光のもとで1

葉野りるは

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第五章 うつろう心

07話

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 六月一日、天気は曇り――私は十七歳の朝を迎えた。
 栞さんの朝の挨拶も「ハッピーバースデイ」。
 そんな些細なことを幸せに思う。
 窓際のテーブルセットでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた蒼兄は、
「十七歳の誕生日、おめでとう」
 と、目を細めて穏やかに笑う。そして、テーブルの上にはプレゼントが置かれていた。
「見てもいい?」
「いいよ」
 紙袋の中にはいくつか包みが入っていて、その内の一番大きなものを開けると写真立てだった。
 額縁の部分は透明なガラスが波打っていて、とても涼しげな印象を受ける写真立て。
 大好きなガラスアイテムに頬が緩む。
「きれい……。蒼兄、ありがとう。おうちに帰ってきたら写真を入れて飾るね」
 次の包みを開けると、手の平に乗るくらいの小さなトレイだった。
 白い陶器でできたリーフ型のトレイ。アクセサリーを入れるのにはちょうどいい大きさだ。
「蒼兄、レポートに追われていたのにいつの間に用意したの?」
 蒼兄はその問いには答えず、
「あともうひとつ。それが本命」
 と、手提げ袋指差した。
 手提げ袋の底にあったのは封筒。封はされていないそれを手に取ると、
「……秋斗さんっ」
「そう、高三の先輩。生徒総会のときの写真なんだ」
 写真には、桜林館のステージで資料を片手に話している制服を着た秋斗さんが写っていた。
「うわぁ……高校生だっ」
 秋斗さんが言ったように今とさほど変わらない。ただ制服を着ているだけのようにも見える。でも、やっぱり若干若くは見える。
 封筒の中にはもう一枚写真が入っていて、そこに写っていたのは秋斗さんと司先輩だった。
「それは一年くらい前の写真。あの部屋を改装する前に記念に撮ったんだ」
 写真に写るのを拒んでいる司先輩を、秋斗さんが抱え込むようにして写っていた。
「ふふ、おかしい。今と変わらないね? あ、でもこのとき司先輩は十五歳?」
「いや、司の誕生日は四月頭だからもう十六になってるだろ」
「え? そうなの?」
「確か四月六日だったと思う」
「……もしかして入学式の日っ!?」
「あぁ、そう言われてみればそうだな」
「……昨夜してもらったみたいに、おめでとう、をカウントダウンしようと思ったのに。もう終わっちゃってるのね」
 しゅんとしていると、
「翠葉、タイムアウトまであと十分だぞ?」
 その言葉で一気に現実へ引き戻される。
「わ、まだご飯食べてないっ」
 封筒に写真を戻し、それだけは学校へ持っていくかばんに入れた。
 急いで栞さん特製のお雑炊を食べる。
 昨日のディナーからなんとなく食べられる感じはしていて、でも、栞さんは気を遣ってくれ、残さずに食べきれる分量だけをよそってくれていた。
 本当に、優しすぎるくらいに優しい人。
 私はこの人を傷つけたくないと思う――

「翠葉ちゃん、荷物はここに置いてあるものだけでいいのかしら? 良ければ小型ハープも持っていくけど?」
「え? いいんですか?」
「えぇ。あのマンション、防音設備完備だから問題ないわ」
「じゃ、お願いしようかな」
 席を立とうとしたら蒼兄に遮られた。
「俺が持ってくるから翠葉は先に薬を飲みな」
 言われたとおりに薬を飲むと、
「これ、一応うちの鍵。お昼前にはマンションに戻ってると思うけど、とりあえず」
 と、鈴のついた鍵を渡された。
「ありがとうございます。帰りが何時くらいになるかはあとでメールします」
 蒼兄と一緒に家を出て車に乗り込む。
「蒼兄、写真ありがとう」
 少し恥ずかしく思いながらお礼を言うと、
「どういたしまして。あ、秋斗先輩の誕生日は知ってるのか?」
「……秋、じゃないの?」
 秋斗さんという名前から勝手に秋だと思い込んでいた。
「名前から予想するとそう思うよな。あの人、夏生まれ。末広がりの日って覚えておくと間違いない」
「……八月八日?」
「そう」
 蒼兄はクスクスと笑う。
「えっ、じゃぁどうして秋斗さんなの!?」
「秋に妊娠したからって聞いたけど、普通生まれるときの季節で名前をつけると思うよな」
 コクコクと頷く。
「きっと少し変わったご両親なんじゃないか?」
 その言葉は耳を通過していく。
 秋斗さんの誕生日はこれからなんだ……。何か、お祝いができるといいな。

 学校に着き教室に入ると、
「ハッピーバースデー、翠葉っ!」
 声をかけてくれたのは桃華さん。
「桃華さん、ありがとう」
「私、一番のり?」
「残念ながら五番のり」
 肩を竦めて答えると、
「蒼樹さんと栞さん以外に――あ、ご両親?」
「ううん。一番のりは司先輩だった。電話をくれて、カウントダウンしてくれたの。二番目が秋斗さんで三番目が栞さん。四番目は蒼兄」
 桃華さんは、「ふ~ん……」と意味深に口にした。
 何か考えていそうな顔つきだったけれど、突き詰めて考えることはしなかった。
 昨夜から繰り返される、「おめでとう」の言葉が嬉しくて……。
「おめでとう」を言ってもらえるのは嬉しい。とても、とても――
 八時を回ると携帯が騒がしいことになった。
 次々と届くメールは名前が表示されないものがほとんどで、件名に名前を書いてくれているのがせめてもの救い。
 届くメールのどれもがクラスメイトからのもので、気づけば未読メールが二十件を越えた。
 メールにはハッピーバースデイの曲や画像、アニメーションなどが添付されており、メールで色んなことができることに驚いていた。
「少しは私の気持ちを理解してもらえるかしら?」
 桃華さんに話しかけられ不思議に思う。
「昨日、一日携帯鳴りっぱなしよ。みんな揃いに揃って翠葉のアドレス教えろって。許可なく教えちゃったけど許してね」
 言われた直後、海斗くんが教室に入ってきた。
「メール届いたっ? みんなで八時になったら送ろうって企んでたんだけど」
 その言葉に笑顔になる。
「すごくびっくりした!」
「みんな祭り好きだから、この一年は忘れられないくらい楽しい一年になるよ」
 海斗くんの爽やかな笑みは太陽や真夏の空が似合う気がする。そんなことを考えながら返事をする。
「これからの行事も楽しみ」
 海斗くんは満足そうに笑った。
 次々と登校してくるクラスメイトにも「おめでとう」をたくさん言われ、私は「ありがとう」と答え続ける朝だった。
 ホームルームが終わるとあることを思い出す。
 司先輩にミネラルウォーター代を返さなくちゃ……。
 いつもかばんに入れているミニレターセットを取り出しペンを取る。


司先輩へ

土曜日はお水をありがとうございました。
そのときのミネラルウォーター代です。

それから、昨夜の電話、とっても嬉しかったです。
あんなふうにおめでとうを言われたのは初めてでした。

司先輩はいつも何時くらいに休まれますか?
今度教えてください。

翠葉より


 便箋と小銭を封筒に入れ、シールを貼る。
 本当はお礼にクッキーを焼きたいところだけど、それはまた今度にしよう。
 もうすぐ一限が始まる。一限が終わったらクラスへ行ってみようか……。
 二年A組だから階段を上がったら左側のクラスのはず。
 そういえば三階には上がったことがない。
「海斗くん、三階も二階とクラス順は同じ?」
「うん? 一緒だけど? 誰に用?」
「司先輩。先週具合悪くなったときにミネラルウォーターを買ってもらったの。そのお代をまだ返してなくて……」
「じゃ、一限のあとついていくよ」
「わ、嬉しい! お願いします」
 正直、教室のドアが閉まっていたり、声を掛けられなかったらどうしようかと思っていた。でも、海斗くんが一緒なら心強い。
 数学の授業が終わるとすぐに教室を出た。
 廊下に出ても誰も人はおらず、ガランとしている。強いていうなら移動教室の生徒がちらほらといる程度。階段を上がるも三階も似たり寄ったり。
 二年A組の教室は前も後ろもドアは閉まっていた。
 そのドアを躊躇なく海斗くんが開ける。
 中の人は勉強をしているわけで、当たり前のように注目される。けれども、海斗くんは気にせず司先輩を呼びつけた。
 海斗くん越しに見えた先輩の手には本があって、やっぱり四限が終わってから来るべきだったかな、と少し後悔。
 後ろのドアから先輩が出てくると、
「何」
「用があるのは俺じゃなくて翠葉」
「あのっ、土曜日――ミネラルウォーターを買ってもらってそのままだったので」
 封筒を差し出すと、
「別にいいのに……」
 先輩は視線を封筒に移したものの、手を伸ばす気配はない。
「それ……手紙付き?」
「はい、短いですけど……」
「なら受け取っておく」
 右手に持っていた封筒を素早く取られた。
 司先輩は腕時計に目をやり、
「あと二分で二限が始まるけど?」
 指摘されてはっとする。
 私が何を口にする前に、海斗くんが口を開いた。
「はいはい、勉強の邪魔して悪かったね。翠葉、帰るよっ」
 海斗くんは私の手を引いて歩きだし、私は慌てて、
「先輩、本当にありがとうございました」
 階段を下り始めると、
「あいつ、本当に素直じゃないっ」
 少し前を歩く海斗くんが不機嫌そうに零した言葉。
「どうしたの……?」
 尋ねてみたけれど、
「こればかりは教えらんねぇな」
 海斗くんはむっつりと口を閉ざしてしまった。
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