光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
上 下
228 / 1,060
第六章 葛藤

15話

しおりを挟む
 二時前には家に着き、三時半には必要なものをすべてバッグに詰め終わった。
 洋服はたたんで入れられるものはバッグに入れ、ハンガーにかかっていたものはそのままハンガーにかけられた状態で一時掛けしてある。
 引越し業者さんが来ると、ハンガーにかかった状態でボックスに詰めてくれるらしい。
 私にとっては初めての引越し作業。
 実質的には間借りするだけで、本当の意味での引越しではないけれど――
 このフロアハープは、家に届いてから一度もこの家を出たことはない。
「あなたも私と同じね……」
 ハープの高さは一四〇センチ、重さは十六キロもある。
 この部屋ができるまでは二階のピアノが置いてあるスペースに置いてあった。この部屋ができてから、私と一緒に二階から下りてきた子。
 少し考える。この部屋からフロアハープがなくなったら、と。
 部屋の中央に置いてあるフロアハープがなくなると、三畳ほどのスペースがぽっかりと空く。 
 ただハープがなくなるだけなのに、寒々しい部屋に思えた。
「翠葉ちゃん、こちらはどうされるのですか?」
 声をかけられてそちらを見る。と、高崎さんが「こちら」と言ったのは、この部屋に置いてある観葉植物だった。
「あ……置いていきたくはないんですけど――」
 でも、持っていったとして、私が世話をしてあげられる余裕はない。
「ならばお持ちしましょう」
 高崎さんが優しく微笑む。
「でも、世話をしてあげられるかはわからなくて――」
「それなら高崎くんにフォローしてもらいましょう」
 栞さんが最後のアイテムをバッグに詰めながら話に混ざる。
「これでおしまい! 。葵くん、これも車に積んでね」
 高崎さんが戻ってくると、
「私はあの敷地内にある植物の管理係でもあるんですよ。住民からのご要望がございましたら、ご自宅の植物もお世話させていただいております」
「彼、優秀よ? 意外とずさんな秋斗くんの家のベンジャミンやポトスが元気なのも、静兄様の家の植物が元気なのも、彼が世話をしてくれるからほかならないわ」
 あ――確かに、お部屋においてある植物にはホコリすらかぶってはいなかった。それが示すところは、きちんと定期的に葉っぱを拭いてもらえているということになる。
 でも、単なる間借りの身なのにそこまでしてもらっていいものなのか――
 かといって、ここに置いていくのも気が引ける。
 ずっと一緒に過ごしてきた子たちなのだ。私がつらい時期も何もかもを見てきてくれた子たち。
「翠葉、甘えちゃいな。葵ってさ、俺が知る中では唯一翠葉と対を張れるくらいの緑バカだから」
 いつの間にか蒼兄がドア口に立っていた。
「緑バカって……蒼樹、おまえ少し口が悪くなったんじゃないか?」
「……『俺、やっぱり樹木師になる』って書置き残して音信不通、行方不明になる友人にはこんな対応で十分だ」
「あ、悪ぃ……。あのあと、とある樹木師に弟子入りして山中入ったら携帯つながらなくなっちゃってさ。そのまま放置してたら携帯どっかにいっちゃったんだ。あのとき使ってた携帯はお姉名義だったこともあって、いい機会だから解約してもらったんだよ」
 蒼兄にとっては空白の数年間を、高崎さんはカラッと話して埋めていく。
「で、一年前に土を探しにやってきたお姉と山でバッタリ鉢合わせてそのまま強制送還食らって戻ってきた。それからは園芸店と花屋、植物リース会社でアルバイトしつつ、インテリアコーディネーター、園芸装飾技能士、フラワー装飾技能士の資格を取って、今じゃ華麗なるグリーンコーディネーターに転身?」
 ものすごく行き当たりばったりな気がするのに、まともな人生を歩んでいるように思えるのはどうしてだろう……。
 内容が濃いから、かな……。
「っていうか、葵が携帯なくした時点で俺たち連絡の取りようがないじゃん」
 蒼兄が呆れたように口にした。
「……あ、本当だ。でも、たぶんどっかで会えると思ってたし」
「葵のその楽天的な考えは全然変わらないな」
 蒼兄は呆れた表情のままに、仕方ないな、って感じで笑った。
「それがどうしてうちのコンシェルジュになったの?」
 当たり前に浮かぶ疑問を栞さんが尋ねると、
「グリーンのリース会社がウィステリアホテルに出入りしてまして、そのときにオーナーに捕獲されました。自分、植物に携われるのなら職場はどこでもかまわなかったので……。そしたらホテルでも姉にばったり出くわしまして、俺を雇うならこのマンションにしてくださいって、姉がオーナーに直談判したみたいです」
「なんでまた」
 蒼兄が訊くと、
「お姉、娘がいるんだよ。今年初等部に上がったばかりなんだけど。シングルマザーだから、子どもを預ける場所が欲しかったみたいでさ」
「なるほどね」
 そこで栞さんが手をポンと叩いた。
「納得。その直談判の対価が里実さんの陶芸作品なのね。彼女の作品がうちの系列にしか出回らない理由がわかったわ」
 途中から話の内容がわからなくなってしまったけど、「お姉」と「姉」を蒼兄と栞さんで使い分ける高崎さんはすごい。
 蒼兄は呆れた顔のまま、
「それで葵は樹木師になれたのか?」
「まだ樹木師に関しては見習い中。あれ、実務経験が七年以上ないとだめでさ」
 引越し業者が来るまでの三十分は、こんな話をしながらみんなでお茶を飲んで過ごした。

 グリーンコーディネーターか……。
 華道よりはこっちのほうが好きかな。
 より自然に近い状態を作り、周りとの調和やアクセントを見出す職業。
 けれど、何よりも植物の状態を一番に考えていて、植物を助ける立場にいる人たち。
 きっと、ブライトネスチャペル周辺の森林もこういう人たちが管理しているのだろう。
 だからこそ、人の手が入りすぎていない自然と、歩きやすさを併せ持つ場所を維持できているに違いない。
 職業は、普段目にすることがなくても色んなところで密接に関わっているものなのね。

 四時になると引越し業者が来て、ハープも厳重に梱包され無事にトラックに積み込まれた。
 ハープが部屋からなくなると、想像していたとおりの空間になる。
 寒々しい、寂しい部屋に思えた。
「どうした?」
 蒼兄の穏やかな声に顔を上げる。
「ん……広いな、と思って」
「ハープがないだけでこんなに広く感じるものなんだな」
 と、蒼兄も部屋を見渡す。
「うん……。次にこの部屋に帰ってきても自分の部屋って思えるのかがすごく不安……。ハープがないだけなのに、違う部屋に思える」
 すると、ベッドの端に腰掛けた蒼兄から優しい手が伸びてきた。
 私の髪を指に巻きつけ、
「大丈夫だよ。翠葉がここに戻るときはハープも一緒だ」
「……そうだね」
「さ、行こうか」
 コクリと頷くと、視線を感じてそちらを見る。
「ね? 仲良し兄妹でしょう?」
 栞さんと高崎さんがドア口に立っていた。
「自分は高校のときから蒼樹を知っているので、あの天然シスコンヤローは成長なしか、って感想くらいですよ」
 なんだか新鮮。蒼兄のお友達、というものが……。
 秋斗さんや司先輩と話している感じとはまた違う。
 蒼兄の高校時代を知らないわけじゃない。でも、学校での蒼兄は知らない。
 どんなふうだったのかな……。
 私は色んな蒼兄を知っていると思う。でも、それのどれもが「兄」の顔でしかなかった。
 高崎さんに蒼兄のお話聞きたいな……。
「葵、翠葉に余計なこと吹き込むなよっ!?」
「はいはい。翠葉ちゃん、なんでも教えるから訊いてくださいね」
 にこりと笑みを向けられた。
「あのっ、たくさん知りたいです」
「喜んで」
「おい、葵っ!?」
 そんな光景すら新鮮に思えた。

 高校へ通うようになって気づいたことがある。
 友達ができて、人と関わるようになって、私の世界は家だけではなくなった。学校という場所にも自分の居場所ができた。
 それを感じることができて初めて、蒼兄のことを考えた。
 普通に考えるなら、蒼兄にだって家以外の世界が、付き合いがあるだろう。けれども、私にかまう時間が長すぎて、それらの時間を持てないのではないか。
 そのくらい、自分に時間を割いてもらっている気がして心苦しくなる。
 蒼兄を自由にするには自分が高校を辞めるしかない。でも、そしたら今以上に私は蒼兄を求めてしまうだろう。
 蒼兄にも家以外の世界があると、蒼兄独自の人間関係があると知ってもなお、自分の側にいてほしい、家以外に世界がない私と同じでいてほしいと思ってしまうに違いない。
 自分の環境が変わるだけで、こうも考え方が変わってしまうのかと思うと、自分がひどく稚拙で薄情に思えた。
 それでも、高崎さんと話している蒼兄を見てほっとしている自分もいるのだから矛盾している。
 自分勝手だな……。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

家政婦さんは同級生のメイド女子高生

coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...