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第六章 葛藤
03話
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ベンチはちょうど木陰に入っていた。
「座って」と促され、そのままベンチの端に浅く腰掛けると、秋斗さんはその隣に腰を下ろした。
「返事を聞かせてくれる?」
「――秋斗さん、あの……」
「うん」
優しい声音が耳に届けば、また幸せなほうへと流されそうになる自分がいる。でも、いくら揺らいでもぐらついても答えは決めてきている。
「私は……秋斗さんがすごく好きです。でも――私は……私は……秋斗さんとは一緒にいられない――」
言えた……。ちゃんと言葉にできた。
けれど、一度肩に入った力はなかなか抜けてくれない。
「やな答えだね。……好きなのに一緒にいられないって何?」
「――ごめんなさい」
「……正直、水曜日までは振られるなんて少しも思ってなかった。それがどうして一八〇度変わってしまったのかが知りたい。実のところ、藤山を散歩したときにはいい返事が聞けるかもしれないって期待したよ」
水曜日まで――私が雅さんに会ったのは木曜日の午後。そのときから私の行動は不自然に見えていたのかもしれない。
思い返せば、逃げ込むように仮眠室に篭った。藤山では自分から抱きついたようなものだ。
期待させても仕方のないことをした。今日が最後だから、という自分の都合で。
「今の答えは翠葉ちゃんが自分で出した答え? 俺は言ったよね? 誰に相談してもかまわない。でも、最後に答えを出すのは翠葉ちゃんだって」
真っ直ぐに私に視線が注がれていることを感じる。でも、その視線に自分の目を合わせることはできなかった。
「自分で出した答えです。理由は……私には誰かと付き合うなんて余裕がないから――」
「余裕がないなら頼ってくれればいいことじゃない? 俺はそれを望んでいるんだけど」
これ以上に何か理由になりそうなものはないのだろうか……。
ひとつだけ真実があるとするならば――
「これからの私を見られたくないから……」
「……これからの翠葉ちゃん?」
「そうです。これからの私は飲む薬の分量が増えて、まともに日常生活も送れなくなります。それで一緒にいるのなんて無理だし、第一、そんな自分は見られたくない。話をすれば傷つけることを言ってしまうかもしれない。……好きな人を傷つけたいとは思わないでしょう? でも、これからの私はそんなコントロールすらできないほど余裕がなくなります。だから……だから、一緒にはいられません」
取っ掛かりが掴めれば、意外とすらすら話せる。それに、今話したことは嘘じゃない。
「じゃぁ、待つ、かな……。翠葉ちゃんに余裕ができるまで」
え……?
「何? 予想外って顔をしてるけど」
だって、予想外です……。
「あのね、一度振られたくらいじゃ俺は諦めないよ? それに、俺を振るんだ。今後は覚悟しておいて。今まで以上に口説きにかかるから」
笑みを深めたこの人は誰だろう……?
いつもの秋斗さんだけど、でも、何か違う。
強引というわけでもなく受身というわけでもなく、好戦的――?
その言葉が浮かんだ拍子に、制服を着ている高校三年生の秋斗さんが頭によぎった。
「悪いけど、こんな断わり方で俺が身を引くとは思わないように。うちの血筋は諦めがわるいことで有名なんだ」
今度はいつものようににこりときれいに笑った。
私はさっきから呆然としていて一言も口にできないというのに、秋斗さんはどんどんいつもの調子を取り戻す。
「それとね、もう一度忠告しておくけど、男は逃げられると追いたくなる本能が備わっているんだ」
不意に右肩を抱かれ、「え?」と口にした瞬間にキスをされた。
「こんな簡単な手に引っかかっちゃうから心配なんだ。……俺、翠葉ちゃんの『初めて』は全部もらうつもりでいるから。俺に陥落させられる前にほかの男に奪われないでね」
不意打ちのキスをされただけでも頬が熱くなる。さらには視線を合わせてしまったとなればさらに上気する。
言われていることの意味は半分も理解できなかったけれど、恥ずかしくてすぐに視線を芝生に逸らした。
「さ、家まで送るよ」
立ち上がった秋斗さんに手を差し出された。
その手を前に戸惑う。この手は取っていいのか――と。
「翠葉ちゃん、断わられようと何されようと俺の対応は変わらないよ。だから、この手を取って」
有無を言わせない何かがあって、私はすんなりとその手を取ってしまった。そして次の瞬間には後悔をする。
どうしてって、それは――引き上げられるままに立てば目の前は見えなくなり、なのに抱きしめられているのはわかるから。
私が眩暈を起こすとわかっていての行動。
秋斗さんってこんな人だったっけ……?
思いながら視界を取り戻す。
抱きしめられたまま、
「翠葉ちゃん、ここへ来た日のことを覚えてる?」
「はい……」
「あのときの動揺の原因、その理由わかった?」
え……?
あの日の出来事を頭の中で回想する。
確か、ホテルで司先輩を見かけてひどく動揺したのだ。
原因は司先輩で、理由は――
同じようなことを海斗くんたちにも言われたような気がする。でも、
「いえ――司先輩に直接尋ねたら、お見合いじゃないって言われて……」
「それで?」
それで……。
「安心して、今の今まですっかり忘れていました」
答えると、秋斗さんは「くっ」と笑いだした。
「翠葉ちゃんらしいけど、それ、ちゃんと理由を突き止めたほうがいいと思うよ」
そう言うと、腕からは解放され、右手だけが拘束されたまま。
放心状態で手を引かれるままに歩き駐車場へ戻ると、いつものように助手席のドアを開けてくれ、シートに座るとドアを閉めてくれた。
運転席に座った秋斗さんの手が伸びてきて、
「シートベルトは締めないとね」
と、キスをされた。
びっくりしつつも、両手だけが咄嗟に動く。
今さら口元を押さえたところでなんの意味もないのに。
「君は本当に無防備すぎるんだ。今後は少し警戒したほうがいいかもよ?」
家の前に着くと、一度エンジンを切り荷物を玄関の中まで運んでくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。でも、見送りはいいよ」
それだけはどうしても受け入れられなくて、玄関を出ようとした秋斗さんの後ろに続く。と、急に立ち止まられ、秋斗さんの背にぶつかってしまった。
「ごめんなさ――」
額を押さえようと上げた右手を取られてそのまま抱き寄せられる。
「今日の翠葉ちゃんは人目に触れさせたくないんだ。本当はね、このまま攫っていきたいくらいなんだよ」
と、唇を塞がれる。
それは藤山でされたキスと同じものだった。
でも、そのときよりも長く感じる。
しだいに身体の芯が熱くなる。
唇が放されたときには息が上がっていた。
「翠葉ちゃん、キスのときは鼻で呼吸してね」
秋斗さんはいたずらっぽく笑い、
「今回は俺にいたらなかった部分があって無駄に翠葉ちゃんを傷つけてるから一端引く。でも、次に返事をもらうときはいい返事しかもらうつもりはないから」
秋斗さんはそのままドアを出ていってしまった。
玄関に取り残された私は何もできずに座り込む。
――「今回は俺にいたらなかった部分があって無駄に翠葉ちゃんを傷つけてるから」って何?
もしかして雅さんと会ったの知られてる……?
訊かれないから、司先輩が言わないでいてくれたものだと思っていた。
私はそのまま動くことができず、しばらく玄関のドアをぼーっと見つめていた。
「座って」と促され、そのままベンチの端に浅く腰掛けると、秋斗さんはその隣に腰を下ろした。
「返事を聞かせてくれる?」
「――秋斗さん、あの……」
「うん」
優しい声音が耳に届けば、また幸せなほうへと流されそうになる自分がいる。でも、いくら揺らいでもぐらついても答えは決めてきている。
「私は……秋斗さんがすごく好きです。でも――私は……私は……秋斗さんとは一緒にいられない――」
言えた……。ちゃんと言葉にできた。
けれど、一度肩に入った力はなかなか抜けてくれない。
「やな答えだね。……好きなのに一緒にいられないって何?」
「――ごめんなさい」
「……正直、水曜日までは振られるなんて少しも思ってなかった。それがどうして一八〇度変わってしまったのかが知りたい。実のところ、藤山を散歩したときにはいい返事が聞けるかもしれないって期待したよ」
水曜日まで――私が雅さんに会ったのは木曜日の午後。そのときから私の行動は不自然に見えていたのかもしれない。
思い返せば、逃げ込むように仮眠室に篭った。藤山では自分から抱きついたようなものだ。
期待させても仕方のないことをした。今日が最後だから、という自分の都合で。
「今の答えは翠葉ちゃんが自分で出した答え? 俺は言ったよね? 誰に相談してもかまわない。でも、最後に答えを出すのは翠葉ちゃんだって」
真っ直ぐに私に視線が注がれていることを感じる。でも、その視線に自分の目を合わせることはできなかった。
「自分で出した答えです。理由は……私には誰かと付き合うなんて余裕がないから――」
「余裕がないなら頼ってくれればいいことじゃない? 俺はそれを望んでいるんだけど」
これ以上に何か理由になりそうなものはないのだろうか……。
ひとつだけ真実があるとするならば――
「これからの私を見られたくないから……」
「……これからの翠葉ちゃん?」
「そうです。これからの私は飲む薬の分量が増えて、まともに日常生活も送れなくなります。それで一緒にいるのなんて無理だし、第一、そんな自分は見られたくない。話をすれば傷つけることを言ってしまうかもしれない。……好きな人を傷つけたいとは思わないでしょう? でも、これからの私はそんなコントロールすらできないほど余裕がなくなります。だから……だから、一緒にはいられません」
取っ掛かりが掴めれば、意外とすらすら話せる。それに、今話したことは嘘じゃない。
「じゃぁ、待つ、かな……。翠葉ちゃんに余裕ができるまで」
え……?
「何? 予想外って顔をしてるけど」
だって、予想外です……。
「あのね、一度振られたくらいじゃ俺は諦めないよ? それに、俺を振るんだ。今後は覚悟しておいて。今まで以上に口説きにかかるから」
笑みを深めたこの人は誰だろう……?
いつもの秋斗さんだけど、でも、何か違う。
強引というわけでもなく受身というわけでもなく、好戦的――?
その言葉が浮かんだ拍子に、制服を着ている高校三年生の秋斗さんが頭によぎった。
「悪いけど、こんな断わり方で俺が身を引くとは思わないように。うちの血筋は諦めがわるいことで有名なんだ」
今度はいつものようににこりときれいに笑った。
私はさっきから呆然としていて一言も口にできないというのに、秋斗さんはどんどんいつもの調子を取り戻す。
「それとね、もう一度忠告しておくけど、男は逃げられると追いたくなる本能が備わっているんだ」
不意に右肩を抱かれ、「え?」と口にした瞬間にキスをされた。
「こんな簡単な手に引っかかっちゃうから心配なんだ。……俺、翠葉ちゃんの『初めて』は全部もらうつもりでいるから。俺に陥落させられる前にほかの男に奪われないでね」
不意打ちのキスをされただけでも頬が熱くなる。さらには視線を合わせてしまったとなればさらに上気する。
言われていることの意味は半分も理解できなかったけれど、恥ずかしくてすぐに視線を芝生に逸らした。
「さ、家まで送るよ」
立ち上がった秋斗さんに手を差し出された。
その手を前に戸惑う。この手は取っていいのか――と。
「翠葉ちゃん、断わられようと何されようと俺の対応は変わらないよ。だから、この手を取って」
有無を言わせない何かがあって、私はすんなりとその手を取ってしまった。そして次の瞬間には後悔をする。
どうしてって、それは――引き上げられるままに立てば目の前は見えなくなり、なのに抱きしめられているのはわかるから。
私が眩暈を起こすとわかっていての行動。
秋斗さんってこんな人だったっけ……?
思いながら視界を取り戻す。
抱きしめられたまま、
「翠葉ちゃん、ここへ来た日のことを覚えてる?」
「はい……」
「あのときの動揺の原因、その理由わかった?」
え……?
あの日の出来事を頭の中で回想する。
確か、ホテルで司先輩を見かけてひどく動揺したのだ。
原因は司先輩で、理由は――
同じようなことを海斗くんたちにも言われたような気がする。でも、
「いえ――司先輩に直接尋ねたら、お見合いじゃないって言われて……」
「それで?」
それで……。
「安心して、今の今まですっかり忘れていました」
答えると、秋斗さんは「くっ」と笑いだした。
「翠葉ちゃんらしいけど、それ、ちゃんと理由を突き止めたほうがいいと思うよ」
そう言うと、腕からは解放され、右手だけが拘束されたまま。
放心状態で手を引かれるままに歩き駐車場へ戻ると、いつものように助手席のドアを開けてくれ、シートに座るとドアを閉めてくれた。
運転席に座った秋斗さんの手が伸びてきて、
「シートベルトは締めないとね」
と、キスをされた。
びっくりしつつも、両手だけが咄嗟に動く。
今さら口元を押さえたところでなんの意味もないのに。
「君は本当に無防備すぎるんだ。今後は少し警戒したほうがいいかもよ?」
家の前に着くと、一度エンジンを切り荷物を玄関の中まで運んでくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。でも、見送りはいいよ」
それだけはどうしても受け入れられなくて、玄関を出ようとした秋斗さんの後ろに続く。と、急に立ち止まられ、秋斗さんの背にぶつかってしまった。
「ごめんなさ――」
額を押さえようと上げた右手を取られてそのまま抱き寄せられる。
「今日の翠葉ちゃんは人目に触れさせたくないんだ。本当はね、このまま攫っていきたいくらいなんだよ」
と、唇を塞がれる。
それは藤山でされたキスと同じものだった。
でも、そのときよりも長く感じる。
しだいに身体の芯が熱くなる。
唇が放されたときには息が上がっていた。
「翠葉ちゃん、キスのときは鼻で呼吸してね」
秋斗さんはいたずらっぽく笑い、
「今回は俺にいたらなかった部分があって無駄に翠葉ちゃんを傷つけてるから一端引く。でも、次に返事をもらうときはいい返事しかもらうつもりはないから」
秋斗さんはそのままドアを出ていってしまった。
玄関に取り残された私は何もできずに座り込む。
――「今回は俺にいたらなかった部分があって無駄に翠葉ちゃんを傷つけてるから」って何?
もしかして雅さんと会ったの知られてる……?
訊かれないから、司先輩が言わないでいてくれたものだと思っていた。
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