光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
229 / 1,060
第六章 葛藤

16話

しおりを挟む
 車に乗ると、私はすぐに寝てしまったらしい。気づいたときにはすでにゲストルームの一室で横になっていた。
 ぼーっとする頭で考える。
 車に乗ったあとの記憶が見事にない。
 気持ち悪くて、そのまま寝てしまったのか気を失ってしまったのかは定かではない。
 きっと栞さんと蒼兄は知っているだろう。
「あとで訊こう……」
 外の光で今が夕方であることも、まだ夜になりきっていないこともわかる。けど、何時かまではわからない。
 窓から視線をずらして横を向くと、頭から二十センチほど離れたところに自分の携帯がお行儀よく鎮座していた。それに手を伸ばしディスプレイを見ると、六時五十分と表示されている。
「七時前……」
 家の奥から話し声が聞こえる気がした。
 耳を澄ましても何を話しているのかまではわからなくて、声のトーンが違うことから何人か人がいることだけはうかがえる。
 そういえば、秋斗さんと若槻さんが来ると言っていた。もしかしたらもう来ているのかもしれない。
 そんなことを考えていると、部屋のドアが控え目にノックされた。
「はい」
「入ってもいいかな?」
 ……秋斗、さん?
「翠葉、入るよ?」
 蒼兄の声が追加され、すぐにドアが開いた。
 蒼兄は部屋の照明を点けて入ってくる。その後ろには秋斗さんと若槻さんがいた。
「パソコンの設定をするから翠葉ちゃんのパソコンちょっといじるね」
 秋斗さんの手には私のノートパソコンがあった。
「お願いします……」
 蒼兄と秋斗さんが入ってきたものの、若槻さんは入ってこない。
「若槻くん?」
 蒼兄が声をかけるも、若槻さんは廊下に立ったままだ。
 今日はジーパンにTシャツというとてもラフな格好だからか、余計に若く見える気がした。
 制服を着せたら高校生で通ってしまいそうだ。
「若槻」
 秋斗さんが声をかけると、ようやく我に返ったようだった。
 でも、若槻さんに凝視されていた対象は私――
 部屋に入ってこない原因は私にある気がした。
 今も私から視線を逸らさずにじっと見られている。
 顔色が悪いから? それとも痩せたから? それとも、横になっていて起きないから?
「あー……俺、あっちの設定確認してきます」
 と踵を返すあたり、この部屋に入れない理由があるのは確かだった。
「蒼兄……私、何か悪いことしちゃったかな」
 口にすると、蒼兄ではなく秋斗さんが間髪容れずに「違うよ」と否定した。
「でも……」
「……若槻はね、妹さんを亡くしてるんだ」
 その言葉に、私も蒼兄も息を呑むことしかできなかった。
「まだ、そのときの衝撃から抜け出せないでいる。だから、翠葉ちゃんが何かをしてしまったとかそういうことじゃないんだよ」
 それならこんな場所には連れてこないほうが良かったんじゃないの……?
「翠葉ちゃん、若槻にはリハビリの場と時間が必要なんだ。それをわかったうえで静さんもここに来させたはずだから、君がそんな顔をする必要はないよ」
 秋斗さんは言いながらベッドサイドまで来る。
「だから泣かないで」
 と頬に秋斗さんの親指が触れ、自分が泣いていることに気づいた。
「俺、ちょっと若槻くんの様子見てきます」
 蒼兄は若槻さんのあとを追うように部屋を出た。
 私は蒼兄の背中を見送り、それでもまだ廊下から視線を剥がすことができずにいた。
「若槻が気になる?」
 視線を秋斗さんに戻して、
「はい」
「あいつね、頭はいいんだけど精神面がまだガタガタなんだ。だから、悪いんだけど少しの間リハビリさせてやってくれないかな?」
「でも、若槻さんは私を見たとき、とても苦しそうな顔をしてました」
「うん……つらいと思うよ。あいつの中では妹ってものすごくネックになってるものらしいから」
「それなら――」
「翠葉ちゃん……人間ってさ、つらくても乗り越えなくちゃいけないものがあると思うんだよね。あいつにとってのそれはこれなんだ」
 秋斗さんも廊下へと視線を向ける。
 きっと秋斗さんも若槻さんを心配しているのだろう。
「たぶんね、妹さんと翠葉ちゃんを重ねたんだと思う。妹さんが亡くなった年と翠葉ちゃんの年が同じだから」
「っ!?」
「翠葉ちゃん、落ち着いて? 若槻が翠葉ちゃんと普通に話せるようになればクリアできたと考えてもいいと思うんだ。あんな顔であんな態度を見せる若槻を目の当たりにするのは君もつらいと思う。でも、俺たちと一緒に若槻の支えになってもらえないかな? どうしても翠葉ちゃんが必要なんだ」
 私が、必要……?
 私を見てあんなにつらそうなのに、私が支えになれるの? 傷口を抉るだけではないの?
「大丈夫だよ。若槻は今のままじゃないから。……絶対に這い上がってくる」
 確信というよりは、それを願っている人の声だった。
「……私にできることがあるのなら――」
「翠葉ちゃんはいつもどおりでいいんだ」
 秋斗さんは優しい笑顔をくれた。
 そのままデスクに座るとノートパソコンを開く。
「蒼兄のパソコンの設定は終わったんですか?」
「終わったよ。ここにいる間は藤宮のメインコンピューターを経由して連動させることにしたから。問題なく使えるはず。問題が起きてもすぐに若槻が対応できる」
「お手数をおかけしてすみません……」
 秋斗さんはデスクに向けていた身体をこちらに向けた。
「迷惑でも面倒でもないよ。若槻がこの仕事を静さんから請けていたから、俺は自分で考えるより早く翠葉ちゃんに会いに来ることができたんだ」
 秋斗さんはクスリ、と笑う。
「あのあと、ちょっと揺さぶりをかけようと思って、翠葉ちゃんと距離を置くつもりだったんだけど……」
「……揺さぶり、ですか?」
「そう。だって、翠葉ちゃんは俺のことが好きでしょう? だから、少し会わなかったら会いたくなって会いに来てくれるかな、と思って」
 クスクスと笑いながら言う秋斗さんに愕然とする。
「でも、実際には俺が無理だった。相変わらず君のバイタルは気になるし、保健室かと思えば湊ちゃんに確認を取らずにはいられない。お昼ご飯食べられてるかな、シュークリームなら食べられるかな――何をしていても君が気になって仕方ないんだ」
 真っ直ぐに向けてくる視線に私は捕らわれた。
「そんな状態じゃ仕事にも手が付かない。だからね、会いたくなったら会いに行くことにした」
 私が何も言えないでいると、
「若槻のことが気になるから来たっていうのもあるんだけど、そっちはついでかな?」
 秋斗さんは小気味いいくらいにクスクスと笑って肩を竦める。
 すると廊下から声がした。
「秋斗さん、相変らず人をダシに使うのがうますぎます」
 その声は若槻さんのもので、若槻さんの後ろには呆れ顔の蒼兄が立っていた。
 恐る恐る若槻さんに視線を戻すと、若槻さんはじっと私を見ていた。
 部屋に一歩足を踏み入れて、
「お姫さん、ごめんね……」
 ばつの悪い顔で謝られる。
「いえっ、あのっ――私こそごめんなさい」
「っつか、お姫さん悪いことしてないじゃん。俺が勝手に動揺してるだけだから」
 そこまで言うと、若槻さんは深呼吸をした。
「申し訳ないのですが、慣れるまでちょこっとリハビリさせてください」
 ペコ、と腰からきっちりと頭を下げられ、その行動に驚いた私は思わず身体を起こしてしまう。
「翠葉っ」
 蒼兄の声が聞こえたけれど、すぐに私に手を差し伸べてくれたのは若槻さんだった。
「お姫さん、こういうのは勘弁……」
 額に汗を滲ませて言う。
「すみません……」
「……本当はさ、妹にもこうしてあげられたら良かったんだけど――」
 若槻さんの目は私を見ているけれど見ていない。きっと、妹さんのことを見ている目だ。
「こうやって手を差し伸べることすらしなかったんだ」
 そのあとには思いもしないことを言われる。
「お姫さん、悪いんだけどしばらく俺の妹になってくんないかな?」
「……私が妹さん、ですか?」
「そう、少しの間だけ。うん、俺が満足するまでというか、やってやりたいと思っていたことをすべてやり尽くすまで」
 思わず蒼兄を仰ぎ見る。
 すると、真一文字に口を引き結んだ蒼兄が、「聞いてあげな」と言うように大きく一度頷いた。
「私を見ていてつらくないですか?」
「つらいよ。……でもさ、逃げてばかりもいられないみたい」
 秋斗さんの言ったとおりだと思った。そこで躓いているだけの人じゃない。ちゃんと乗り越えようとしているんだ……。
「今回はオーナーと秋斗さんに嵌められた感満載……。俺、お姫さんが身体弱いなんて聞いてないし、引越しだって打ち合わせの都合上だと思ってた。今日だって、軽くパソコン設定出張サービスくらいに思ってたのにさ」
 と、愚痴たれる。
「すっごくわかりづらくて紆余曲解しそうになること多々なんだけど、でもこの人たち俺のことかなりちゃんと考えててくれるみたいだから。このままいるわけにもいかないんだよね」
 嫌そうに話すのに感謝しているのがきちんと伝わってくる。
「……かしこまりました。でも、その『お姫さん』はどうにかしてください」
「どうにか、ねぇ……」
 若槻さんは宙を見ながら首を傾げる。
「スゥ、よりはリィ、だよなぁ……」
「はい?」
「うん、リィって呼んでもいい?」
「あの、それどこから出てきたんでしょう?」
「リメラルドの超簡易バージョン」
 それで納得した。「スゥ」は翠葉の超簡易バージョンなのだろう。どちらにしても、そうそう思いつく呼び名ではない気がする。
「だめ?」
 かわいい顔で訊かれると困る。男の人なのにかわいいってなんだろう……。
 初めての感覚に心がくすぐったくなる。
「私、最近めっきりと呼び名が増えまして、反応できるか怪しい限りなんですけれども、努力はしてみます」
 答えると、若槻さんとふたりでクスリと笑った。
 なんとなく内緒話をしている気分。
「若槻、翠葉ちゃんに手ぇ出したら締めるよ?」
 秋斗さんがにこりと笑みを浮かべる。と、
「どっちがですか。俺も今となっては彼女の兄貴分なんで、秋斗さんがリィに変なことしたら許しませんよ?」
 若槻さんもきれいににこりと笑みを返す。
「……これは思わぬところで味方ゲットかな?」
 言いながら、蒼兄は肩を震わせて笑っていた。
 そんな状況がおかしくてクスクスと笑う。
「翠葉ちゃんまで笑うなんてひどいな」
 言いながら、秋斗さんも笑っていた。
 そうだ……私はこういうふうに話したいと思っていただけなの。普通に、みんなで一緒に楽しく話をしたり笑ったり――そういうのを望んでいただけ。
 なんだ、ちゃんとできてる。私、大丈夫だ。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

俺の家には学校一の美少女がいる!

ながしょー
青春
※少しですが改稿したものを新しく公開しました。主人公の名前や所々変えています。今後たぶん話が変わっていきます。 今年、入学したばかりの4月。 両親は海外出張のため何年か家を空けることになった。 そのさい、親父からは「同僚にも同い年の女の子がいて、家で一人で留守番させるのは危ないから」ということで一人の女の子と一緒に住むことになった。 その美少女は学校一のモテる女の子。 この先、どうなってしまうのか!?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...