99 / 1,060
第三章 恋の入口
29話
しおりを挟む
あまりテストに集中できなかった二日目。
中間考査を受けたあと、午後の未履修分野の試験を受けた。
ギリギリだったのは古典の九十一点。ほかは物理が満点で英語と世界史が九十七点だった。
とりあえず全部パスできたことにほっとしたし、肩の荷が下りた気もしていた。
今日は先生に無理をお願いし、お昼休みを入れず、十二時四十分からテストを始めさせてもらった。
お弁当にスープは持ってきていたけれど、どうしても飲めそうになかったのだ。
先生は、「私は食べててもいいのかな?」と言いながら、愛妻弁当らしきものをカウンター内で広げていた。
すべてが終わり、私はグラウンドを見下ろすことのできる観覧席に座っていた。
さすがに持たせてもらったスープを手付かずで持って帰るわけにはいかない。
時間をかけて少しずつ少しずつスープを飲んでいた。
すでに生徒は皆下校していて人影はない。
あと少しで三時半。
「……一時間経っても飲み終わらないなんて」
思わず自分の胃に文句を言いたくなる。
生徒がいない校内にはチャイムが響くこともなく、まるで世界から切り離されてしまったような気がする。
それは、ここから見える空が、穴がぽっかりと開いたように見えるからだろうか。
広いはずの空が、なんだか狭く見えた。
時の流れを感じられない場所で途方に暮れていると、ポケットの中で携帯が存在を主張し始める。
携帯を手に取ると、ストラップがかわいく揺れた。
ディスプレイには「藤宮秋斗」の文字。
「秋斗、さん……?」
今日も図書室でのテストだったけれど、会ってはいない。
気にはなっていたけれど、昨日の今日でインターホンを押す勇気はなかった。
のろのろとメールを表示させる。
件名 :昨日はごめんね
本文 :冷たい言い方をして……。
あとで湊ちゃんに怒られました。
翠葉ちゃんにはうつらなかったかな?
それだけが心配です。
僕はもう治ったから安心して。
心配させてごめんね。
それから、ありがとう。
「これに返信……。どうしよう――」
まだ半分は残っていそうなトールサイズのサーモスステンレスを脇に置くと、メール画面を起動させた。
「うーん……。風邪はひいてないよね?」
件名 :大丈夫です
本文 :風邪はうつっていないので大丈夫です。
早く治って良かったです。
「……かな」
出来上がったメールは読み返すまでもない。
三行しかないうえに、なんとも味気ない文章。
そうは思っても、これ以上の文章が出てくるとも思えず、そのまま返信することにした。
「……良かった、かな」
ディスプレイに「送信完了」の文字を見て首を傾げてしまう。と、後ろからカーペンターズの「Close to you」が流れ出した。
びっくりして振り返ると、秋斗さんが立っていた。
ただただ見上げていると、秋斗さんがしゃがんで、私の脇に置いてあったタンブラーを手に取った。
「もしかして、これが飲み終わるまでここにいるつもりだったとか?」
「……はい」
「でも、もうテストが終わってから一時間は経ってるよね?」
何も言えずにいると、
「僕が飲もうか?」
訊かれてびっくりしていると、秋斗さんがタンブラーを傾けゴクゴクと飲み干してしまった。
「ご馳走様」
言って、蓋を閉め手渡される。
熱、本当に下がったんだ……。昨日はあんなにつらそうだったのに……。
すごいな。羨ましいくらいの回復力……。
その回復力が少しでも私にあればいいのに。
「ね? 元気になったでしょ? もう熱もないよ」
と、私の手を取り額をつける。
私はびっくりして手を引いてしまった。
「あれ? 昨日は自分から触れてくれたのに」
少し首を傾げて意地悪く笑う。
「昨日は、具合悪そうだったから……」
「うん、ごめん。翠葉ちゃんとこうやって普通に話すこと自体が久しぶりで、少々意地悪が入りました」
秋斗さんは笑いながら自分の非を認めた。
「昨日はハーブティーをありがとうございました。おかげで落ち着いてテストが受けられました」
「さっき刈谷先生に聞いたよ。全科目パスしたってね? おめでとう」
「古典はギリギリでしたけどね」
そう言って立ち上がる。
タンブラーの中身はなくなったしここにいる必要がなくなったのだ。
「それじゃ、私、帰ります」
「あと一日がんばってね」
「はい」
そのままそこで別れた。
熱が下がって良かった……。
今日は元気そうで、良かった。
それだけを思いながら歩いて帰ると、あっという間に栞さんの家に着いていた。
夕飯もまともに食べられる気はしない。
早いうちに栞さんに話そう。今ならまだ間に合うかもしれない……。
できればこの部屋でひとりで食べたいな……。
どうしても、あの賑やかな食卓に自分が不釣合いな気がしてしまうのだ。
普通に食べられたときはとても楽しいと感じていたのに。
栞さんの家に来てから、帰宅後にすぐお風呂に入るのが日課になっていた。
今日も同じように支度をしてお風呂へ向かう。
ご飯の件を話すと、ひとりでたべることは問答無用で却下された。
「果物を一緒に出してあげるから、スープと果物を食べなさい」
こればかりは従うしかないので、おとなしく引き下がった。
湯船に浸かりながらバングルに触れる。
お風呂に入るときもつけたままのバングル。
明日、テストが終わったら桃華さんに時間をもらっている。
約束どおり、このバングルのことを話すために。
司先輩が言うとおり、それほど恐れるような反応はされないのかもしれない。
でも、やっぱり勇気がいることには変わりないのだ。
お湯の中に腕を沈めては浮かせる。
浮力を何度か感じたあと、お風呂を出ることにした。
いつものように冷水を手足に浴びせ、開ききった血管を締める。
これをやらずに上がると眩暈で倒れてしまうから。
こんな私が将来できる仕事などあるのだろうか……。
デスクワークですら椅子に長時間座っている必要がある。
私が就ける仕事などないのではないか、という不安が頭をよぎる。
夕方六時を回ると徐々に人が集まりだす神崎家。
蒼兄が来ると、無事全教科パスしたことを伝えた。
「良かったな」
と、笑顔で答えたのは蒼兄だけで、ほかの面々は大笑いする人もいれば、顔を引きつらせる人もいる。
前者は湊先生と静さん、栞さん。後者は海斗くん。
なんとなく司先輩の表情をうかがい見ると、いつもと変わらない無表情だった。
今回のテスト期間に楓先生に会うことはなかった。
どうやら術後が不安定な患者さんがいるらしい。
楓先生が麻酔科医として勤務することになったのは湊先生から聞いた。
麻酔科、か……。
今年もお世話になるのかな……。
そんなことを考えつつ、その場の会話に耳を傾ける。
静さんは夕飯を食べたらまたホテルへ戻るそう。
この会食が今日で終わりということもあり、アンダンテのケーキを片手にやってきた。
それを栞さんが喜び、
「はい、翠葉ちゃん。苺タルト」
と、ご飯の席で私に出した。
私は栞さんの顔を見て唖然とする。
「いいのよ。食べられるものを食べれば」
周りの人の反応が気になって、ちら、と見る。
静さんは不思議そうにしているものの何を訊かれるでもない。
そして、今の私の状況を知っている海斗くんたちもノーリアクション。
ありがたいというよりも、ここまでくると誰かに突っ込んでほしい気がしてくる。
居心地の悪さを感じながらタルトを口に入れたけど、程よい甘さと香ばしいタルト生地に自然と頬が緩む。
「今度から、うちのホテルにもアンダンテのケーキを仕入れることになったんだ」
「え……そうなんですか?」
「お、釣れたかな?」
言われて恥ずかしくなる。
でも、私はアンダンテのケーキで十分釣れます……。
「いつでも食べにおいで」
静さんはにっこりと笑った。
そのまま談笑が続き、八時になると静さんは仕事に戻り、司先輩と海斗くんは勉強のために湊先生の家へ移動した。
蒼兄と湊先生はまだここにいる。
「翠葉、診察するから部屋に行ってなさい」
湊先生に言われて、与えられた客間に戻る。と、少し遅れて湊先生がやってきた。
「ま、診察も何も随時バイタルチェックしてるからそんなにやることはないんだけど」
言いながらも聴診器を使っての診察が始まった。
二分くらい吸って吐いてを繰り返すと、
「何か抱えてる悩みは?」
「……将来について少々」
「将来?」
湊先生は素っ頓狂な声を挙げた。
「将来です……」
「……将来って、将来、よね?」
「そうですね……。進学とか、職業とか夢? ……あれ、それは何か違うかな? 職業かな?」
「……あんた、テスト期間中に何考えてんのよ」
湊先生の口元が引きつる。
今日の湊先生は黒のハイネックノースリーブと、黒の細身のジーパン。
デスクの椅子に越しかけ、長い脚を組んでいる。
身長があるので脚も長く、スタイルが良くて格好いい。
胸元で鈍い光を放つ大ぶりのクロスのネックレスがアクセント。
「確かに……テスト期間に考えることでもないですよね」
言われて気づいた。
気づいたけれど、気づいたからそこで終わり、とはできないわけで……。
「先生は? 先生はどうしてお医者様になろうとしたんですか?」
「うーん……お父様が医者だからっていうのが一番大きいかしら? でも、人体に興味があったからだと思うわ」
人体に興味、か。
私も多分にもれず、自分の身体には色々疑問を抱いてはいるけれど、そういうのとはまた別なのだろう。
「でも、栞は別よ。栞はもともと世話好きなの。紫さんは医者の白衣が格好良く見えたからだって。意外とみんなそんなものよ?」
そうなのね……。
でも、それでお医者さんになれるのだからすごいと思うし、何よりもいいな、と思う。
「何をそんなに考えることがあるのよ。翠葉は?」
「……今使えそうな頭総動員で考えているんですけど、見つかりそうになくて……。デスクワークもきつそうだし、これならできるかも、と思えるものがひとつも思い浮かばないんです」
「その時点で何か違うでしょ? 夢ってのはなれそうなものを探すんじゃなくて、なりたいものを見つけるもの」
……そっか。そういう考え方もあるのか。
でも――
「まずはやりたいことを見つけるのが先じゃないかしら?」
考えるより先、湊先生に遮られた。
「でも――」
「それをやるにあたって何が障害になるのかはあとから考えればいい。最初から入り口を狭めるから見つかるものも見つからないのよ」
「……そう、なのかな」
「そうよ」
湊先生に断言されるとなんでもそんな気がしてくるから不思議だ。
「ほらほら、そんなこと考えてる余裕があるならテスト勉強して一点でも多く採るっ! そのほうが選択肢も広がるわよ」
言いながら部屋を出ていってしまった。
そのすぐあとに蒼兄が来て、幸倉に帰ることを告げられた。
「あと一日がんばれ。荷物もあるし、明日はここで夕飯を食べることになったから。学校で待っててもいいし、先にここへ帰ってきててもいいから」
「うん。どっちにするかはまたメールするね」
そう言うと、栞さんと湊先生に挨拶をして蒼兄は帰った。
中間考査を受けたあと、午後の未履修分野の試験を受けた。
ギリギリだったのは古典の九十一点。ほかは物理が満点で英語と世界史が九十七点だった。
とりあえず全部パスできたことにほっとしたし、肩の荷が下りた気もしていた。
今日は先生に無理をお願いし、お昼休みを入れず、十二時四十分からテストを始めさせてもらった。
お弁当にスープは持ってきていたけれど、どうしても飲めそうになかったのだ。
先生は、「私は食べててもいいのかな?」と言いながら、愛妻弁当らしきものをカウンター内で広げていた。
すべてが終わり、私はグラウンドを見下ろすことのできる観覧席に座っていた。
さすがに持たせてもらったスープを手付かずで持って帰るわけにはいかない。
時間をかけて少しずつ少しずつスープを飲んでいた。
すでに生徒は皆下校していて人影はない。
あと少しで三時半。
「……一時間経っても飲み終わらないなんて」
思わず自分の胃に文句を言いたくなる。
生徒がいない校内にはチャイムが響くこともなく、まるで世界から切り離されてしまったような気がする。
それは、ここから見える空が、穴がぽっかりと開いたように見えるからだろうか。
広いはずの空が、なんだか狭く見えた。
時の流れを感じられない場所で途方に暮れていると、ポケットの中で携帯が存在を主張し始める。
携帯を手に取ると、ストラップがかわいく揺れた。
ディスプレイには「藤宮秋斗」の文字。
「秋斗、さん……?」
今日も図書室でのテストだったけれど、会ってはいない。
気にはなっていたけれど、昨日の今日でインターホンを押す勇気はなかった。
のろのろとメールを表示させる。
件名 :昨日はごめんね
本文 :冷たい言い方をして……。
あとで湊ちゃんに怒られました。
翠葉ちゃんにはうつらなかったかな?
それだけが心配です。
僕はもう治ったから安心して。
心配させてごめんね。
それから、ありがとう。
「これに返信……。どうしよう――」
まだ半分は残っていそうなトールサイズのサーモスステンレスを脇に置くと、メール画面を起動させた。
「うーん……。風邪はひいてないよね?」
件名 :大丈夫です
本文 :風邪はうつっていないので大丈夫です。
早く治って良かったです。
「……かな」
出来上がったメールは読み返すまでもない。
三行しかないうえに、なんとも味気ない文章。
そうは思っても、これ以上の文章が出てくるとも思えず、そのまま返信することにした。
「……良かった、かな」
ディスプレイに「送信完了」の文字を見て首を傾げてしまう。と、後ろからカーペンターズの「Close to you」が流れ出した。
びっくりして振り返ると、秋斗さんが立っていた。
ただただ見上げていると、秋斗さんがしゃがんで、私の脇に置いてあったタンブラーを手に取った。
「もしかして、これが飲み終わるまでここにいるつもりだったとか?」
「……はい」
「でも、もうテストが終わってから一時間は経ってるよね?」
何も言えずにいると、
「僕が飲もうか?」
訊かれてびっくりしていると、秋斗さんがタンブラーを傾けゴクゴクと飲み干してしまった。
「ご馳走様」
言って、蓋を閉め手渡される。
熱、本当に下がったんだ……。昨日はあんなにつらそうだったのに……。
すごいな。羨ましいくらいの回復力……。
その回復力が少しでも私にあればいいのに。
「ね? 元気になったでしょ? もう熱もないよ」
と、私の手を取り額をつける。
私はびっくりして手を引いてしまった。
「あれ? 昨日は自分から触れてくれたのに」
少し首を傾げて意地悪く笑う。
「昨日は、具合悪そうだったから……」
「うん、ごめん。翠葉ちゃんとこうやって普通に話すこと自体が久しぶりで、少々意地悪が入りました」
秋斗さんは笑いながら自分の非を認めた。
「昨日はハーブティーをありがとうございました。おかげで落ち着いてテストが受けられました」
「さっき刈谷先生に聞いたよ。全科目パスしたってね? おめでとう」
「古典はギリギリでしたけどね」
そう言って立ち上がる。
タンブラーの中身はなくなったしここにいる必要がなくなったのだ。
「それじゃ、私、帰ります」
「あと一日がんばってね」
「はい」
そのままそこで別れた。
熱が下がって良かった……。
今日は元気そうで、良かった。
それだけを思いながら歩いて帰ると、あっという間に栞さんの家に着いていた。
夕飯もまともに食べられる気はしない。
早いうちに栞さんに話そう。今ならまだ間に合うかもしれない……。
できればこの部屋でひとりで食べたいな……。
どうしても、あの賑やかな食卓に自分が不釣合いな気がしてしまうのだ。
普通に食べられたときはとても楽しいと感じていたのに。
栞さんの家に来てから、帰宅後にすぐお風呂に入るのが日課になっていた。
今日も同じように支度をしてお風呂へ向かう。
ご飯の件を話すと、ひとりでたべることは問答無用で却下された。
「果物を一緒に出してあげるから、スープと果物を食べなさい」
こればかりは従うしかないので、おとなしく引き下がった。
湯船に浸かりながらバングルに触れる。
お風呂に入るときもつけたままのバングル。
明日、テストが終わったら桃華さんに時間をもらっている。
約束どおり、このバングルのことを話すために。
司先輩が言うとおり、それほど恐れるような反応はされないのかもしれない。
でも、やっぱり勇気がいることには変わりないのだ。
お湯の中に腕を沈めては浮かせる。
浮力を何度か感じたあと、お風呂を出ることにした。
いつものように冷水を手足に浴びせ、開ききった血管を締める。
これをやらずに上がると眩暈で倒れてしまうから。
こんな私が将来できる仕事などあるのだろうか……。
デスクワークですら椅子に長時間座っている必要がある。
私が就ける仕事などないのではないか、という不安が頭をよぎる。
夕方六時を回ると徐々に人が集まりだす神崎家。
蒼兄が来ると、無事全教科パスしたことを伝えた。
「良かったな」
と、笑顔で答えたのは蒼兄だけで、ほかの面々は大笑いする人もいれば、顔を引きつらせる人もいる。
前者は湊先生と静さん、栞さん。後者は海斗くん。
なんとなく司先輩の表情をうかがい見ると、いつもと変わらない無表情だった。
今回のテスト期間に楓先生に会うことはなかった。
どうやら術後が不安定な患者さんがいるらしい。
楓先生が麻酔科医として勤務することになったのは湊先生から聞いた。
麻酔科、か……。
今年もお世話になるのかな……。
そんなことを考えつつ、その場の会話に耳を傾ける。
静さんは夕飯を食べたらまたホテルへ戻るそう。
この会食が今日で終わりということもあり、アンダンテのケーキを片手にやってきた。
それを栞さんが喜び、
「はい、翠葉ちゃん。苺タルト」
と、ご飯の席で私に出した。
私は栞さんの顔を見て唖然とする。
「いいのよ。食べられるものを食べれば」
周りの人の反応が気になって、ちら、と見る。
静さんは不思議そうにしているものの何を訊かれるでもない。
そして、今の私の状況を知っている海斗くんたちもノーリアクション。
ありがたいというよりも、ここまでくると誰かに突っ込んでほしい気がしてくる。
居心地の悪さを感じながらタルトを口に入れたけど、程よい甘さと香ばしいタルト生地に自然と頬が緩む。
「今度から、うちのホテルにもアンダンテのケーキを仕入れることになったんだ」
「え……そうなんですか?」
「お、釣れたかな?」
言われて恥ずかしくなる。
でも、私はアンダンテのケーキで十分釣れます……。
「いつでも食べにおいで」
静さんはにっこりと笑った。
そのまま談笑が続き、八時になると静さんは仕事に戻り、司先輩と海斗くんは勉強のために湊先生の家へ移動した。
蒼兄と湊先生はまだここにいる。
「翠葉、診察するから部屋に行ってなさい」
湊先生に言われて、与えられた客間に戻る。と、少し遅れて湊先生がやってきた。
「ま、診察も何も随時バイタルチェックしてるからそんなにやることはないんだけど」
言いながらも聴診器を使っての診察が始まった。
二分くらい吸って吐いてを繰り返すと、
「何か抱えてる悩みは?」
「……将来について少々」
「将来?」
湊先生は素っ頓狂な声を挙げた。
「将来です……」
「……将来って、将来、よね?」
「そうですね……。進学とか、職業とか夢? ……あれ、それは何か違うかな? 職業かな?」
「……あんた、テスト期間中に何考えてんのよ」
湊先生の口元が引きつる。
今日の湊先生は黒のハイネックノースリーブと、黒の細身のジーパン。
デスクの椅子に越しかけ、長い脚を組んでいる。
身長があるので脚も長く、スタイルが良くて格好いい。
胸元で鈍い光を放つ大ぶりのクロスのネックレスがアクセント。
「確かに……テスト期間に考えることでもないですよね」
言われて気づいた。
気づいたけれど、気づいたからそこで終わり、とはできないわけで……。
「先生は? 先生はどうしてお医者様になろうとしたんですか?」
「うーん……お父様が医者だからっていうのが一番大きいかしら? でも、人体に興味があったからだと思うわ」
人体に興味、か。
私も多分にもれず、自分の身体には色々疑問を抱いてはいるけれど、そういうのとはまた別なのだろう。
「でも、栞は別よ。栞はもともと世話好きなの。紫さんは医者の白衣が格好良く見えたからだって。意外とみんなそんなものよ?」
そうなのね……。
でも、それでお医者さんになれるのだからすごいと思うし、何よりもいいな、と思う。
「何をそんなに考えることがあるのよ。翠葉は?」
「……今使えそうな頭総動員で考えているんですけど、見つかりそうになくて……。デスクワークもきつそうだし、これならできるかも、と思えるものがひとつも思い浮かばないんです」
「その時点で何か違うでしょ? 夢ってのはなれそうなものを探すんじゃなくて、なりたいものを見つけるもの」
……そっか。そういう考え方もあるのか。
でも――
「まずはやりたいことを見つけるのが先じゃないかしら?」
考えるより先、湊先生に遮られた。
「でも――」
「それをやるにあたって何が障害になるのかはあとから考えればいい。最初から入り口を狭めるから見つかるものも見つからないのよ」
「……そう、なのかな」
「そうよ」
湊先生に断言されるとなんでもそんな気がしてくるから不思議だ。
「ほらほら、そんなこと考えてる余裕があるならテスト勉強して一点でも多く採るっ! そのほうが選択肢も広がるわよ」
言いながら部屋を出ていってしまった。
そのすぐあとに蒼兄が来て、幸倉に帰ることを告げられた。
「あと一日がんばれ。荷物もあるし、明日はここで夕飯を食べることになったから。学校で待っててもいいし、先にここへ帰ってきててもいいから」
「うん。どっちにするかはまたメールするね」
そう言うと、栞さんと湊先生に挨拶をして蒼兄は帰った。
2
お気に入りに追加
355
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
家政婦さんは同級生のメイド女子高生
coche
青春
祖母から習った家事で主婦力抜群の女子高生、彩香(さいか)。高校入学と同時に小説家の家で家政婦のアルバイトを始めた。実はその家は・・・彩香たちの成長を描く青春ラブコメです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる