光のもとで2

葉野りるは

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November

芸大祭 Side 翠葉 02話

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 柊ちゃんはハイネックの白いフリースにショッキングピンクのダウンベスト、黒いタイツにグレーのツイードショートパンツという服装。足元はムートンブーツという、私と比べるとだいぶカジュアルな装いだった。
 けれど、出かけに秋斗さんにフォローし尽くされたからか、そこまで不安に思うことはない。
 冷静に周りを見回すと、カジュアルな格好をした人もいればかしこまった格好をしている人もいる。
 大丈夫……。
 ひとつ心の中で呟くと、
「翠葉ちゃんはいつもかわいいけど、今日はいつも以上にお嬢さんっぽい格好だね。髪の毛クルクルしててお人形さんみたい!」
 たぶん、秋斗さんに会わずにこの言葉をもらっていたら、いてもたってもいられないほど不安になっていただろう。でも今は、「ありがとう」と笑顔で答えられる程度には大丈夫。
 そして、ちょっと気恥ずかしくも嬉しい。
 やっぱり、お洒落をしたら「かわいい」と思われたいみたいだ。
 人の流れに沿って道を進むと、本部と思しきテントにたどり着く。
 テーブルの上には構内案内なる冊子が積まれており、「実行委員」という腕章をつけた人たちがそれを配っている。
 私たちは冊子をもらうと早々に人の流れから外れた。
「柊ちゃん、仙波先生とはここで待ち合わせだよね?」
「うん。おかしいな……時間にはうるさい先生なんだけど」
 柊ちゃんの腕にはめられたGショックを見ると、時刻はすでに一時を回っていた。
「ま、演奏会まではまだ時間あるし、ここでしばらく待ってよっか」
 柊ちゃんの提案に、私たちは創立者の銅像の真下で仙波先生を待つことにした。

 広場には色んな人がいる。
 ドレスの上にコートを羽織ってチケットを捌いている人や、ドラムセットひとつで単独演奏をしている人。大きなキャンバスに大まかな下書きのみで色を載せていく人。行き交う人に声をかけ、似顔絵を描く人。焼き鳥の匂いに乗ってきたのは、陽気なリズムの焼き鳥を作る歌。
 芝生広場にはステージがあり、ミュージカル科の生徒と思しき人たちがダンスと歌を披露している。
 道の脇にテーブルを並べパイプ椅子に座っている人たちは、ポストカードや陶器のアクセサリーを売っていたり。
 なんだか、そこかしこに人の手から生まれたものが、人が作り出したものが溢れている。
 高校とはまったく違う雰囲気を肌で感じていると、隣の柊ちゃんは両手で口を押さえていた。
「柊ちゃん、どうしたの?」
 そわそわしている柊ちゃんは私に視線を落とすと、
「こんな楽しそうな場所にいたら歌いたくなっちゃうよねっ!?」
「えっ?」
「う~……歌いたいっ! 歌いたい歌いたい歌いたーーーいっっっ!」
 絶叫に近い自己主張に驚いていると、柊ちゃんのポケットからコミカルな音が鳴り出した。
「あ、先生だ。はいはいもしもし柊でーすっっっ!」
 電話には大きすぎる応答に、先生の耳が心配になる。
 恐る恐る柊ちゃんを見上げると、
「あ、切れた」
「え?」
「てへっ、通話、切られちゃった」
 にへら、と笑いながら柊ちゃんがかけなおそうとしたとき、
「柊ちゃん、君は僕の耳を壊すつもりなのかな? ん?」
 前方から口元を引きつらせた先生が現れた。
「えへへ~……。ここにいたらなんだか楽しくなっちゃって、歌いたくなったところへ電話が鳴ったもので……」
「君にはぜひとも電話使用時における適度な話し声を学んでもらいたい」
「ごめんなさい」
 柊ちゃんが腰を折って謝ると、先生も同じように頭を下げた。
「こちらこそ、待ち合わせに遅れてすみません。構内を歩いていたらピアノの調整を頼まれてしまって……」
「ピアノの調整って……調律、です?」
「はい」
「先生、調律もなさるんですか?」
「まぁ、家が家なので」
 おうち……?
 意味がわからずに先生を見上げていると、
「話してませんでしたか? うち、楽器屋さんなんです」
 え? 楽器屋さん……?
 ――えっ!? 楽器屋さんって、仙波って、もしかして――
「天下の仙波楽器、です……?」
「そうだけど……でも、天下のって、何……?」
 先生はなんでもないことのように笑っているけれど、天下も天下だ。
 音楽になじみがある人で国内大手の仙波楽器を知らない人はいない。
 ピアノから弦楽器、木管や金管、打楽器まで取り扱い、それらのメンテナンスも手がけている。
 ヴァイオリンにいたっては本場ドイツのマイスター資格保持者にしてドイツ工房の所長を務めたことのある職人を抱えている。
 ほかにもスタジオやジャズ喫茶の経営も行っていて、倉敷芸術大学音楽学部の楽器のメンテナンスを一手に引き受けているのも仙波楽器。これが「天下の」ではなくてなんなのだ。
 かくいううちのピアノも仙波楽器で購入したものだし、半年に一度の調律は仙波楽器にお願いしている。
 御曹司やご令嬢なら学校で見慣れてはいるけれど、ここにも御曹司が……。
「……知らなかったです」
「……えぇと、以後ご贔屓に?」
「すでにお世話になっています」
 そんな冗談めかした会話ののち、先生の視線が私の足と手に移る。
 ロング丈のスカートだからさほど目立ちはしないけど、じっくり見られれば話は別。
 しっかりばっちり腫れていることを確認されてしまう。そして、テーピングを施した右手に視線が移れば、
「病院へ行かれたんですよね? どのくらいで治るか訊きましたか?」
「手は筋を痛めてしまっただけなので、おそらくは一週間ほどで治るでしょう、って……」
 気まずくて視線を落とすと、先生は私の頭に手を置き、
「先日電話で注意しましたし、そんなにくどくど怒りはしません。ただ、今週いっぱい練習ができないのなら、来週のレッスンは意味がありません。次のレッスンはキャンセルしておくように。その分、再来週のレッスンは覚悟してもらいましょうか」
 どんな表情で言われているのだろう……。
 若干の予想はできつつ視線を上げると、先生は口端をきれいに上げてにこりと笑っていた。
 笑ってはいるけれど、その笑顔には恐怖しか覚えなかった。
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