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第一章 友達
21話
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「とりあえず、みんなはお昼食べたら?」
秋斗さんの一言で、私たちはその場にあるテーブルに着きお弁当を広げ始めた。
「今日は特別だよ。ここ、一応関係者以外立ち入り禁止ってことになってるからね」
「はーい」と間延びした返事をしたのは海斗くんと飛鳥ちゃん。私は小さな声で「すみません」と謝った。
「翠葉ちゃんは条件をクリアすれば問題ないよ」
秋斗さんは優しくそう言ってくれたけど、それは生徒会に入ることが決まれば、という話で、現時点では入ってはいけない人だと思う。
お礼を伝えたらすぐに図書室を出るべきだっただろうか……。
悶々としていると、桃華さんに話しかけられた。
「今日の午後にも体育あるけど、翠葉はどうするの?」
「え、あ……」
昨日休んでいるのだから、今日がレポートでもなんら不思議ではない。でも、その次は――
後日露見するくらいなら今話したほうがいい。
そうは思うのに言葉が出てこない。
「あ、翠葉が黙った! ってことは『否』ってことでしょう?」
「否」は「否」でも、少し違う「否」だ。
言葉に詰まっていると、
「万年レポート族?」
声を発した海斗くんと目が合って外せなくなる。
動揺を隠すこともできずにいると、
「中等部のときにもいたよ、そういうやつ。確か、腎臓悪いって言ってた気がする」
あぁ……そういう人が周りにいたのね。
「翠葉もそうなの?」
桃華さんに顔を覗き込まれる。
「……私は腎臓が悪いわけじゃないけど、体育はもうずっとやっていないの。これからも体育の時間はレポート……」
やっとの思いで答えると、
「よく耐えられるよなー? 俺なんて運動できなかったらストレスを発散させる場所がなくて死んじゃうっ!」
「海斗……」
秋斗さんが海斗くんの名前を呼び、厳しく制した。
「あら、羨ましいじゃない? 夏の暑い中、汗だくになることもないのよ?」
桃華さんが言うと、
「私はレポート書くよりも身体動かすほうがいい。教官室でレポートなんて考えただけでも地獄だよ。一時間で三枚以上書かないといけないんでしょう? 私、絶対無理っ」
みんな思い思いのことを口にする。
悪気がないのはわかっている。でも、正直、少しつらい……。
この会話にどうやって混ざったらいいのかがわからない。
中学のとき、いじめにあった要因のひとつはこれだと思うから。
暑い中、みんなが汗だくになっているのに、私はひとり涼しいところでレポートを書いているだけ。
寒い中、みんなが持久走で苦しい思いをしているとき、私はストーブの側でレポートを書いているだけ。
みんなは何かを一緒に成し遂げることで連帯感が生まれるのに対し、私は徐々にそこへ混ざることができなくなっていった。そして、いつしかクラスではひとり浮く存在となってしまった。
「翠葉、ごめん。無神経だったわ」
「っ……」
顔を上げると、桃華さんが私の異変に気づいてハンカチを差し出してくれていた。
まだ涙は零れていない。でも、それも時間の問題だった。
「えっ、あっ……ごめん、翠葉っ。そうだよね? やりたくなくてやらないのと、やりたいのにできないのは違うよねっ!? ごめんねっ?」
――決壊。涙が零れ、真新しい制服に水滴がはじかれた。
「……ごめん。やっぱ、運動できないってつらいんだな」
海斗くんの声が上から降ってきて、頭をポンポンと叩かれた。
こういうの、慣れてない。
蒼兄に頭をポンポンされるのは慣れているけど、ほかの人にされるのは慣れていなくて、どうしたらいいのかがわからない。
友達が自分の気持ちを察して謝ってくれるなんて、今まで一度もなかった。
幸い、長い髪の毛が一役買ってくれて、泣き顔を晒さずには済んでいるけれど、泣いていること自体を隠すことは無理だった。
「ご、ごめんなさい。私、顔洗ってくるっ」
泣き顔を見られるのには抵抗があって、慌てて椅子から立ち上がった。
次の瞬間、突如訪れるのは激しい眩暈。一気に身体のバランスが崩れる。
「翠葉っ」
「翠葉ちゃんっ」
私はその場に倒れてしまった。
蒼兄……私はいつも怖がってばかりで、どこまでも弱虫で。
どうしてこんなにも意地っ張りなんだろう――
気づくと、知らない部屋で横になっていた。
病院と同じようなベッドに白い天井。ベッドの周りを囲むカーテンレールにはクリーム色のカーテンが吊るされている。
病院のカーテンはミントグリーンだから、病院ではない。
ギギ、ガタッ――
上の階で椅子を引くとき特有の音が聞こえた。きっと校舎内。そして、横になれる場所というなら保健室なのだろう。
自分のいる場所を確認するように視線を巡らせると、チャイムが鳴った。
しばらくすると、廊下から大きな足音が聞こえてくる。まるで全力で走っているような、そんな音。
「失礼しまーすっ。湊ちゃん、翠葉起きた?」
海斗くんの元気のいい声が室内に響き、
「海斗、うるさい。あんたは何度言ったらわかるの。私のことは湊さんと呼べと言ってるでしょうが」
返事をしたのは保健の先生だろうか?
「翠葉、起きた?」
海斗くんがひょっこりとカーテンから顔を出す。
「……うん」
すると、もうひとりがカーテンの中に入ってきた。
「――どうして、女装?」
藤宮先輩が女装しているからびっくりした。
「くっ」
海斗くんが堪えたように笑う。女装した藤宮先輩は顔を歪めた。
「失礼ね……。女よ、どこからどう見てもナイスバディな女でしょっ!?」
「え……?」
「まったく、どこに目をつけてるんだか……。司にこんな色気があってたまるもんですかっ」
……司は、藤宮先輩で……この人は――?
「湊ちゃんは男装の麗人ってほうがしっくりくるけど?」
海斗くんが口にすると瞬時にバコッ、と頭をはたかれた。
「海斗、あとで覚えてなさい?」
冷ややかな笑みは藤宮先輩そのものなのに……。
「湊ちゃん怖いからっ。でも、それにしてもウケるっ! あはは、司が女装って……。くくく……湊ちゃん、面白いから今度やらせてみない?」
「……それはそれで楽しそうだけど」
白衣を着た先生は目を細め、いたずらを思いついたみたいに笑った。
やっぱり似ている……。
「翠葉、この人は司のお姉さんで湊ちゃん」
「湊さんと呼べと何度言ったらわかる?」
海斗くんはもう一発はたかれた。
「あ、秋斗さんが言ってた――私、お姉さんってここの生徒さんか、大学生だと思ってました」
慌てて起き上がろうとしたら、海斗くんに止められた。
「動作はゆっくり、なんでしょ?」
にこりと笑われる。邪気を含まないそれで。
「蒼樹さんが言ってた。何度言っても聞かないから見張ってくれって」
「相変わらずのシスコンか……」
ふぅ、とため息をつきながら湊先生が言う。
「残念ながら、私は生徒でも大学生でもなく、ここの校医。ま、司とは年が離れてるからね。間にもうひとりいるし」
そう言うと、じーっと顔を見られた。
藤宮先輩じゃないとわかっても、藤宮先輩とかぶってしまうため、思わず顔を逸らしてしまう。
「顔色はだいぶ良くなったけど……。血圧と脈診るから。海斗、邪魔っ」
「湊ちゃんひどい……」
砕けた会話にふたりの仲の良さがうかがえた。
血圧を測ってもらっている間、ずっとその顔を見ていた。視線がこちらを向いていなければ見ていられる。
藤宮先輩と瓜二つで本当にきれい。美人さんだ……。とくに横顔が似ていると思う。
私、こういう顔が好きなのかな?
陶器のように白い肌に細い顎。すっと通った鼻に薄い唇。涼しげな目元に漆黒の髪の毛。
藤宮先輩がフレームなしのメガネに対して、湊先生は黒縁メガネをかけていた。
髪の毛の長さはそんなに変わらないくらい。
とても白衣の似合う格好いい人だった。
藤宮先輩も白衣を着たらこんな感じなんだろうか……。
「そんなに見られると穴があく」
「っ……すみませんっ」
「いいけど。どうせならもっと見惚れてなさい。そしたら血圧も上がるでしょ?」
うわっ、笑った――
格好いいっ……違う、きれい……? ……ううん、格好いいと思う。
「八十二の五十六。さっきよりはいいわね。蒼樹じゃないけど、立ち上がるときはゆっくり立ちなさい。守らないとつらいのは自分でしょ?」
「……はい。すみません」
「次の授業は出てもいいわ。あと五分で始まるから、慌てず急いで教室に戻りなさい」
言われて保健室をあとにした。
――慌てず急いで。どこかで聞いたことのあるフレーズ。……あ、栞さん?
そんなことを考えていたけれど、一緒に歩く海斗くんの姿に違和感を覚えた。
その違和感がなんなのかに気づくまで数秒。
「海斗くん、ジャージのままっ」
「あぁ、体育が終わってから即行で来たからね。女子は更衣室で着替えるからこっちに来る余裕ないだろうと思って。教室に戻ったら飛鳥宥めてやってよ。落ち込んでるからさ。……っていうか、もともとは俺たちのせいなんだけど――ごめんっ」
クラス委員を辞退したときのように、顔の前で手を合わせて謝られた。
「わっ、やだ、謝らないで? 倒れちゃったのは自分のせいだから」
精神的に弱いのも、倒れてしまったのもすべて自分が悪い。
「そうじゃない。無神経なこと言って傷つけた。ごめん……。……あのさ、これからも気づかずに無神経なこと言っちゃうかもしれない。でも、俺ら翠葉のこと好きだからさ、傷ついたら傷ついたって言ってくれていいし、ムカついたら怒ってくれていいんだ。嫌だったら嫌だって言ってよ。友達ってそういうもんだろ? 俺らだって気に食わないことがあれば怒るしさ」
言ったあと恥ずかしくなったのか、海斗くんはくる、と向きを変えて階段を上り始めた。
目から鱗? 棚から牡丹餅? こういうの、なんて言うんだっけ……。
ずっと分かれ道の前でどっちを選択しようか悩んでいたのに、道が急に一本になった気分。
「何きょとんとしてんだよ。ほら、あそこ。飛鳥と桃華が待ってる」
階段を上がりきると、教室の後ろのドアのところにふたりが立っていた。
飛鳥ちゃんは私に気づくと駆け寄ってくる。
「翠葉大丈夫!? ごめんね? 傷つけるようなこと言って、ごめんね?」
「私も、ごめんなさい……。びっくりしたでしょう?」
ベッタリと抱きつかれて顔は見えない。でも、飛鳥ちゃんが泣いている気がした。
桃華さんが遅れて私のもとまで来ると、飛鳥ちゃんごとぎゅっと抱きしめられる。
「ばかっ! びっくりするじゃないっ。――無神経なこと言って悪かったわ……。でも、翠葉が何も言ってくれないのも悪いのよっ?」
本当に申し訳ないと思った。こんなことになるくらいなら話せばよかった。
桃華さんの目が充血しているのは見間違いではないだろう。
きっと、それほどまでに心配をかけてしまったのだ。
「ごめんね。どうしても言えなくて……。でも、今度話すから……」
そう言って、ふたりから離れた。
「翠葉?」
飛鳥ちゃんはすごく不安そうな顔をして泣いていた。
「あのね……私、とても意気地なしなの。話すのに勇気がいるの。それとね、友達に身体のことを話したことがなくて、どう説明したらいいのかわからないの。だから……少し時間をもらえる? ちゃんと話すから」
私の後ろにいた海斗くんにも視線を向ける。と、
「待つわよ。最初から待つって言ってるでしょ!?」
桃華さんに叱られた。
そう言われてみれば、お弁当を食べたときにそう言ってくれていた。
あの言葉は嘘じゃないのね……。
「俺、結構気ぃ短いから早めにお願いします。きっとコレも同じ」
海斗くんが飛鳥ちゃんを指差した。
「確かに気は短いけどっ、でも、翠葉が待ってって言うんなら待つっ」
三人が示し合わせたように顔を見合わせると、
「『動作はゆっくり』の監視はするからなっ!」
「『動作はゆっくり』は守ってもらうよ!」
「『動作はゆっくり』はきっちり守らせるわよ?」
三人とも同じ内容を口にした。
真剣な顔が三つ並んでいて、蒼兄みたいな人が一気に増えた感じ。
それが嬉しくて仕方ないのはどうしてだろう。
……きっと、私が三人を好きだからだ。
まだ出逢ってから数日だというのに、こんなに好きになれるものなのね?
自分が傷つかないでいられるための距離を模索していたのに、線を引く場所を探していたはずなのに、そんな場所が見つからないくらい大好きになっていた。
自分をわかってもらいたいと思うのなら、自分が歩み寄らなくちゃいけないのかもしれない。
そして、大好きな人が歩み寄ってくれたなら、ものすごく嬉しいと感じるものなんだ。
私は今まで自分をわかってもらいたいと思うことがあったかな……。
どちらかと言うと、わかってもらえなくてもいいから、かまわないでほしいと思っていた。挙句、自分のことを知られたくないとすら思っていた。
でも、今日、その考えが少し変わった。
私は一歩踏み出す勇気を持たなくちゃいけないのね。
少なくとも、この三人はそれを待ってくれている。
秋斗さんの一言で、私たちはその場にあるテーブルに着きお弁当を広げ始めた。
「今日は特別だよ。ここ、一応関係者以外立ち入り禁止ってことになってるからね」
「はーい」と間延びした返事をしたのは海斗くんと飛鳥ちゃん。私は小さな声で「すみません」と謝った。
「翠葉ちゃんは条件をクリアすれば問題ないよ」
秋斗さんは優しくそう言ってくれたけど、それは生徒会に入ることが決まれば、という話で、現時点では入ってはいけない人だと思う。
お礼を伝えたらすぐに図書室を出るべきだっただろうか……。
悶々としていると、桃華さんに話しかけられた。
「今日の午後にも体育あるけど、翠葉はどうするの?」
「え、あ……」
昨日休んでいるのだから、今日がレポートでもなんら不思議ではない。でも、その次は――
後日露見するくらいなら今話したほうがいい。
そうは思うのに言葉が出てこない。
「あ、翠葉が黙った! ってことは『否』ってことでしょう?」
「否」は「否」でも、少し違う「否」だ。
言葉に詰まっていると、
「万年レポート族?」
声を発した海斗くんと目が合って外せなくなる。
動揺を隠すこともできずにいると、
「中等部のときにもいたよ、そういうやつ。確か、腎臓悪いって言ってた気がする」
あぁ……そういう人が周りにいたのね。
「翠葉もそうなの?」
桃華さんに顔を覗き込まれる。
「……私は腎臓が悪いわけじゃないけど、体育はもうずっとやっていないの。これからも体育の時間はレポート……」
やっとの思いで答えると、
「よく耐えられるよなー? 俺なんて運動できなかったらストレスを発散させる場所がなくて死んじゃうっ!」
「海斗……」
秋斗さんが海斗くんの名前を呼び、厳しく制した。
「あら、羨ましいじゃない? 夏の暑い中、汗だくになることもないのよ?」
桃華さんが言うと、
「私はレポート書くよりも身体動かすほうがいい。教官室でレポートなんて考えただけでも地獄だよ。一時間で三枚以上書かないといけないんでしょう? 私、絶対無理っ」
みんな思い思いのことを口にする。
悪気がないのはわかっている。でも、正直、少しつらい……。
この会話にどうやって混ざったらいいのかがわからない。
中学のとき、いじめにあった要因のひとつはこれだと思うから。
暑い中、みんなが汗だくになっているのに、私はひとり涼しいところでレポートを書いているだけ。
寒い中、みんなが持久走で苦しい思いをしているとき、私はストーブの側でレポートを書いているだけ。
みんなは何かを一緒に成し遂げることで連帯感が生まれるのに対し、私は徐々にそこへ混ざることができなくなっていった。そして、いつしかクラスではひとり浮く存在となってしまった。
「翠葉、ごめん。無神経だったわ」
「っ……」
顔を上げると、桃華さんが私の異変に気づいてハンカチを差し出してくれていた。
まだ涙は零れていない。でも、それも時間の問題だった。
「えっ、あっ……ごめん、翠葉っ。そうだよね? やりたくなくてやらないのと、やりたいのにできないのは違うよねっ!? ごめんねっ?」
――決壊。涙が零れ、真新しい制服に水滴がはじかれた。
「……ごめん。やっぱ、運動できないってつらいんだな」
海斗くんの声が上から降ってきて、頭をポンポンと叩かれた。
こういうの、慣れてない。
蒼兄に頭をポンポンされるのは慣れているけど、ほかの人にされるのは慣れていなくて、どうしたらいいのかがわからない。
友達が自分の気持ちを察して謝ってくれるなんて、今まで一度もなかった。
幸い、長い髪の毛が一役買ってくれて、泣き顔を晒さずには済んでいるけれど、泣いていること自体を隠すことは無理だった。
「ご、ごめんなさい。私、顔洗ってくるっ」
泣き顔を見られるのには抵抗があって、慌てて椅子から立ち上がった。
次の瞬間、突如訪れるのは激しい眩暈。一気に身体のバランスが崩れる。
「翠葉っ」
「翠葉ちゃんっ」
私はその場に倒れてしまった。
蒼兄……私はいつも怖がってばかりで、どこまでも弱虫で。
どうしてこんなにも意地っ張りなんだろう――
気づくと、知らない部屋で横になっていた。
病院と同じようなベッドに白い天井。ベッドの周りを囲むカーテンレールにはクリーム色のカーテンが吊るされている。
病院のカーテンはミントグリーンだから、病院ではない。
ギギ、ガタッ――
上の階で椅子を引くとき特有の音が聞こえた。きっと校舎内。そして、横になれる場所というなら保健室なのだろう。
自分のいる場所を確認するように視線を巡らせると、チャイムが鳴った。
しばらくすると、廊下から大きな足音が聞こえてくる。まるで全力で走っているような、そんな音。
「失礼しまーすっ。湊ちゃん、翠葉起きた?」
海斗くんの元気のいい声が室内に響き、
「海斗、うるさい。あんたは何度言ったらわかるの。私のことは湊さんと呼べと言ってるでしょうが」
返事をしたのは保健の先生だろうか?
「翠葉、起きた?」
海斗くんがひょっこりとカーテンから顔を出す。
「……うん」
すると、もうひとりがカーテンの中に入ってきた。
「――どうして、女装?」
藤宮先輩が女装しているからびっくりした。
「くっ」
海斗くんが堪えたように笑う。女装した藤宮先輩は顔を歪めた。
「失礼ね……。女よ、どこからどう見てもナイスバディな女でしょっ!?」
「え……?」
「まったく、どこに目をつけてるんだか……。司にこんな色気があってたまるもんですかっ」
……司は、藤宮先輩で……この人は――?
「湊ちゃんは男装の麗人ってほうがしっくりくるけど?」
海斗くんが口にすると瞬時にバコッ、と頭をはたかれた。
「海斗、あとで覚えてなさい?」
冷ややかな笑みは藤宮先輩そのものなのに……。
「湊ちゃん怖いからっ。でも、それにしてもウケるっ! あはは、司が女装って……。くくく……湊ちゃん、面白いから今度やらせてみない?」
「……それはそれで楽しそうだけど」
白衣を着た先生は目を細め、いたずらを思いついたみたいに笑った。
やっぱり似ている……。
「翠葉、この人は司のお姉さんで湊ちゃん」
「湊さんと呼べと何度言ったらわかる?」
海斗くんはもう一発はたかれた。
「あ、秋斗さんが言ってた――私、お姉さんってここの生徒さんか、大学生だと思ってました」
慌てて起き上がろうとしたら、海斗くんに止められた。
「動作はゆっくり、なんでしょ?」
にこりと笑われる。邪気を含まないそれで。
「蒼樹さんが言ってた。何度言っても聞かないから見張ってくれって」
「相変わらずのシスコンか……」
ふぅ、とため息をつきながら湊先生が言う。
「残念ながら、私は生徒でも大学生でもなく、ここの校医。ま、司とは年が離れてるからね。間にもうひとりいるし」
そう言うと、じーっと顔を見られた。
藤宮先輩じゃないとわかっても、藤宮先輩とかぶってしまうため、思わず顔を逸らしてしまう。
「顔色はだいぶ良くなったけど……。血圧と脈診るから。海斗、邪魔っ」
「湊ちゃんひどい……」
砕けた会話にふたりの仲の良さがうかがえた。
血圧を測ってもらっている間、ずっとその顔を見ていた。視線がこちらを向いていなければ見ていられる。
藤宮先輩と瓜二つで本当にきれい。美人さんだ……。とくに横顔が似ていると思う。
私、こういう顔が好きなのかな?
陶器のように白い肌に細い顎。すっと通った鼻に薄い唇。涼しげな目元に漆黒の髪の毛。
藤宮先輩がフレームなしのメガネに対して、湊先生は黒縁メガネをかけていた。
髪の毛の長さはそんなに変わらないくらい。
とても白衣の似合う格好いい人だった。
藤宮先輩も白衣を着たらこんな感じなんだろうか……。
「そんなに見られると穴があく」
「っ……すみませんっ」
「いいけど。どうせならもっと見惚れてなさい。そしたら血圧も上がるでしょ?」
うわっ、笑った――
格好いいっ……違う、きれい……? ……ううん、格好いいと思う。
「八十二の五十六。さっきよりはいいわね。蒼樹じゃないけど、立ち上がるときはゆっくり立ちなさい。守らないとつらいのは自分でしょ?」
「……はい。すみません」
「次の授業は出てもいいわ。あと五分で始まるから、慌てず急いで教室に戻りなさい」
言われて保健室をあとにした。
――慌てず急いで。どこかで聞いたことのあるフレーズ。……あ、栞さん?
そんなことを考えていたけれど、一緒に歩く海斗くんの姿に違和感を覚えた。
その違和感がなんなのかに気づくまで数秒。
「海斗くん、ジャージのままっ」
「あぁ、体育が終わってから即行で来たからね。女子は更衣室で着替えるからこっちに来る余裕ないだろうと思って。教室に戻ったら飛鳥宥めてやってよ。落ち込んでるからさ。……っていうか、もともとは俺たちのせいなんだけど――ごめんっ」
クラス委員を辞退したときのように、顔の前で手を合わせて謝られた。
「わっ、やだ、謝らないで? 倒れちゃったのは自分のせいだから」
精神的に弱いのも、倒れてしまったのもすべて自分が悪い。
「そうじゃない。無神経なこと言って傷つけた。ごめん……。……あのさ、これからも気づかずに無神経なこと言っちゃうかもしれない。でも、俺ら翠葉のこと好きだからさ、傷ついたら傷ついたって言ってくれていいし、ムカついたら怒ってくれていいんだ。嫌だったら嫌だって言ってよ。友達ってそういうもんだろ? 俺らだって気に食わないことがあれば怒るしさ」
言ったあと恥ずかしくなったのか、海斗くんはくる、と向きを変えて階段を上り始めた。
目から鱗? 棚から牡丹餅? こういうの、なんて言うんだっけ……。
ずっと分かれ道の前でどっちを選択しようか悩んでいたのに、道が急に一本になった気分。
「何きょとんとしてんだよ。ほら、あそこ。飛鳥と桃華が待ってる」
階段を上がりきると、教室の後ろのドアのところにふたりが立っていた。
飛鳥ちゃんは私に気づくと駆け寄ってくる。
「翠葉大丈夫!? ごめんね? 傷つけるようなこと言って、ごめんね?」
「私も、ごめんなさい……。びっくりしたでしょう?」
ベッタリと抱きつかれて顔は見えない。でも、飛鳥ちゃんが泣いている気がした。
桃華さんが遅れて私のもとまで来ると、飛鳥ちゃんごとぎゅっと抱きしめられる。
「ばかっ! びっくりするじゃないっ。――無神経なこと言って悪かったわ……。でも、翠葉が何も言ってくれないのも悪いのよっ?」
本当に申し訳ないと思った。こんなことになるくらいなら話せばよかった。
桃華さんの目が充血しているのは見間違いではないだろう。
きっと、それほどまでに心配をかけてしまったのだ。
「ごめんね。どうしても言えなくて……。でも、今度話すから……」
そう言って、ふたりから離れた。
「翠葉?」
飛鳥ちゃんはすごく不安そうな顔をして泣いていた。
「あのね……私、とても意気地なしなの。話すのに勇気がいるの。それとね、友達に身体のことを話したことがなくて、どう説明したらいいのかわからないの。だから……少し時間をもらえる? ちゃんと話すから」
私の後ろにいた海斗くんにも視線を向ける。と、
「待つわよ。最初から待つって言ってるでしょ!?」
桃華さんに叱られた。
そう言われてみれば、お弁当を食べたときにそう言ってくれていた。
あの言葉は嘘じゃないのね……。
「俺、結構気ぃ短いから早めにお願いします。きっとコレも同じ」
海斗くんが飛鳥ちゃんを指差した。
「確かに気は短いけどっ、でも、翠葉が待ってって言うんなら待つっ」
三人が示し合わせたように顔を見合わせると、
「『動作はゆっくり』の監視はするからなっ!」
「『動作はゆっくり』は守ってもらうよ!」
「『動作はゆっくり』はきっちり守らせるわよ?」
三人とも同じ内容を口にした。
真剣な顔が三つ並んでいて、蒼兄みたいな人が一気に増えた感じ。
それが嬉しくて仕方ないのはどうしてだろう。
……きっと、私が三人を好きだからだ。
まだ出逢ってから数日だというのに、こんなに好きになれるものなのね?
自分が傷つかないでいられるための距離を模索していたのに、線を引く場所を探していたはずなのに、そんな場所が見つからないくらい大好きになっていた。
自分をわかってもらいたいと思うのなら、自分が歩み寄らなくちゃいけないのかもしれない。
そして、大好きな人が歩み寄ってくれたなら、ものすごく嬉しいと感じるものなんだ。
私は今まで自分をわかってもらいたいと思うことがあったかな……。
どちらかと言うと、わかってもらえなくてもいいから、かまわないでほしいと思っていた。挙句、自分のことを知られたくないとすら思っていた。
でも、今日、その考えが少し変わった。
私は一歩踏み出す勇気を持たなくちゃいけないのね。
少なくとも、この三人はそれを待ってくれている。
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