光のもとで1

葉野りるは

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第五章 うつろう心

02話

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 車に着くと助手席に座らされ、すぐにシートを倒された。
「薬は効きそう?」
 顔を覗きこまれて恥ずかしくなる。まだ頬が火照ったままなのだ。
 ごまかすように「大丈夫です」と答えると、
「大丈夫かじゃなくて、効きそうかが知りたいんだけどな」
 秋斗さんは少し困ったように笑っていた。
「あ……たぶん、平気です。さっきは手元にお水がなくて少し慌ててしまっただけで……。でも、すぐに司先輩が来てくれたから」
「なんか面白くないけど、まぁいいか」
 何が面白くないんだろう……?
 不思議に思っているうちに、秋斗さんは運転席に乗り込んだ。そのとき、また携帯が鳴り出す。今度は蒼兄だ。
「もしもし……?」
『翠葉、大丈夫か?』
「少し前にお薬飲んだ。今は秋斗さんの車の中」
『そっか、ならいいんだけど……』
 横から秋斗さんに、
「ちょっと代わってもらえる?」
「あ、はい。蒼兄、秋斗さんに代わるからちょっと待ってね」
 秋斗さんに携帯を渡すと、ストラップのチェーンが光を受けてキラキラと光った。
「今からうちの人間に盗聴チェックさせに行かせるから蒼樹は帰らなくていいよ。――はい、じゃそういうことで」
 通話を切った携帯を受け取ると、携帯にはまだぬくもりが残っていた。
 どうしてか、そんなことすら嬉しくて、きゅ、と携帯を握りしめてしまう。
「携帯、どうかした?」
 エンジンをかける秋斗さんに尋ねられた。
「いえ」
「……そういうのも知りたいんだけどな」
 じっと見つめられるのを逃れるために口を開く。
「あの……携帯が、あたたかくて――それが嬉しかっただけです」
 正確には、秋斗さんのぬくもりが残っていて嬉しかった、だけれど、そこまで口にすることはできなかった。
 秋斗さんは「そう」と、嬉しそうに笑った。その笑顔が好き――
 思った途端に、「わっ」と声を出してしまう。
 そのくらい心臓が勢いよく駆け足を始めた。携帯を持っていた手も一緒に胸を押さえる。そんなことをしたところで意味などないのに。
「翠葉ちゃん、一緒にいるだけでそんなにドキドキしないで? これじゃ手も握れない」
 秋斗さんはクスクスと笑っている。
「……強制的に抱っこはするじゃないですか」
 抗議も虚しく、「あれは緊急事態だからいいんです」と返された。
「翠葉ちゃん、模試が終わったらデートしよう。緑がいっぱいの公園を手をつないで歩こう」
 穏やかな表情に誘われるようにして「はい」と答えた。
「近い日程だと……六日の日曜日はどうかな?」
「大丈夫です」
「じゃ、決定ね。……その日に返事を聞かせて」
 ――返事。
「……はい、わかりました」

 車が緩やかに発進すると、カーステから聞き覚えのある曲が流れる。
 DIMENSION……?
 痛みもだいぶ引いたのでシートを起こす。と、秋斗さんがこちらを見た。
「大丈夫?」
「はい。薬、ちゃんと効いたみたいで……」
 車内の時計を見れば、薬を飲んでからきっかり二十分が過ぎていた。胃の負担になる薬だけれど、やっぱり強い分即効性がある。
「秋斗さん、この曲……」
「あぁ、DIMENSION?」
「好きなんですか?」
「うん。仕事しているときにもよくかけるよ」
「嬉しい……。私も好きなんです」
 好きなものが同じだと、嬉しくて笑顔になる。
「蒼兄とドライブに行くときはいつもこのCD。DIMENSIONの中でも『Key』ってアルバムが一番好きです」
「ドライブにはもってこいだね」
 知っている人は知っているけど、知らない人も多い。そういうものばかりを好きになる私にとっては、音楽の話で共通点があるのはとても嬉しいことだった。
「もっと教えてね?」
「え……?」
「いや、蒼樹から聞いて色々知ってるつもりではいるんだけど、やっぱり本人の口から聞くのとは違うなと思って」
 それは、私が訊いても教えてもらえるのだろうか……。
「私も、秋斗さんが何を好きなのか知りたいです」
 秋斗さんはにっこりと笑って、
「俺が好きなのは翠葉ちゃんだよ」
 どうしてこういうときに限って赤信号で止まるのかな……。
 顔が赤くなるのを止めることはできなくて、身体ごとドアの方を向いてしまう。子どもっぽい行動に自分自身が呆れてしまう。
 こんな自分は秋斗さんの目にどう映っているのだろう……。
 運転席からはクスクス、と笑う声が聞こえてくる。
 あ……年が離れているから不安になるのかな。
 先日から感じているこの不安の正体がまだわからない。秋斗さんに好きと言われ、自分も秋斗さんを好きだと思った。……両思いなのに、時折正体のつかめない不安に心が包まれる。

 家に着くと玄関前に警備会社の人が立っていた。
「秋斗様、すべてチェックは終わっています」
「ご苦労様」
 その人は軽く会釈して玄関ポーチを出ていった。
 家に入ると手洗いうがいを済ませ、着替えも済ませる。そこまでしてから自室を出てキッチンへ向かった。
 秋斗さんはやっぱりコーヒーだろうか。
 目の前にはティーポットとコーヒーメーカーが並んでいる。それらをじっと見ていると、後ろから抱きしめられた。
「ハーブティーが飲みたいな」
 耳元で囁かれ、心臓が飛び跳ねる。
「は、い……。何か飲みたいハーブティーはありますか?」
 ドキドキが全開で、普通に会話ができているのかも怪しい。
「翠葉ちゃんのセレクトで」
 秋斗さんの息が耳にかかった。
 どうしよう、動けない――
 すると、くつくつと笑い声が聞こえてくる。
 ……間違いなく笑ってる。もうっ――
「反応を見てからかうなんてひどいですっ」
 くる、と腕の中で振り返り、秋斗さんの顔を見上げて言う。と、
「どんな翠葉ちゃんも好きだよ」
 と、甘やかな声が降ってきた。
 秋斗さんがあまりにもきれいに笑うものだから一瞬見惚れてしまった。そして、その瞬間にキスをされた。
 顔が徐々に近づいてきたのはわかっていたのに避けられなかった。
 そのまま秋斗さんの腕の中に閉じ込められ沈黙が流れる。
 相変らず心臓は忙しなく動く。でも、このぬくもりは好き……。
「秋斗さん……私も――」
 そこまで言うと、人差し指を口に当てられた。
「その先は六日に聞くのを楽しみにしているから、今はだめ」
 甘く笑う秋斗さんに何も言えなくなって口を噤む。
 模試は嫌だし模試が終わったら薬漬けになってしまう。それでも、模試明けが少し楽しみになものに変わった。
 好きな人の力ってすごい――

 秋斗さんは何事もなかったかのように私から離れてリビングへ行った。
 年の差以上に経験値が違いすぎて怖い……。
 ……え? ……怖い? ……秋斗さんが? ……怖い、のかな……。
 でも、秋斗さんに対して怖いと思うのは何か違う気がする。
 違う、怖くない……。怖くはない、でも――
 逡巡していると、ケトルからピー、とやかましい音が鳴った。
「きゃぁっ」
 突然の音に心臓が止まるかと思うほど驚いた。
 胸に左手を添えケトルの前に立つ。ぐつぐつと沸騰したお湯が少し静まってからティーポットへ注ぐ。
 レモングラスとミントの爽やかな香りが大好きなハーブティー。
 蒸らしたあと、耐熱ガラスのカップへ注ぎトレイに移す。と、
「持つよ」
 カウンターから秋斗さんの手が伸びてきた。
 桃華さんたちとうちへ来たときもこのタイミングで現れた。
 気が利く人? 気が回る人? 気遣いができる人? 女の子の扱いに慣れてる人? ――女の子慣れしてる人。
 ……だめ。それは考えたらきりがないよ。
 自分に言い聞かせるようにして頬を両手でペシ、と叩いた。
 年の差はどうやっても埋まらないし、相手の過去を気にしても仕方のないことだ。
 わかってるのに気になるのは、好きな人だから、なのかな。
 カウンターから秋斗さんを見ようと思ったら、ダイニングテーブルにはトレイとカップだけが置かれており、秋斗さんの姿はなかった。
「あ、れ……?」
 口にすると、廊下側から左腕を掴まれ引き寄せられる。バランスを崩して秋斗さんの腕の中へストンと落ちた。
「どうしてそんなに不安そうなの?」
「え……?」
「なんかずっと不安そうな顔してるでしょ?」
 そんなに顔に出ていただろうか……。でも、何が不安なのかはまだ自分でもよくわかっていない。
「気になるのは年の差? それとも俺の女性遍歴?」
「どうしてっ!?」
「どうしてって……ねぇ。俺が翠葉ちゃんだったら何を考えるかなって思っただけだよ」
 私は手を引かれてリビングへ連れていかれた。秋斗さんは私をラグに座らせると、自分はその足でダイニングテーブルのトレイを取りに行く。
 これではまるで私がおもてなしをされているみたいだ。
 秋斗さんは戻ってくると、ソファを背にして座っている私の真横に腰を下ろした。
「年の差は俺も気になるよ。でも、こればかりは仕方ない……。たまたま好きになった子が九つ下だった。でも、あと三年も経てばおかしなことじゃなくなる。気になるのはきっと高校生の間だけだよ」
 私の右手を包む秋斗さんの手はとても大きくてあたたかい。蒼兄の手と少し似ている。
「俺の女性遍歴は――あまり言いたくないかな」
 秋斗さんは天井のシーリングファンを見上げて苦笑した。
 言いたくないというものを訊くことはできないし、この話をどこに着地させたらいいのかもわからない。
「正直ね、あまりいい付き合い方をしてきてるとは言えないんだ」
「あのっ……言いたくないことは話してもらわなくて大丈夫です。そもそも……秋斗さんが気づかなければ自分からは訊けないことだったし……」
 言うと、右手に力をこめられた。
「……いいや。やっぱり知ってて? ほかから知れるのは嫌だからね」
 秋斗さんは自嘲気味に笑って、
「決まった相手じゃなくて、不特定多数の人と付き合ってきた。誰が相手でもよかった――そう言ったら引く?」
 ざわり、と心が騒ぐ。勇気を出して秋斗さんの顔を見ると、こちらをじっと見る目があった。
 その目が、冗談ではなく事実、と言っている気がした。
「でも、今は……これからは翠葉ちゃんだけだから。それだけは信じてほしい」
 こういうときになんて答えたらいいのかなんて知らない。
「あのっ……なんて答えたらいいのかわからなくて。……でも、引くとか、そういうのではなくて……」
 混乱したまま口を開いたところで、はっきりとしたことが言えるわけもなかった。
「ごめん。答えに困るようなこと言って……。それでも一生懸命答えようとしてくれてありがとう。そんな翠葉ちゃんが好きだよ」
 いつもより控え目に、けれど甘く笑う。
「急に抱きしめたりキスはすると思う。でも、それ以上はしないから。翠葉ちゃんの気持ちの準備ができるまで、無理やりエロいことはしません」
「っ……!?」
 秋斗さんは茶目っ気たっぷりに笑うと、驚いて何も言えない私をすぐに引き寄せ抱きしめた。
「だから――気持ちの準備ができたら言って? そしたら、すぐに婚約しよう」
 秋斗さんの鼓動が耳元で鳴っている。いつか仕事部屋で聞いたものとは全然違う速さで。とても鼓動が速かった。
 返事をする前に、玄関の方でチリンチリン、と音がした。
 玄関のドアには小さな鐘が付いており、開け閉めする際に音が鳴るようになっている。インターホンなしにその音が鳴ったということは栞さんの帰宅を意味する。
「セーフ……。栞ちゃんが来なかったら理性吹っ飛びそうだった」
 秋斗さんは私から離れていたずらっぽく笑う。
 お試しで恋愛しようと言われたときは冗談なのか本気なのかがわからなかった。でも、今の言葉は本気だと思える。鼓動が、そう言っていた気がするの――
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