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葉野りるは

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August

夏の思い出 Side 司 06話

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 陽だまり荘へ戻るなり雅さんに声をかけられた。
「納涼床はどうだった?」
 翠は嬉しそうに、
「ものすっごく快適空間で涼しかったです! 夕方、ピンクに染まる川は圧巻でしたよ!」
「それならここから少し歩いたところからも見えたけど、とってもきれいだったわね。写真は?」
「撮りましたっ!」
「さっき蔵元さんとも話していたのだけど、今回の旅行で撮った写真、あとでアルバムにしたらどうかしら?」
「アルバム……?」
「そう。今、色んな商品があるじゃない? 写真を自分たちで選んで、あとはプロの方が編集してくれたりする……」
「そういえばそんな商品形態がありますね」
「それ、私がお金を出すから参加者分のアルバムを作らない? きっといい思い出になると思うの」
「でも――」
 ふたりの話を聞いている傍らで、そういったツールを利用したアルバムもありだな、と思った。
 最初はパソコンやスマホに翠フォルダを作ればいいと思っていたが、アルバムという形あるものとして手元に残るのは悪くはない。
 やっぱりこの二泊三日は、出来る限り翠の写真を撮り溜めよう。
 そう決意すると、近くではそのアルバムを全額秋兄に負担させようという話になっていた。秋兄はというと、まったくいやな顔せず快諾する。
 みんなが和気藹々と話す中、翠ひとりが深刻そうな顔をしていた。
 何を考えているのかと思えば、
「アルバムにするならもっとたくさん写真撮らなくちゃ……」
 あぁ、そういうこと……。
 今のご時世スマホというものがあるわけで、翠ひとりが気負う必要はない。そうフォローを入れようと思ったら、秋兄に先を越された。
「翠葉ちゃん、そんなに気負わなくても大丈夫だよ。ひとりがカメラマンをする必要はない。要は相応のデータがあればいいわけだから、各々のスマホで撮った写真を混ぜてもいいだろうし」
 その言葉に、翠はおもむろにほっとした顔をした。
「お嬢様、お坊ちゃま方、夕飯の準備が整いましたよ。冷めないうちに召し上がられてください」
 俺たちは皆ダイニングに移動して、それぞれ昼に座った席に着いた。

 夕飯はイタリアン。
 アンティパストミストに始まりパスタ、ピザ、セコンドピアットと続く。
 アンティパストミストとセコンドピアットの肉料理だけはひとりひとりに盛り付けられていたが、ほかは好きなものを好きなだけ取り分ければいいスタイル。
 翠の胃腸事情がしっかり考慮された夕飯だった。
 今は肉料理のソースがおいしいと話題になっていて、唯さんを筆頭に、翠と雅さん、簾条が稲荷さん夫妻にレシピをねだっている。
 稲荷夫妻はいつ来てもおいしい料理を提供してくれるが、だからと言ってレシピを訊くのは栞さんくらいなもので、今のような状況には慣れていない。
 ふたりが戸惑いながらもレシピノートを開示すると、四人は手に持つスマホでレシピを撮影し始めた。
 最後には、エスプレッソと数種類のドルチェが振舞われる。
 が、翠がカフェインを摂取できないことも伝えていなかったため、翠が飲めるものはない。
 旅行の計画はあれこれ練ってきたというのに、翠の食事事情を完全にスルーしていたことを後悔していると、秋兄がウィステリアホテルの缶を持ってやってきた。
「翠葉ちゃんが大好きなカモミールティーとミントティーをセレクトして詰めてもらった」
「秋斗さん、ありがとうございますっ!」
「いいえ。こっちに一缶置いておくから、星見荘にも一缶置いておくといい」
 そう言って、秋兄に缶を渡される。
 なんていうか、完全なる敗北。
 秋兄のこういう気遣いに俺は適わない。
 時間ならたんまりあったのだから、もっと緻密な情報を稲荷さんに伝えておくべきだったし、できたはずだ。
 次は、次こそは失敗しない――
 そんな決意をしていると、
「ねー、花火はー? 花火はいつするのー?」
 唯さんがコーヒーに角砂糖を何個も放り込みながらたずねると、御園生さんが、
「花火は明日だろ? さすがに一日目にやるのはちょっともったいないっていうか……」
 それに便乗したのが蔵元さんで、花火は明日ということになった。
「じゃ、このあとはー?」
 唯さんは完全に時間を持て余していた。
 それもそのはず。
 社会人はノートパソコンの持ち込みが禁止。仕事の持ち込みも禁止。タブレットやスマホをいじるのは必要最低限という縛りがあるからだ。
 普段から機械いじりが趣味という人間にとっては、何をして過ごしたらいいのか謎でしかないのだろう。
 すると御園生さんが、
「全員風呂に入り終わったらカードゲームでもする? 一応、カードゲームは一通り持ってきたけど……」
 カードゲームには賛成らしいが、すでにやることがない唯さんはみんなが風呂から上がるまでに何をしたらいいのか、と頭を抱えている。
 この人たぶん、何もしてない時間に耐えられない人種だ。そんなところは自分と似ている。
 そんな唯さんを見るに見かねた秋兄が立ち上がり、飾り棚に飾られていたチェス板を手に取った。
「じゃ、蒼樹たちが風呂から上がるまで、俺とチェスでもしよう」
「よっし、やるっ!」
 そんな様を見て、
「あの人が社蓄まっしぐらなのって、会社の体制や上司の対応云々よりも、あの性格ゆえだと思うんだけど……」
 俺の一言に翠は、「それはあるかも」と笑いながら口にした。

 風呂に入ってないメンバーが席を外すと、
「で? 司と翠葉ちゃんはどうするの?」
 秋兄にたずねられ、
「星見荘へ戻る」
 すると翠が補足するように情報を追加する。
「ここに来た目的が、天体観測なんです」
「あぁ……ここから見る星空は、抜群にきれいだよ。星見荘からならもっとじゃないかな? ただ、夜は結構冷え込むから風邪ひかない格好でね?」
「はい、ありがとうございます」
 チェス板に駒を並べ終えた唯さんが、ソファにかけてあるパーカを指差し、
「外、もうずいぶん気温が下ってるから、俺のパーカ着てっちゃいな」
「じゃ、借りて行くね」
 そんな会話を背後で聞きながら、俺は片づけをしている鈴子さんに声をかけた。
「明日の朝食、俺と翠は星見荘で食べるんで、連絡入れたら持ってきてもらえますか?」
「かしこまりました。和食と洋食とどちらになさいますか?」
 俺は翠を振り返り、
「翠が選んでいい」
 翠はどちらにしようか決めかねているようだった。
 だから、指針になりそうな情報を与える。
「洋食の場合、鈴子さんお手製の焼きたてパンがついてくる。ちなみに、栞さんが焼くパンの天然酵母は鈴子さんお手製のもの」
 翠は弾かれたように顔を上げ、
「洋食で!」
「ではそのようにご用意させていただきますね」
 鈴子さんはにこりと笑って片付けに戻った。

 玄関を出る間際、
「どうして星見荘で朝食……?」
 翠は心底不思議そうに訊いてくる。
「このあと天体観測をするとして、そのあと何をするでもなく寝られるとでも思ってる?」
「ん……?」
「時間を気にすることなく、何を気にすることなく一緒にいられるんだ。ただの添い寝で終わるわけがないだろ」
 翠は時間を追うごとに顔を赤らめ、真っ赤になって俯いた。
 遠まわしな言い方で伝わったことに翠の成長を感じつつ、思う。
 翠とそういう関係になってした回数は七回。翠の受験事情を加味すれば、多くもなければ少なくもないと思う。それでもこういう話をすると翠は赤面する。
 いったい何回したら恥ずかしがらなくなるのか、とは思うけど、恥ずかしがる翠をかわいいと思うのだから、どっちでもいいか……。
 外へ出ると、別荘前の広場に警護班が三人待機していた。
 階段を下りるとそのうちのひとり、高遠さんに声をかけられる。
「星見荘までお車でお送りいたしましょうか?」
「歩いて戻るので不要です」
「かしこまりました」
 それで会話は終わったはずなのに、翠が咄嗟に高遠さんを呼び止めた。
「翠葉お嬢様いかがなさいましたか?」
「あの、いつもありがとうございます。今、お夕飯を食べたばかりで、少し歩きたくて、だから――」
 あぁ、俺の素っ気無い態度をフォローしようとしてるのか……?
 こんな対応は日常茶飯事で、何を気にする必要もないのに。
 高遠さんはにこりと笑みを浮かべ、
「お嬢様、大丈夫ですよ。私どもも司様とは長い付き合いですから、これしきのことで堪えたりはいたしません。お気遣いいただきありがとうございます」
 そう言うと、ほかの警護班に俺たちの行動を伝えるために、通信を入れ始めた。
 その後姿を呆然と見つめる翠の意識をこっちに向けたくて、声をかける。
「どっちから行く? そこの階段とあっちの坂道」
 翠はふたつを見比べ悩んでいるようだ。
 だから、もう少し情報を追加することにした。
「山道だと片道一時間弱。木道――もとい階段だと三十分くらい。でも、翠の足だともう少しかかるかも」
 翠は何度かルートを見比べ、
「……行きは山道で、明日下りてくるのに木道を使わない?」
「了解。じゃ、こっちから」
 坂道は緩い傾斜でさほど苦痛には思わない。ただ、それは俺が、という話で翠がどう感じているのかは不明。
 翠の歩調を気にしながら歩いていると、翠は空を見ながら歩いていた。
 その表情は笑顔。
 つまり、翠にとってもつらい坂道ではないということ。
「あれ、スマホのカメラじゃ撮れないかなぁ……」
「何が? 星はほとんど見えないけど……」
「あれっ! 夜空と広葉樹の陰影コラボレーション!」
「あぁ……」
 陰影ね。夕方も陰影写真がどうのと言っていたし、陰影写真は翠の中で割と上位にくるシチュエーションなのかもしれない。
「撮ってみれば? 無理ならあとでもう一度来てもいいし、似たような風景なら星見荘の近くでも撮れると思うけど」
「じゃ、ひとまずチャレンジ……」
 翠はバッグからスマホを取り出すと、カメラアプリを立ち上げた。
 いくつかの設定をして撮影に挑むと、パッと光が放たれる。
 おそらくはフラッシュ機能が働いたのだろう。
 翠は驚いたように、
「わ、フラッシュっ!?」
 そして撮った写真を見てはクスクスと笑いだす。
「これ、見て?」
 翠に見せられたスマホディスプレイには奇妙な手ぶれ写真が表示されていた。
「これはないな」
 思わず笑いがこみ上げる。
「だよね? これはない。手ぶれひどいしフラッシュがホラー写真みたいな雰囲気醸し出してるし……。でも、削除するのはやめよう」
 そう言うと、なんだか楽しそうに、または嬉しそうにその画像を眺めていた。
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