両親は海外出張のため何年か家を空けることになった。 そのさい、親父からは「同僚にも同い年の女の子がいて、家で一人で留守番させるのは危ないから」ということで一人の女の子と一緒に住むことになった。 その美少女は学校一のモテる女の子。 この先、どうなってしまうのか!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

FRIENDS

緒方宗谷
青春
身体障がい者の女子高生 成瀬菜緒が、命を燃やし、一生懸命に生きて、青春を手にするまでの物語。 書籍化を目指しています。(出版申請の制度を利用して) 初版の印税は全て、障がい者を支援するNPO法人に寄付します。 スコアも廃止にならない限り最終話公開日までの分を寄付しますので、 ぜひお気に入り登録をして読んでください。 90万文字を超える長編なので、気長にお付き合いください。 よろしくお願いします。 ※この物語はフィクションです。 実在の人物、団体、イベント、地域などとは一切関係ありません。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...