光のもとで1

葉野りるは

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第四章 恋する気持ち

13話

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 午後の授業は散々たるものだった。
 消化に血液が使われているうえに、薬で副交感神経を優位にされているのだから眠くならないわけがない。
 一番最後の授業が体育でよかった。
 体育教官室でレポートを書くときは、床に座って長方形のローテーブルに向かうことになる。それがこのコンディションで乗り切れた秘訣かもしれない。
 ふらふらしながら体育教官室を出ると、司先輩と鉢合わせた。
 ジャージ……?
「司先輩も今の時間は体育だったんですか?」
「体育じゃなければジャージは着ない」
 言われてなるほどと思いつつ、相変わらず答え方に癖があるな、と思った。
「すごく顔色悪いけど?」
「あとは帰るだけなので大丈夫です」
「……教室まで送っていく」
「……いえ、大丈夫です」
「……どっちにしろ俺も教室に戻るんだ。意地張らずに送らせろ」
 心底嫌そうな顔をされた。
 先輩の嫌そうな顔は心配してくれている顔なのだろうか。それとも、本当に嫌なのだろうか。
 回らない頭で考えたところで答えなど出るわけもなく、結局送ってもらってしまった。
「ホームルームが終わったら教室で待ってろ」
「はい?」
「どうせ図書室に行くんだろ?」
 つまり、それもついで……ということなのだろうか。
 じっと先輩を見ると、眉間にしわを寄せられた。
「……拒否権がない感じ」
 ぼそりと零すと、
「この期に及んで拒否しようとしていたのか知りたいんだけど……」
 信じられない、といった顔で見られる。
「いえ……そのようなことはまったく考えておりません」
 小さく答えると、
「そんな状態で階段の上り下りをひとりでしようと思うな」
 それだけ言うと、司先輩は三階へと続く階段を上っていった。
 後ろ姿を見届けて思う。
 蒼兄に負けずじと過保護なのではなかろうか、と――

 教室に入ろうと思い、一歩踏み出して五歩下がる。
 教室内には男子しかいなくて、ジャージから制服に着替えている真っ最中だったのだ。
 さすがにあの中へ入っていく勇気はない。
 仕方なく廊下で待つことにした。
 ……とはいえ、立ってるのはつらくて早々に窓側の壁を伝って廊下に座り込む。
 壁がひんやりしていて気持ち良かった。
「あれ? 御園生さん?」
 男子に声をかけられ、「誰だろう?」と思う。
 顔を上げると、背の高い短髪の男子だった。
「すごく顔色悪いけど、具合悪い?」
「え……あ、大丈夫です」
 どこかで見たことがあるような気はする。でも、どこで見たのかは思い出せなかった。
「あのさ、ひとつ確認したいんだけど……」
「はい……?」
「俺のこと、忘れてね?」
 ……これはどこかで見かけたというよりも会っているのだろうか……。
「……あの、どこかでお会いしたこと……ありますよね?」
 愛想笑いをすると、
「それ、結構ショックなんだけど……。っつかさ、自分に告ってきた男を昨日の今日で忘れるってあり得なくねっ!?」
 目の前に座り込まれてしまった。
 昨日昨日昨日――
「あ、バスケ部っ。……それだけは覚えてるんだけどな」
「……マジ、信じらんねぇ。今度こそ覚えて、俺、漣千里」
「さざなみさざなみさざなみさざなみ――ものすごく珍しい苗字だよね?」
 正直に言うなら覚えづらい……。中村くんとか山田くんとか覚えやすい名前なら良かったのに……。
 すると、サザナミくんは目の前でにーっと笑った。
「ごめんなさい……。私、人の名前と顔を覚えるのがものすごく苦手なの」
 本当に申し訳ないのだけど、次に会っても覚えているかはかなり怪しい。
 そうは言えないからそれに近い断わりを入れさせてもらった。
「ところで、なんで廊下に座り込んでるの?」
「教室で男子が着替えてたから……」
 私の言葉に、サザナミくんがうちの教室を覗いた。
「なるほど。でも、もうだいたいの人が着替え終わってるっぽいよ」
「本当? ……でも、もうちょっと待ってようかな」
 そんな話をしていると、階段から元気な声が聞こえてきた。
「あれ? 千里じゃん。何うちの翠ちんに絡んでんのよっ!」
「おう、理美! っつーか絡んでねーし!」
 言いながらふたりは仲良く話しだす。
「ちょっと聞けよ。この人、昨日の今日で俺のこと忘れてる。外部生のくせに記憶力悪ぃの」
「ははっ! 翠ちん、人の名前と顔覚えるの苦手だから仕方ないっしょ。もともとめっちゃ理系の人だし」
 理美ちゃんが私の隣に座ると、
「えっ、理系なの? 超文系って顔してるのに」
 驚かれたけれど、理系文系って顔で判別できるものなのだろうか。
 とりあえず、
「英語、世界史、古典は大の苦手です……」
 親しくもない人にどうして苦手科目を話してるのだろうと思いつつ、どこか自分をフォローしている気がしなくもなかった。
「それにしても、昨日告ってきた人間の顔と名前を忘れるとは……。さすが翠ちんだよね」
 これは褒められていることにはならないよね……?
「ちょっと今、頭の容量オーバー中でとても覚えられる気がしないの」
「それ、暗に覚える気がないって俺に宣告してね?」
 至近距離で顔を覗き込まれ、びっくりして身を引いた。
 こういうのは苦手。そんなに近くに寄らないで――
 秋斗さんや司先輩とは違う。恥ずかしいよりも苦手意識が先に立つ。
 目をぎゅっと瞑ると、
「はい、千里近づきすぎ」
 と、理美ちゃんが間に入ってくれた。
「あれ? 翠葉、廊下にいたの? もう教室入って大丈夫……って、千里じゃん」
「あ、海斗も御園生さんと同じクラス?」
 言いながらふたりはじゃれつく。その様子を見て、サザナミくんも内進生なのだとわかる。
「翠ちん、教室に入ろう」
「うん……」
 立ち上がろうとすると、「ほら」と海斗くんが手を出してくれた。
 今はその気遣いがとても嬉しい。
 秋斗さんや司先輩に差し出される手は時々躊躇してしまうけれど、海斗くんや佐野くんの手は大丈夫……。
 素直にその手を借りてゆっくりと立ち上がった。けれどもだめだった……。
「海斗くん、ごめん。少し――」
「うん、大丈夫だから」
 と、手に力を入れて身体を支えてくれる。
「ね、大丈夫って言ってたけど結構だめっぽくね?」
 サザナミくんに訊かれて、
「ううん……本当に、大丈夫だから」
 もうそれ以上は訊いてほしくなかった。
「でもっ――」
「千里っ、今日の午後練、男女混合学年対抗戦するって知ってる? さっき武田先生に聞いたんだ」
 二度までも理美ちゃんが間に入って遮ってくれた。そして、今度はそのままサザナミくんを引き離すように背中を押してどこかへ行ってくれた。
「……海斗くん、ありがとう。もう大丈夫」
「今日はホームルーム終わったら図書棟まで送るよ」
「あ、それなんだけどね。さっき司先輩にも同じことを言われて……。実は体育教官室からここまでも送ってくれたの」
 海斗くんはびっくりした顔をしていた。
「司が?」
「……うん。あれは司先輩だったと思うのだけど……」
「そう、司がねぇ……。ま、いいや。司がついていくなら安心」
 そんな話をしつつ教室へ入った。
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