光のもとで1

葉野りるは

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第五章 うつろう心

01話

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 翌朝は痛みも薬が効く範囲で登校することができた。
 昇降口に入ると、廊下に紙が張り出されているのが目に入る。
 どうやら人の名前が書いてあるみたいだけど……。
 貼紙に近づいてみると、それが何を示すものなのかがわかった。
 中間考査の順位発表。上位二十人までが記載されている。
 下から順に見て行くも、二十位から十位までには入っていなかった。これはいよいよ怪しいかもしれない。九位に佐野くん、六位に桃華さん。
「あった――」
 三位だ。
 自分の名前を見つけてほっとする。
 私の上に記された名前は「漣千里」――確かバスケ部。残念ながら顔は出てこない。そして一位は海斗くんだった。
「すごいなぁ……」
 その紙の右隣には二年生の順位表があり、当然と言わんばかりに一位に司先輩の名前が書かれていた。
 順位のところに赤く丸がついているのはどうしてだろう? 海斗くんにはついていない。三年生の一位は里見先輩。けれども、そこにも赤い丸はついていなかった。
「何か意味があるのかな」
 不思議に思いながら階段を上がり教室に入る。と、今日も桃華さんがすでに登校してきていた。
「おはよう。身体は大丈夫なの?」
「うん。今日は大丈夫だと思う」
 かばんを置くと、疑問を桃華さんに尋ねることにした。
「ねぇ、下に順位表が貼り出されていたけれど、赤丸の意味って何?」
「あぁ、藤宮司ね」
 桃華さんは若干嫌そうな顔をする。
「全科目満点ってことよ」
 嘘――
「……司先輩って宇宙人かな? それとも、頭の中に容量無制限のハードディスクが入っているとか?」
「割って見られるものなら見てみたいわよね」
 ほとんど吐き捨てるように言う口ぶりからすると、桃華さんは相当悔しいようだ。
「でも、翠葉だってすごいじゃない。千里とは一点差だっだでしょう?」
「……どうしてそんなことがわかるの?」
「一番右の欄に総合得点が書いてあるの気づかなかった?」
 そういえば何か書かれていた気はする。けれども、順位に気を取られていて隅々までは見てこなかった。
「この学年の一位と二位は海斗と千里で接戦なの。でも、今度からは翠葉もそれに加わりそうね」
「そんなことっ――」
「何言ってるのよ。海斗とだって三点差よ?」
「え……? そうなの?」
 実のところ、一番怪しい古典のテストのみが返ってきていない。
 本来なら昨日の授業で返ってくるはずだったテスト。ほかの教科はすべて満点だった。古典は九十点台なのかすら怪しい……。
 英語が一番苦手だと思っていたけれど、学内テストにおいては一番古典がネックだということに気づかされたテストだった。
 教室内がしだいに騒がしくなり、その音に混じって、
「うわっ、嫌みなやつ発見」
 佐野くんに指差された。
「……どうして私?」
「だって、なんだよあの順位」
 それはつまり順位表のことを指しているのだろうけれど……。
「十位以下ならまだかわいいものを、三位って何。しかも未履修分野のパスも一番のり」
 これが嫌みじゃなくてなんなんだ、と主張される。
「それは翠葉のせいじゃなくて、佐野の脳みそが足りないせいだ」
 佐野くんは背後から教室に入ってきた海斗くんに突っ込まれた。
「翠葉、もう大丈夫なのか?」
 海斗くんが椅子に跨り訊いてくる。
「うん、今日は大丈夫」
「あんま無理すんなよ」
「今日は午前授業だから大丈夫だと思う」
 今日は土曜日で明日は日曜日。
 日曜日は蒼兄の誕生日で、夕方に藤倉駅前のデパートで両親と待ち合わせている。
 買い物を済ませたらウィステリアホテルで誕生会と称したディナーを食べる予定。
 お母さんとお父さんと会えるのは約一ヶ月ぶりなのでとても楽しみだった。

 ホームルームが終わると、川岸先生経由で古典のテストが返ってきた。点数を見るのが怖くて机に伏せた状態で置くと、
「見ないの?」
 飛鳥ちゃんに訊かれて苦笑を浮かべる。
「ちょっと、見るのに勇気が……」
「俺が見てやろうか?」
 海斗くんが答案用紙に手を伸ばす。
「待ってっ! やっぱり自分で見るっ」
 恐る恐る表に返すと九十点だった。
「ギリギリ……」
 ため息と共に漏れた言葉。
「翠葉ぁ……それ、かなり嫌みよ? 私なんて九十点がひとつでも取れたらラッキーって喜んじゃうのに」
 飛鳥ちゃんがむくれてしまった。
「――翠葉、まさかほかの科目全科目満点?」
 後ろから桃華さんに覗き込まれる。
「うん、そうなの……。古典にここまで足を引張られるとは正直思ってなかった」
「……なるほどね。入学した時点で生徒会から打診が来るわけだわ」
 どうしてほかの科目が満点ってわかったのかな、と不思議に思ったのは一瞬のこと。
 桃華さんは私の総合得点を知っているんだった。
「翠葉、古典がんばればオールラウンドなんじゃね?」
「海斗くん……古典と英語と世界史だけは好きになれそうにないの」
 この答案用紙にだって触れたくないくらいだ。
 英語が満点を採れるのも学内テストだからであって、次の全国模試ほど危険なものはない。学内の中間考査で三位だからといって胡坐をかける状態にはほど遠い。
「そんな不安そうな顔しなくてもいいだろ? 秋兄のノート使って勉強してればそんなひどいことにはならないって」
 顔を上げて海斗くんを見ると、
「あれ、見やすくて覚えやすいだろ?」
 人懐っこい笑顔で言われた。コクリと頷き、気になっていたことをひとつ訊いてみる。
「海斗くんも字がすごくきれいだったりする?」
「俺はだめ。ほら、俺の取ったノート見ただろ?」
 そう言われて思い出す。海斗くんが取ってくれたノートを。
 決して汚い部類に入るわけではない。でも、きれいさ、というならば佐野くんや桃華さんのノートだろう。
「秋兄は書道で師範免許持ってるからうまくて当然」
 なるほど……。
「私、筆を見ただけでも逃げ出したくなるくらい書道は苦手なの」
 肩を竦めて言うと、「意外」と四方向から言われた。
「普段の字は右上がりだけど読みやすい字よね?」
 桃華さんに言われて、
「ノートに書く小さい文字ならともかく、少しでも大きく書こうと思うともうだめ……」
「私は丸っこい字しか書けないから、翠葉よりももっとひどいよ」
 飛鳥ちゃんの字は丸くてかわいい。女の子が書いたんだろうな、と思える字。
 桃華さんの字は跳ねや払いまできちんと書かれている、書き方の見本みたいな字。
 佐野くんの字は罫線にぎりぎりおさまる字でバランスがよく堂々としている字。
 海斗くんの字は一文字を見るとアンバランスだけど、その字が並んでいるとアンバランスさが目立たなくなる字。
 私の字は海斗くん寄りの字に思えた。
 そんな話をしていると化学の先生が入ってきてすぐに五分間テストが開始された。

 午前四時間の授業が終わり、図書棟に向かう途中でツキン、と痛みが走った。突如襲うのは不安。
「……ここで不安になっちゃだめ」
 自分を落ち着けるためにそんな言葉が口をつく。
 薬はかばんに入っているけど、飲むための水がない。さっき飲み干してしまい、図書棟に入る前に買おうと思っていたのだ。
 自販機のある場所は図書棟前のほか、少し先にある階段を下りたところにある。
 どっちが近い……? それとも、引き返して保健室に行くべき?
 徐々に痛みが強くなってきているのがわかる。
「翠、何してる……?」
 後ろから声をかけられた。
 何を……? 今後の身の振りを考えています。
 気づけば私はテラスに座り込んでいた。
「翠」
 さっきよりも少し大きめの声で呼ばれ顔を上げると、真正面にしゃがみこんだ司先輩が目に入った。
「先輩、お願いが……」
「何……」
「お水……。薬、飲みたい――」
 先輩はすぐに立ち上がり、近くの階段を下りていった。戻ってきたときには蓋を開けた状態でペットボトルを渡してくれた。
 ピルケースから鎮痛剤を取り出し胃薬と一緒に飲む。
 薬を飲んだことによってなのか、司先輩がいてくれるからなのか、少し落ち着きを取り戻せた。
「保健室に行こう」
 先輩に言われて首を振る。
「もう少し……もう少しして薬が効けば――」
 まだ立ち上がって歩く余裕はない。右手で胸を押さえつつ、テラスのタイルをじっと見つめる。
 その行動に意味があるわけではない。ただ、痛みのレベルを考えるとき、どこか一点を見つめる癖があるだけ。
 マックスを十とすれば、今は四か五。なら薬は効くはず。
 そのとき、ポケットの中で携帯が鳴った。曲が「Close to you」だから秋斗さんからの電話。
 左手で携帯を取り出すも、まともに喋れそうにはない。すると、その携帯を司先輩に取られた。
「秋兄? ――今、テラス。痛いみたい。――今飲んだところ。――わかった」
 三十秒とかからず携帯を切った。
「秋兄が来る。で、そのまま家に送るからって」
「ありがと……」
「――俺じゃだめなわけ?」
 え……?
 ふいに視線を上げると、司先輩は口元を押さえて「しまった」という顔をしていた。
「悪い、なんでもない。薬は効きそう?」
「たぶん……。このくらいなら大丈夫」
 答え終わるのと同時にジャケットを着た秋斗さんが現れた。
「このまま家まで送るから」
 その直後、当然のように横抱きに抱え上げられた。
「っ……自分で歩けますっ」
 それが無理だから座り込んでいたことも忘れて口にした。
「こういうときくらいは静かに抱えられてて?」
 耳の近くで秋斗さんの声が聞こえ、それだけで頬が上気する。
 恥ずかしくて、でもどうすることもできなくて、秋斗さんの胸に顔をつけることで顔を隠した。
 こういうの、甘えてるって言うのかな……。
 後ろで司先輩の声がした気がする。でも、何を言ったかまでは聞き取ることはできなかった。
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