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第四章 恋する気持ち
12話
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私は秋斗さんと話しながら眠ってしまったようで、翌朝栞さんに起こされるまでは痛みで起きることもなかった。
まだ五月後半。入梅するとしても来週か再来週のはず。それとも、今年は少し早いのだろうか……。
何にせよ、憂鬱になる不調が始まる。
もともと天候の変化には弱い。けれども、この季節は気圧の変化も大きくとくに堪える。
痛み止めを常用するようになれば血圧も体温も下がりやすくなるし、痛み軽減のために副交感神経を優位にする薬を飲み始めればぼーっとすることが多くなる。
また今年も始まる、悪夢のような二ヶ月が――
心なし、外の天気を気にしつつダイニングテーブルに着く。
「大丈夫?」
「大丈夫です。毎年のことですから……」
「……毎年のことだから慣れているというものでもないでしょう?」
どこか困った顔で見られた。
今日の朝食は栞さん特製野菜スープ。
お昼ご飯も食べられそうにはなく、スープを作ってもらっている。
お弁当の時間はどうしようかな……。
クラスの人は私の身体のことは詳しくなくとも知ってはいる。今さら隠す必要がないくらいには打ち解けたとも思う。
でも、だからといって見られたいものではない。
サーモスステンレスを横目にため息をつく。
どこか重たい気分は学校に着いても変わらなかった。
教室のドアを開けると、今日も桃華さんが先に来ていた。そして、今日も蒼兄が昇降口までついてきた。
「桃華さん、おはよう」
「おはよう。……今日、すごく顔色悪いわよ?」
「うん……ちょっとね。この季節は苦手なの」
「季節の変わり目?」
「……というよりは梅雨の季節かな」
「……結構長い期間ね」
「うん。だからなんとなく気分も重いの」
「……顔色見れば気づける自信はあるけど……。でも、言えるなら言ってね?」
少し遠慮気味に言われる。
「うん」
返事をした私は問題集も開かずに机に突っ伏す。
「ちょっと……本当に大丈夫なのっ?」
「栞さんの許可が下りるくらいには大丈夫だよ」
ただ、薬の分量が増えて身体がだるかった。
それは今さらどうこうできることではないし、この先二ヶ月は続くのだから慣れなくてはいけない。
目を閉じてはいるけれど寝ているわけではなく、ただひたすら自分の感覚を研ぎ澄ませていた。
時間の経過と共に、徐々に周りが賑やかになってくる。
あぁ、この感覚はあれに似ている。朝、起きるときに五感が働きだす感覚に……。
「翠葉?」
飛鳥ちゃんの声に目を開けた。
「ん?」
「大丈夫?」
「うん。無理して来ているわけじゃないから、大丈夫だよ」
ホームルームが始まる前に川岸先生が側まで来た。
「湊先生が昼休みに保健室に来るように言ってたぞ」
「はい、わかりました」
診察かなと思いつつ、保健室でご飯を食べられることにほっとした。
授業は板書をノートに書くのが精一杯。全然頭に入ってくる気配がない。
これは復習しないとだめそうだ。
古典と英語の授業では指名されなかったのが救い。数学と化学はぼーっとした頭でもなんとか乗り切れた。
昼休みになるとランチバッグを持って席を立つ。
「保健室に行ってくるね」
飛鳥ちゃんと桃華さんに断わって席を立つと、海斗くんが一緒に立ち上がった。
「俺、ついていくよ」
「そこまで無理してるわけじゃないから大丈夫だよ」
「ん、でも気になるから。ほら、行くよ」
海斗くんは先に歩き始める。
「あれは私たちの名代よ」
桃華さんに言われて、
「翠葉、早くーっ」
教室の前のドアから海斗くんに催促された。
保健室の前まで来ると、
「じゃぁ、あとでな」
海斗くんは踵を返して廊下を戻り始めた。
コンコンコンコン――
「失礼します」
ドアを開けるとデスクの前に座った湊先生がこちらを向いた。
一通りの診察を行って処方薬を渡されると、
「例年より少し早いけど、今日から薬の分量を増やそう。いつも以上に血圧が下がるから気をつけるように。……約二ヶ月か――つらいと思うけどのらりくらりとかわすわよ」
「はい」
すでに血圧は七十半ばまで落ちている。
「憂鬱って顔ね」
「……湊先生、お弁当が食べられない日、ここで食べてもいいですか?」
湊先生はタイピングの手を止め、
「いいわよ。でも、あの小姑たちが寂しがるんじゃないの?」
痛いところをつかれた気分。
「事情を話せば大丈夫かな、と……」
「……毎年この季節は点滴を打ちながら乗り切ってるのか――」
カルテを見ながら言われる。
「食べられないときはここで放課後に点滴打ってあげるから、経口摂取ができなくなる前には来るのよ?」
「はい」
診察が終わると保健室中央にある白いテーブルへと移る。しかし、先生の手にはカップしかない。
「先生、お昼ご飯は?」
「じきに届くわ」
言った直後、
「湊先生いるかい?」
中庭から人が現れた。
「いるわよ。いつもありがとう」
先生はその人からお弁当らしきものを受け取った。
「……なんですか、今の」
「病院に出入りしている弁当業者。あっちで仕事してたときからの顔見知りでね。こっちに移ってからもお願いしてるの」
「……秋斗さんもこういうの利用すればいいのに」
「は?」
「何度か秋斗さんとお昼を一緒に食べたんですけど、コンビニのパンふたつでびっくりしちゃいました」
「秋斗らしいわね。っていうか、パンふたつ食べてるならまだいいほうよ。あれ、意外と食には無頓着だから」
言いながら蓋を開けるとハンバーグが入っていた。ほかにはアスパラのお浸しや卵焼き、野菜の煮物。デザートには果物までついている。
見るからに栄養のバランスが良さそうだ。
「……湊先生、秋斗さんってどんな人ですか?」
「……どんなって、見たまんまよ? 翠葉にはどう見えるの?」
どう――
まさか訊き返されるとは思っていなくて、すぐに答えることができない。
「……優しい空気を纏ってる人。油断して甘えてしまうと、カプッて噛まれそうな……」
「あはははははっ! 秋斗、どんだけ危険人物なのよっ!」
こんなに豪快に笑われるとは思いもしなかった。
「……でも、一緒にいて疲れない人だな、と」
「そう。……じゃ、司は?」
司先輩……?
「第一印象は格好いいけど意地悪な人、です」
「くっ、それはそれでおかしい。で、今は?」
「今は……そうだなぁ。やっぱり格好いいけど意地悪な人、です。優しいのも知ってるんですけど、第一印象が強すぎて……」
「うちの愚弟、いったい何やらかしたのよ」
「え? 思い切りいじめられました。私、泣きそうでしたし」
「まったく、しょうがない男どもね」
そんなふうに言うけれど、かわいくて仕方ない弟と従弟、というふうに聞こえる。
司先輩は湊先生のようには笑わない。だから、どこか新鮮なものを見る気分で湊先生を見ていた。
なんとかお昼休み中にサーモスステンレスの中身を空にすることができ、ピルケースから薬を取り出し飲み込むも、
「午後の授業寝ちゃったらどうしましょう……」
テーブルに突っ伏していると、佐野くんが迎えに来てくれた。
「御園生戻れる?」
「うん、大丈夫」
突っ伏したまま答えると、
「湊先生、これ、本当に大丈夫なんですか?」
「かろうじて……ってところかしらね。ま、くれぐれもよろしく頼むわ。ほら、さっさと教室に戻んなさい」
と、保健室を追い出された。
まだ五月後半。入梅するとしても来週か再来週のはず。それとも、今年は少し早いのだろうか……。
何にせよ、憂鬱になる不調が始まる。
もともと天候の変化には弱い。けれども、この季節は気圧の変化も大きくとくに堪える。
痛み止めを常用するようになれば血圧も体温も下がりやすくなるし、痛み軽減のために副交感神経を優位にする薬を飲み始めればぼーっとすることが多くなる。
また今年も始まる、悪夢のような二ヶ月が――
心なし、外の天気を気にしつつダイニングテーブルに着く。
「大丈夫?」
「大丈夫です。毎年のことですから……」
「……毎年のことだから慣れているというものでもないでしょう?」
どこか困った顔で見られた。
今日の朝食は栞さん特製野菜スープ。
お昼ご飯も食べられそうにはなく、スープを作ってもらっている。
お弁当の時間はどうしようかな……。
クラスの人は私の身体のことは詳しくなくとも知ってはいる。今さら隠す必要がないくらいには打ち解けたとも思う。
でも、だからといって見られたいものではない。
サーモスステンレスを横目にため息をつく。
どこか重たい気分は学校に着いても変わらなかった。
教室のドアを開けると、今日も桃華さんが先に来ていた。そして、今日も蒼兄が昇降口までついてきた。
「桃華さん、おはよう」
「おはよう。……今日、すごく顔色悪いわよ?」
「うん……ちょっとね。この季節は苦手なの」
「季節の変わり目?」
「……というよりは梅雨の季節かな」
「……結構長い期間ね」
「うん。だからなんとなく気分も重いの」
「……顔色見れば気づける自信はあるけど……。でも、言えるなら言ってね?」
少し遠慮気味に言われる。
「うん」
返事をした私は問題集も開かずに机に突っ伏す。
「ちょっと……本当に大丈夫なのっ?」
「栞さんの許可が下りるくらいには大丈夫だよ」
ただ、薬の分量が増えて身体がだるかった。
それは今さらどうこうできることではないし、この先二ヶ月は続くのだから慣れなくてはいけない。
目を閉じてはいるけれど寝ているわけではなく、ただひたすら自分の感覚を研ぎ澄ませていた。
時間の経過と共に、徐々に周りが賑やかになってくる。
あぁ、この感覚はあれに似ている。朝、起きるときに五感が働きだす感覚に……。
「翠葉?」
飛鳥ちゃんの声に目を開けた。
「ん?」
「大丈夫?」
「うん。無理して来ているわけじゃないから、大丈夫だよ」
ホームルームが始まる前に川岸先生が側まで来た。
「湊先生が昼休みに保健室に来るように言ってたぞ」
「はい、わかりました」
診察かなと思いつつ、保健室でご飯を食べられることにほっとした。
授業は板書をノートに書くのが精一杯。全然頭に入ってくる気配がない。
これは復習しないとだめそうだ。
古典と英語の授業では指名されなかったのが救い。数学と化学はぼーっとした頭でもなんとか乗り切れた。
昼休みになるとランチバッグを持って席を立つ。
「保健室に行ってくるね」
飛鳥ちゃんと桃華さんに断わって席を立つと、海斗くんが一緒に立ち上がった。
「俺、ついていくよ」
「そこまで無理してるわけじゃないから大丈夫だよ」
「ん、でも気になるから。ほら、行くよ」
海斗くんは先に歩き始める。
「あれは私たちの名代よ」
桃華さんに言われて、
「翠葉、早くーっ」
教室の前のドアから海斗くんに催促された。
保健室の前まで来ると、
「じゃぁ、あとでな」
海斗くんは踵を返して廊下を戻り始めた。
コンコンコンコン――
「失礼します」
ドアを開けるとデスクの前に座った湊先生がこちらを向いた。
一通りの診察を行って処方薬を渡されると、
「例年より少し早いけど、今日から薬の分量を増やそう。いつも以上に血圧が下がるから気をつけるように。……約二ヶ月か――つらいと思うけどのらりくらりとかわすわよ」
「はい」
すでに血圧は七十半ばまで落ちている。
「憂鬱って顔ね」
「……湊先生、お弁当が食べられない日、ここで食べてもいいですか?」
湊先生はタイピングの手を止め、
「いいわよ。でも、あの小姑たちが寂しがるんじゃないの?」
痛いところをつかれた気分。
「事情を話せば大丈夫かな、と……」
「……毎年この季節は点滴を打ちながら乗り切ってるのか――」
カルテを見ながら言われる。
「食べられないときはここで放課後に点滴打ってあげるから、経口摂取ができなくなる前には来るのよ?」
「はい」
診察が終わると保健室中央にある白いテーブルへと移る。しかし、先生の手にはカップしかない。
「先生、お昼ご飯は?」
「じきに届くわ」
言った直後、
「湊先生いるかい?」
中庭から人が現れた。
「いるわよ。いつもありがとう」
先生はその人からお弁当らしきものを受け取った。
「……なんですか、今の」
「病院に出入りしている弁当業者。あっちで仕事してたときからの顔見知りでね。こっちに移ってからもお願いしてるの」
「……秋斗さんもこういうの利用すればいいのに」
「は?」
「何度か秋斗さんとお昼を一緒に食べたんですけど、コンビニのパンふたつでびっくりしちゃいました」
「秋斗らしいわね。っていうか、パンふたつ食べてるならまだいいほうよ。あれ、意外と食には無頓着だから」
言いながら蓋を開けるとハンバーグが入っていた。ほかにはアスパラのお浸しや卵焼き、野菜の煮物。デザートには果物までついている。
見るからに栄養のバランスが良さそうだ。
「……湊先生、秋斗さんってどんな人ですか?」
「……どんなって、見たまんまよ? 翠葉にはどう見えるの?」
どう――
まさか訊き返されるとは思っていなくて、すぐに答えることができない。
「……優しい空気を纏ってる人。油断して甘えてしまうと、カプッて噛まれそうな……」
「あはははははっ! 秋斗、どんだけ危険人物なのよっ!」
こんなに豪快に笑われるとは思いもしなかった。
「……でも、一緒にいて疲れない人だな、と」
「そう。……じゃ、司は?」
司先輩……?
「第一印象は格好いいけど意地悪な人、です」
「くっ、それはそれでおかしい。で、今は?」
「今は……そうだなぁ。やっぱり格好いいけど意地悪な人、です。優しいのも知ってるんですけど、第一印象が強すぎて……」
「うちの愚弟、いったい何やらかしたのよ」
「え? 思い切りいじめられました。私、泣きそうでしたし」
「まったく、しょうがない男どもね」
そんなふうに言うけれど、かわいくて仕方ない弟と従弟、というふうに聞こえる。
司先輩は湊先生のようには笑わない。だから、どこか新鮮なものを見る気分で湊先生を見ていた。
なんとかお昼休み中にサーモスステンレスの中身を空にすることができ、ピルケースから薬を取り出し飲み込むも、
「午後の授業寝ちゃったらどうしましょう……」
テーブルに突っ伏していると、佐野くんが迎えに来てくれた。
「御園生戻れる?」
「うん、大丈夫」
突っ伏したまま答えると、
「湊先生、これ、本当に大丈夫なんですか?」
「かろうじて……ってところかしらね。ま、くれぐれもよろしく頼むわ。ほら、さっさと教室に戻んなさい」
と、保健室を追い出された。
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