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第一章 友達
07話
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「ちょうど一年前の三月終わりごろだったよね? 翠葉ちゃんが倒れたの」
司書さんの口から出てきた言葉に驚いて身体が硬直する。
司書さんの言うそれは、去年二回目の入院のこと……?
忘れもしない三月二十六日――「少しの油断と不注意」はこの日に起こった。
三月半ばを過ぎると、それまで寒かったのが嘘のように暖かくなった。それは桜の開花予想が例年よりも早まるほどに。
三月の終わりには四月上旬並みの気温が日々観測されていた。
体調のいい日が続いていたこともあり、私はひとりで近くの公園へとカメラを持って出かけたのだ。
天気予報で見た最高気温は二十二度だったけれど、陽のあたる場所はもっと温度が上がっていたよう。
私は外で具合が悪くなり、その場に倒れた。
運よく、近くを通りかかった人に発見され救急車を呼んでもらえたけれど、救急隊員の人が到着したときには血圧がかなり下がり、心停止一歩手前だったという。
司書さんが話しているのはその日のことだろう。
「その日、蒼樹も司もここにいたんだ。僕の仕事の手伝いをしてくれていてね。お昼過ぎくらいだったかな? 蒼樹の携帯が鳴って、それに出たこいつは傍目にわかるほど真っ青になった。電話を切るなり、かばんも持たずに走り出そうとするから止めたんだ。……どう見ても尋常じゃなかったからね。司とふたりがかりで押さえたよ。それでもだめで、湊――あ、司のお姉さんね。湊ちゃんが見るに見かねて引っぱたいたんだ。顔面蒼白なのには変わりなかったけど、少しは落ち着いたようで、『妹が意識不明で運ばれた』って答えた。そのまま行かせたらこいつが事故に遭いそうだったから、僕が車で病院まで送ったんだ」
そこまで言うと、椅子から立ち上がり私の方へと歩いてくる。私の前で膝をつくと、下から私を見上げた。
「蒼樹が話したわけじゃない。その場にいたから偶然知り得たことなんだ。……翠葉ちゃん、君の身体は気をつけることさえきちんと守れば大事に至らないって聞いているよ。具体的にどんなことかはわからないけど。でも、近くにいれば、僕や司はそのあたりのフォローができると思うんだよね」
蒼兄が話したから知っていたわけじゃなかった。きっと、その連絡はいつも冷静な蒼兄ですら動揺するものだったのだろう。それは仕方がないことだ。
でも――その先は違うと思う。
体調のことを知られて気遣われるなんて嫌。特別扱いはもっと嫌。
だってそれは、人と区別されるということではないの? 異分子扱いされるということではないの?
人の負担になるのも、人に迷惑をかけるのも――そういうのはもういい。
そもそも、私の身体のことを知っているのは先生と先輩と、あとは誰? ほかにもいるの……? 私は自分を知っている人がいる高校を避けて受験したのに……。
「翠葉、話してなくてごめん。……翠葉のことを知っているのはここにいるふたりと司のお姉さんの三人だ。ほかは知らない」
絞り出すような声だった。きっと、蒼兄はすごく苦しそうな顔をしているのだろう。
でも私は、床を見つめたまま視線をどこに動かすこともできなくなっていた。
蒼兄の大きな手が両の肩に乗る。肩に伝わる体温で身体の強張りが少し解けた。
「――でも、それを知っているからと言って、私のフォローをしなくちゃいけないなんてことはないです」
やっとのことで出たのはそんな言葉だった。
すると、窓際から一際鋭い声が発せられる。
「何か勘違いしてないか? 秋兄は特別扱いするとは言ってない。ただ、何かあった際に対応ができるって話だ」
特別扱いとフォローは違うの?
「具合が悪くて学校を休んだり、忙しくてみんなが走り回っているのにひとり走れなかったり……。そういうのは必ず誰かにしわ寄せがいくでしょう? それをわかっていてそんな人を入れるなんてどうかしてる。それ自体が特別扱いじゃないんですか?」
たぶん、私は間違ったことは言っていない。けれど、とても失礼なことを言っていると思う。
でも、一度湧いてきた負の感情は止まらない。負けたくなくて、ここで泣きたくなくて、思い切って先輩の方へ顔を向ける。と、そこには真っ直ぐにこちらを見る切れ長の、鋭い目があった。
従兄弟の割に、先生や藤宮くんのような人懐っこさが感じられない、どこまでも涼しい目。それは、時に冷ややかにすら見える。
「生徒会の中には表立って仕事する人間、予算組んだり報告書を作成する人間に分かれる。御園生さんが入った場合は後者。――適材適所、そのくらいの采配ができなかったら生徒会が機能しない」
先輩は変わらず淡々と話すのに、なぜか「だから大丈夫」と言われている気がするのはどうしてだろう……。
ポン、と司書さんの手が頭に乗り、
「因みにね、現生徒会の内訳的にはフリーランスに動き回る人間を仕切るトップが生徒会長。予算案や報告書作成のブレーンの要は司なんだ。つまり、翠葉ちゃんが生徒会の中でうまいこと機能できるかどうかは司の力量しだいってことになるね」
「余計なことを……。得て不得手を見分けて人を動かす。それだけだ」
大胆なことをさらっと言ってのける。きっと、それだけ自分に自信があるのだろう。
いいな、羨ましい……。
「どう? やってみない?」
司書さんにダメ押しのように尋ねられた。
全く興味がないと言ったら嘘になる。でも、それを上回る不安をどうにかできる気はしない。
後ろにいる蒼兄を仰ぎ見ると、まだ苦しそうな表情を残していた。
「やってみたら? 生徒会はいい経験になると思うよ。……俺としては限りなく安全な待ち合わせ場所が確保できて嬉しい限りなんだけど」
少しおどけたふうに話すところを見ると、気持ち浮上気味だろうか。
蒼兄の苦しそうな顔なんて見たくない。早くいつもと変わらない蒼兄を見たい。
それが自分の精神安定剤にもなるから。
「――ただし、二ヶ月間の未履修分野の課題と試験をクリアするのが先決。それをクリアできないと高校生活の危機」
先輩がテーブル脇に置いてある教科書一式を指して言う。
「そうだった。外部生は最初の二ヶ月間が勝負だからね」
司書さんが苦笑を浮かべて口にする。
「生徒会の選抜会議は六月だから考える時間はある。ただ、六月頭にある全国模試の成績や学年総合順位によっては生徒会入れないから。うちの生徒会は『特別扱い』で人を入れられるほど甘くはない」
先輩は口を開くたびに何かを切り刻むようなイメージだ。けれど、その言葉には一切嘘が含まれていないように思えた。
だからかな……。先輩の言葉で自分が傷つくことはなかった。
ちら、と先輩を見ると、笑みを深められた。
格好いいとは思うけど、シニカルな笑みはとても感じが悪い。
とても冷たい――「氷の女王」みたいな笑み。
「そうなんだよねぇ……。僕としてはかわいい女の子をぜひとも入れたいところなんだけど、うちの生徒会、学年で上位二十位に入ってないと加入権が得られないんだ。ひどいときは男ばかりなんだから困るよ」
と、司書さんが頭を抱える。
抱え込んでいた頭を上げたかと思うと、
「だから翠葉ちゃん、がんばってね?」
極上スマイルを見せられた。
本当に藤宮先輩とは対照的。
話を聞いた限りだと、私が生徒会に入れる可能性は限りなく低いのではないだろうか。
当分の間、私は何を考える余裕もなく課題に追われることになる。
その忙しさに乗じて忘れてしまおう。
でも、最後にひとつだけ――
「あの、私の身体のことや年のこと、誰にも言わないでいただけますか?」
これだけはちゃんと約束してもらいたい。
「もちろん!」
「言ったところで得する話でもないだろ」
前者が司書さんで後者が先輩。
確かに誰が得するわけでもないけれど、何もそんなふうに言わなくてもいいと思う。
それとも、「得にならないから言わない」という先輩なりの気遣いだったのだろうか。
わかりづらすぎる……。
少なくとも、私にはとても性格の悪い、冷たい人にしか見えなかった。
司書さんの口から出てきた言葉に驚いて身体が硬直する。
司書さんの言うそれは、去年二回目の入院のこと……?
忘れもしない三月二十六日――「少しの油断と不注意」はこの日に起こった。
三月半ばを過ぎると、それまで寒かったのが嘘のように暖かくなった。それは桜の開花予想が例年よりも早まるほどに。
三月の終わりには四月上旬並みの気温が日々観測されていた。
体調のいい日が続いていたこともあり、私はひとりで近くの公園へとカメラを持って出かけたのだ。
天気予報で見た最高気温は二十二度だったけれど、陽のあたる場所はもっと温度が上がっていたよう。
私は外で具合が悪くなり、その場に倒れた。
運よく、近くを通りかかった人に発見され救急車を呼んでもらえたけれど、救急隊員の人が到着したときには血圧がかなり下がり、心停止一歩手前だったという。
司書さんが話しているのはその日のことだろう。
「その日、蒼樹も司もここにいたんだ。僕の仕事の手伝いをしてくれていてね。お昼過ぎくらいだったかな? 蒼樹の携帯が鳴って、それに出たこいつは傍目にわかるほど真っ青になった。電話を切るなり、かばんも持たずに走り出そうとするから止めたんだ。……どう見ても尋常じゃなかったからね。司とふたりがかりで押さえたよ。それでもだめで、湊――あ、司のお姉さんね。湊ちゃんが見るに見かねて引っぱたいたんだ。顔面蒼白なのには変わりなかったけど、少しは落ち着いたようで、『妹が意識不明で運ばれた』って答えた。そのまま行かせたらこいつが事故に遭いそうだったから、僕が車で病院まで送ったんだ」
そこまで言うと、椅子から立ち上がり私の方へと歩いてくる。私の前で膝をつくと、下から私を見上げた。
「蒼樹が話したわけじゃない。その場にいたから偶然知り得たことなんだ。……翠葉ちゃん、君の身体は気をつけることさえきちんと守れば大事に至らないって聞いているよ。具体的にどんなことかはわからないけど。でも、近くにいれば、僕や司はそのあたりのフォローができると思うんだよね」
蒼兄が話したから知っていたわけじゃなかった。きっと、その連絡はいつも冷静な蒼兄ですら動揺するものだったのだろう。それは仕方がないことだ。
でも――その先は違うと思う。
体調のことを知られて気遣われるなんて嫌。特別扱いはもっと嫌。
だってそれは、人と区別されるということではないの? 異分子扱いされるということではないの?
人の負担になるのも、人に迷惑をかけるのも――そういうのはもういい。
そもそも、私の身体のことを知っているのは先生と先輩と、あとは誰? ほかにもいるの……? 私は自分を知っている人がいる高校を避けて受験したのに……。
「翠葉、話してなくてごめん。……翠葉のことを知っているのはここにいるふたりと司のお姉さんの三人だ。ほかは知らない」
絞り出すような声だった。きっと、蒼兄はすごく苦しそうな顔をしているのだろう。
でも私は、床を見つめたまま視線をどこに動かすこともできなくなっていた。
蒼兄の大きな手が両の肩に乗る。肩に伝わる体温で身体の強張りが少し解けた。
「――でも、それを知っているからと言って、私のフォローをしなくちゃいけないなんてことはないです」
やっとのことで出たのはそんな言葉だった。
すると、窓際から一際鋭い声が発せられる。
「何か勘違いしてないか? 秋兄は特別扱いするとは言ってない。ただ、何かあった際に対応ができるって話だ」
特別扱いとフォローは違うの?
「具合が悪くて学校を休んだり、忙しくてみんなが走り回っているのにひとり走れなかったり……。そういうのは必ず誰かにしわ寄せがいくでしょう? それをわかっていてそんな人を入れるなんてどうかしてる。それ自体が特別扱いじゃないんですか?」
たぶん、私は間違ったことは言っていない。けれど、とても失礼なことを言っていると思う。
でも、一度湧いてきた負の感情は止まらない。負けたくなくて、ここで泣きたくなくて、思い切って先輩の方へ顔を向ける。と、そこには真っ直ぐにこちらを見る切れ長の、鋭い目があった。
従兄弟の割に、先生や藤宮くんのような人懐っこさが感じられない、どこまでも涼しい目。それは、時に冷ややかにすら見える。
「生徒会の中には表立って仕事する人間、予算組んだり報告書を作成する人間に分かれる。御園生さんが入った場合は後者。――適材適所、そのくらいの采配ができなかったら生徒会が機能しない」
先輩は変わらず淡々と話すのに、なぜか「だから大丈夫」と言われている気がするのはどうしてだろう……。
ポン、と司書さんの手が頭に乗り、
「因みにね、現生徒会の内訳的にはフリーランスに動き回る人間を仕切るトップが生徒会長。予算案や報告書作成のブレーンの要は司なんだ。つまり、翠葉ちゃんが生徒会の中でうまいこと機能できるかどうかは司の力量しだいってことになるね」
「余計なことを……。得て不得手を見分けて人を動かす。それだけだ」
大胆なことをさらっと言ってのける。きっと、それだけ自分に自信があるのだろう。
いいな、羨ましい……。
「どう? やってみない?」
司書さんにダメ押しのように尋ねられた。
全く興味がないと言ったら嘘になる。でも、それを上回る不安をどうにかできる気はしない。
後ろにいる蒼兄を仰ぎ見ると、まだ苦しそうな表情を残していた。
「やってみたら? 生徒会はいい経験になると思うよ。……俺としては限りなく安全な待ち合わせ場所が確保できて嬉しい限りなんだけど」
少しおどけたふうに話すところを見ると、気持ち浮上気味だろうか。
蒼兄の苦しそうな顔なんて見たくない。早くいつもと変わらない蒼兄を見たい。
それが自分の精神安定剤にもなるから。
「――ただし、二ヶ月間の未履修分野の課題と試験をクリアするのが先決。それをクリアできないと高校生活の危機」
先輩がテーブル脇に置いてある教科書一式を指して言う。
「そうだった。外部生は最初の二ヶ月間が勝負だからね」
司書さんが苦笑を浮かべて口にする。
「生徒会の選抜会議は六月だから考える時間はある。ただ、六月頭にある全国模試の成績や学年総合順位によっては生徒会入れないから。うちの生徒会は『特別扱い』で人を入れられるほど甘くはない」
先輩は口を開くたびに何かを切り刻むようなイメージだ。けれど、その言葉には一切嘘が含まれていないように思えた。
だからかな……。先輩の言葉で自分が傷つくことはなかった。
ちら、と先輩を見ると、笑みを深められた。
格好いいとは思うけど、シニカルな笑みはとても感じが悪い。
とても冷たい――「氷の女王」みたいな笑み。
「そうなんだよねぇ……。僕としてはかわいい女の子をぜひとも入れたいところなんだけど、うちの生徒会、学年で上位二十位に入ってないと加入権が得られないんだ。ひどいときは男ばかりなんだから困るよ」
と、司書さんが頭を抱える。
抱え込んでいた頭を上げたかと思うと、
「だから翠葉ちゃん、がんばってね?」
極上スマイルを見せられた。
本当に藤宮先輩とは対照的。
話を聞いた限りだと、私が生徒会に入れる可能性は限りなく低いのではないだろうか。
当分の間、私は何を考える余裕もなく課題に追われることになる。
その忙しさに乗じて忘れてしまおう。
でも、最後にひとつだけ――
「あの、私の身体のことや年のこと、誰にも言わないでいただけますか?」
これだけはちゃんと約束してもらいたい。
「もちろん!」
「言ったところで得する話でもないだろ」
前者が司書さんで後者が先輩。
確かに誰が得するわけでもないけれど、何もそんなふうに言わなくてもいいと思う。
それとも、「得にならないから言わない」という先輩なりの気遣いだったのだろうか。
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