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October
紫苑祭準備編 Side 飛翔 04話
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あの日から、図書室へ出向いて進捗状況をチェックすることはしていない。きっとしていてもしていなくても、あの女は滞ることなく仕事を済ませているのだろう。そして、紫苑祭当日には万全を期した状態で得点集計に臨むのだ。
集計のしやすさに春日先輩は感謝の意を伝えるかもしれない。司先輩は口にせずとも口元を緩ませる程度のことはしそうだ。
そんな様子までまざまざと想像できるのだから苦笑せざるを得ない。
そんな場所に自分がいたとして、俺はいったいどんな顔をすればいいのか。
あの女の性格からして「してやったり」といった態度はとられないだろう。それでも、今までが今までの対応だっただけに俺が困る。
自分が間違っていたことに気づいたのなら、それを認めて謝罪すればいい。しかし、どうしてかその行動をとれずにいた。
日々、組ごとでの練習が続く中、久しぶりに生徒会の招集がかかった。しかし、今日集まっている場所は図書棟ではなく第一小体育館。
どうやら姫と王子に必要となるスチル写真撮りが行われるらしい。
別にメンバーが全員集まる必要はないだろう、そう思いながら現場へ向かうと、写真部が簡易スタジオをセッティングしているところだった。そこへモデルとなるふたりが到着。
中等部では紅葉祭で陣頭指揮を執る姿しか見られなかったため、司先輩の長ラン、白手袋という姿は新鮮さを覚える。対して、御園生翠葉はチアの格好で頭をポニーテールにされていた。
チアの衣装はクラスの女子を見て知ってはいたが、それとはずいぶんと異なる。
頭ちっさ、身体ほそ……。
貧血を起こしたときに一度だけ抱えたことがあるが、あの頭はあんなにも小さかっただろうか。加えて、普段制服に包まれている身体は思わず心配を強要されるほどに華奢だ。
しかし、頭が小さいこともあり、アンバランスには見えない。もし一般的な頭の大きさをしていたら、それはそれで奇妙なバランスに見えたことだろう。
「はーい、翠葉はそのジャージ取ってねー」
「せっ、先輩っ、写真撮る直前まではっっっ」
「翠葉、足細いんだからいいじゃない」
「ただ単にもやしなだけですっ」
もやし、それは言えている……。でも、胸の膨らみや腰から尻へかけての曲線は女らしくてきれいだ。
――俺、今何を考えた……?
御園生翠葉が女であることはわかっているが、それとは別の意味で女として見てしまったことに己がうろたえる。
そんな中、司先輩に視線を戻すと妙な安心感があった。
「いやみな子ねぇ……。去年と比べると少し体重増えたっぽいし、十分きれいな足よ?」
「翠葉にきてるオーダーは、ポーズをとって笑顔全開」
チラリと視線を戻すと、そこには足を抱えて蹲り、眉をハの字にした御園生翠葉がいた。
なんとも情けない表情に、見ててイライラしてくる。
あれだけのことをやってのけるくせに、この自信のなさはどうしたものか。
「翠葉、立って左足軽く上げて片足立ち。ボンボン持った手は腰にあてて。ほら、さっさとやるっ!」
立ち上がった御園生翠葉は言われるままにポーズを取るがへっぴり腰もいいところ。表情どころか全身で情けなさを表現している。
司先輩が声をかけると姿勢は直り、なんとか見られる状態にはなったものの、表情はガチガチ。たかが写真撮影だろ、と思わなくもない。
カメラマンが一度シャッターを押したが二枚目を撮ることはなかった。すなわち、撮る意味がないのだろう。
「寄り添ってる感じがものすごくいいんだけど、翠葉ちゃんもっと笑えないかな? あ、司は無愛想でもかまわないよ」
朝陽先輩が進行役を買って出たものの、
「どうしてツカサだけっ!? 私も笑いたくないですっ」
御園生翠葉は抵抗を見せる。
「いやいやいや、お姫様にはかわいく笑っていただきませんと」
「サザナミくんの意地悪っ」
「えええええっ!? 俺? 俺だけっ!?」
「翠が笑わないと終わらないんだけど」
もっともだ。司先輩は正しい。
久しぶりに司先輩らしい一言を聞いて、どこか安堵した。
御園生翠葉を見ていると余計なことを考えてばかりだ。
こんな撮影は早く終わらせてほしい。
そんなことを思っていると、
「自分は笑わなくていいからってひどいっ」
御園生翠葉は今まで見せたことのないむくれ顔を司先輩に向けていた。
いつもとは違う、気の強そうな目が印象的で、しばし目を引いた。
笑顔ではないし惹かれる要素などひとつも含まない表情。なのに、「かわいい」という言葉が頭に浮かぶ。
たった四文字の言葉に動揺した俺は、咄嗟に視線を逸らした。
――かわいい? 嘘だろ……? あの女がかわいく見えるなんてあり得ない。イラつくの間違いだろっ!?
確かに多少見目がいいことは認めるが、……そもそも、かわいいって何?
自分の好みなるものを考えてみたが、試みたところで理想と思える顔などひとつも浮かばない。
「翠葉、ダンスのとき笑って踊ってたじゃん。それと一緒で大丈夫だって」
そういえば、この女はダンス競技に出るんだったか……。
ダンスはほかの競技と採点の仕方が異なる。基礎点に技術点が加点され、さらには表現力なども評価に含まれる。そのため、たいていの組がクラスで一番うまい人間を選出してくるわけだが、御園生佐野ペアに限ってはそのスタンスから外れる。
御園生翠葉が選ばれた理由は数少ない出られる競技だから。佐野が選ばれたのは、御園生翠葉が普通に接することができる数少ない男子だから。
どこまでも手のかかる人間だ。
ほかのペアはダンスの成績がいい人間が選ばれているのに対し、体育の授業にも出ていない人間がダンス競技に出るなど、負けに行くようなものではないのか。
そこまで考えると、やっぱり厄介な女、という結論に落ち着く。
思考がまとまったところで御園生翠葉に視線を戻すと、未だ戸惑った表情のまま。
「あんたが笑わないと、次にここを使う組が迷惑被るけど?」
御園生翠葉は俺の言葉に唇を強く噛み締め、
「……あの、すみません。顔の筋肉ほぐしてくるので少しだけ時間ください」
小走りで小体育館の裏口へと向かった。その背を追うように、司先輩は御園生翠葉のジャージを持って出て行く。
「飛翔、少しは言葉選べよ」
千里の言葉に加え、嵐子からもきつい視線が飛んでくる。けど、俺が言わなければ司先輩が言ったはずだ。
なんやかやとうるさい生徒会メンバーの言葉を完無視していると、五分ほどでふたりは戻ってきた。
戻ってくるなり、御園生翠葉はカメラマンのもとへと駆け寄る。
「あの、部長にはとっても申し訳ないのですが、セルフタイマーを使ってもいいですか?」
また何を言い出すのかと思えば……。
「えっ? 俺、撮らなくていいの?」
「すみません……。人に撮られているとどうしても構えちゃうので……」
「それなら、この機種スマイルシャッターが使えるからそれを使えばいい」
「ありがとうございます」
自己中女は留まるところを知らないらしい。
三脚にカメラが取り付け終わると、御園生翠葉は周りを見渡しおずおずと申し出る。
「あの、すみません――体育館から出ていてもらえるとありがたいのですが……」
「面倒くせー女」
俺は一言本音を残して体育館をあとにした。
態度を改めよう、そうは思ってもなかなか難しい。
どうしてか、視界に認めると苛立つことが多いのだ。
あの女の何が気に食わないのか。
司先輩が会計に起用した女だから? しかし、中等部で会計を手伝っていた簾条先輩に同様の感情を抱いたことはない。
何が気に食わないのか自分でも理解できないだけに性質が悪い。
体育館を出ると、ところどころから掛け声や応援合戦の練習の声が聞こえてくる。うちの組は、校庭でムカデ競争の練習をしているころだろう。
そんなことを考えていると、朝陽先輩に声をかけられた。
「飛翔はどうしてそんなにイラついてるの?」
「別に……」
「別にってことはないだろ? 生徒会に入ってから翠葉ちゃんに絡んでばかり」
「絡んではいません」
できれば関わりを持ちたくないくらいだ。
「いや、十分絡んでるように見えるけど?」
この人がそう言うのなら、周りにはそう見えているのかもしれない。けれど、その要因らしきものが把握できない以上、改めようがない。
「翠葉ちゃんが司の彼女っていうのが認められない?」
「っ……!?」
「ま、飛翔は司信者だからねぇ~……」
「その言い方やめてください」
「だってそうだろ?」
「…………」
「ま、受け入れられる受け入れられないってあるよね。こればかりは飛翔の考えが変わらないと無理か」
そう言うと、朝陽先輩はかかってきた電話に応じた。
「――了解。みんな、体育館に戻ってOKだって」
もう少し時間がかるのかと思いきや、割と早くに撮影は終わったようだ。
これでまともな写真が撮れてなかったら悪態をつかずにはいられないが……。
体育館に戻ると、
「これはどうでしょう?」
御園生翠葉が一枚の写真を提示した。
カメラがひとりひとりの手に渡り、「いいんじゃん?」「OK」「問題ないわ」。そんな言葉がそこかしこにあがる。そして自分にカメラが回ってきたとき、表示されていた写真に息を呑んだ。
さっきまで情けない顔していた女が笑っていた。
司先輩に背を預け、まるで安心しきったかのように柔らかな笑みを浮かべて。
チアの格好にはちょっと不釣合いにも思えなくはないが、さっきと比べると姿勢もポーズも格段に良くなっており、「問題ない」と判断できる写真だった。
「……突破口があるならとっとと提示しろよ」
どうしてそんな言葉を口にしたのかわからない。
ただ、心当たりがあるとしたら、御園生翠葉にはこんなふうに接するのが当たり前になっていて、普通に声をかけることができない。自分の中にちょっとした抵抗があることは理解していて――
理解できるものとできないものが頭の中に混在していて収まりがつかない。
むしゃくしゃした気分のまま体育館を出てテニスコートを突っ切ると、
「飛翔くんっ」
背後から名前を呼ばれた。
たぶん、っていうか間違いなく御園生翠葉。
「何……」
振り返ると、少し息を弾ませた御園生翠葉が立っていた。
「あの、撮影に時間がかかってごめんなさい」
「実質的には時間内に終わったから問題ないだろ?」
「うん、でも、迷惑はかけたと思うし、飛翔くんが言うことはもっともだと思ったから」
「なら、次からは考えて行動して」
「はい」
なんでこんなに素直なんだよ。
そんなところにもむしゃくしゃする。
そんな俺を前に御園生翠葉はわかりやすく息を深く吸い込んだ。
「会計の仕事のことなんだけどっ――」
何を言われるのかと一瞬構えたが、言われるより先に自分が口を開いていた。
「最後までやりきれよ」
「……え?」
「……あのさ、何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、俺は会計職がやりたくて仕事を分担するよう勧めてたわけじゃない」
事実、会計職がやりたくて反対していたわけではない。それに、これから言うことが本当の理由でもない。でも、後付けの理由でも口にしない限り、俺はずっとこんな対応しかできない気がするから――
「……あんたわかってんの? あんたが運動できないってわかってる時点で、どうしたって紫苑祭当日にかかるウェイトはあんたが一番重いんだよ。それなら、それまでの負担は俺たちが負うべきだと思ってた。なのに、仕事独り占めしてバカなの? あんたバカなの? 絶対バカだろ?」
嘘を吐く趣味はないが、嘘八百並べてしまった。
俺はただ、この女を認めたくなかっただけだ。司先輩がひとり起用したこの女を認めたくなかっただけ。
でも、あそこまでの仕事を見せられたら認めないわけにはいかなくて……。でも、易々と認めるのは悔しくて、まだ抵抗があって、結果こんな言い方しかできない。
しかし、御園生翠葉はふわりと笑んだ。
「何笑ってんの」
「ううん、ごめん、嬉しくて」
まさか信じた、とか……?
こいつ、「疑う」って言葉知らないのっ!? 何、俺が言ったこと全部真に受けてんのっ!? しかも泣くとかやめろよっ――
「泣かれるとか、マジやめてほしーんだけど」
「ごめんっ、すぐ泣きやむ」
御園生翠葉は手の甲で涙を拭うと、まだ涙が滲んだ目で、
「あのね、私、あともう一度だけわがままを言うから」
は……?
「来年の紅葉祭、中間考査までの作業はみんなでやるけれど、それ以降のリトルバンクに関する作業全般は私に任せてください」
何言ってんの、この人……。
「はぁっ!? あんた、やっぱバカだろ? 紫苑祭と紅葉祭じゃ扱う金額の規模が違う。それわかって――」
「うん、わかってる。でも、去年もそうだったの。それに、私はそういう形じゃないと生徒会に携われないから」
つい今しがた涙を見せた女はにこりときれいすぎる笑みを見せた。
「先日ツカサが話したとおり、去年生徒会規約に準規約ができて、私が学校外で会計の仕事をすることが認められているの。だから、先に言っておくね。会計の総元締めやらせてもらいます」
言い終わると、御園生翠葉は俺の反応を待たずに校舎へ向かって歩き出した。
ちょっと待て、言い逃げとかマジやめろ。
呆然と後姿を見送っていると、背後に人の気配がして振り返った。
そこには司先輩が立っていて……。
「あの人なんなんですか」
先輩はめったに見せない笑みを見せた。今はおかしそうに口端を上げている。
「去年言っただろ? あの紅葉祭の総元締めは翠だって」
「聞きました。聞きましたけど……」
にわかに信じがたい、というのが本音だ。
「最初の山場は会計三人で作業にあたった。そのあとは、収支報告から追加申請、リトルバンクに関するものの一切を翠が捌いていた」
「まさかっ!?」
いくらなんでもそれは――司先輩が、というならまだ頷けるけど……。
「翠の技量を知りたければ実際に仕事を見ればいい」
司先輩は涼しい顔で御園生翠葉のあとを追って歩き出す。
「……くっそ……なんだよあの女。紅葉祭でそこまでのことができるなら、今回の仕事なんてできて当然だろっ!?」
悔しさと腹立たしさとなんだかわけのわからない感情に支配され、俺は頭を掻きながらその場に座り込んだ。
集計のしやすさに春日先輩は感謝の意を伝えるかもしれない。司先輩は口にせずとも口元を緩ませる程度のことはしそうだ。
そんな様子までまざまざと想像できるのだから苦笑せざるを得ない。
そんな場所に自分がいたとして、俺はいったいどんな顔をすればいいのか。
あの女の性格からして「してやったり」といった態度はとられないだろう。それでも、今までが今までの対応だっただけに俺が困る。
自分が間違っていたことに気づいたのなら、それを認めて謝罪すればいい。しかし、どうしてかその行動をとれずにいた。
日々、組ごとでの練習が続く中、久しぶりに生徒会の招集がかかった。しかし、今日集まっている場所は図書棟ではなく第一小体育館。
どうやら姫と王子に必要となるスチル写真撮りが行われるらしい。
別にメンバーが全員集まる必要はないだろう、そう思いながら現場へ向かうと、写真部が簡易スタジオをセッティングしているところだった。そこへモデルとなるふたりが到着。
中等部では紅葉祭で陣頭指揮を執る姿しか見られなかったため、司先輩の長ラン、白手袋という姿は新鮮さを覚える。対して、御園生翠葉はチアの格好で頭をポニーテールにされていた。
チアの衣装はクラスの女子を見て知ってはいたが、それとはずいぶんと異なる。
頭ちっさ、身体ほそ……。
貧血を起こしたときに一度だけ抱えたことがあるが、あの頭はあんなにも小さかっただろうか。加えて、普段制服に包まれている身体は思わず心配を強要されるほどに華奢だ。
しかし、頭が小さいこともあり、アンバランスには見えない。もし一般的な頭の大きさをしていたら、それはそれで奇妙なバランスに見えたことだろう。
「はーい、翠葉はそのジャージ取ってねー」
「せっ、先輩っ、写真撮る直前まではっっっ」
「翠葉、足細いんだからいいじゃない」
「ただ単にもやしなだけですっ」
もやし、それは言えている……。でも、胸の膨らみや腰から尻へかけての曲線は女らしくてきれいだ。
――俺、今何を考えた……?
御園生翠葉が女であることはわかっているが、それとは別の意味で女として見てしまったことに己がうろたえる。
そんな中、司先輩に視線を戻すと妙な安心感があった。
「いやみな子ねぇ……。去年と比べると少し体重増えたっぽいし、十分きれいな足よ?」
「翠葉にきてるオーダーは、ポーズをとって笑顔全開」
チラリと視線を戻すと、そこには足を抱えて蹲り、眉をハの字にした御園生翠葉がいた。
なんとも情けない表情に、見ててイライラしてくる。
あれだけのことをやってのけるくせに、この自信のなさはどうしたものか。
「翠葉、立って左足軽く上げて片足立ち。ボンボン持った手は腰にあてて。ほら、さっさとやるっ!」
立ち上がった御園生翠葉は言われるままにポーズを取るがへっぴり腰もいいところ。表情どころか全身で情けなさを表現している。
司先輩が声をかけると姿勢は直り、なんとか見られる状態にはなったものの、表情はガチガチ。たかが写真撮影だろ、と思わなくもない。
カメラマンが一度シャッターを押したが二枚目を撮ることはなかった。すなわち、撮る意味がないのだろう。
「寄り添ってる感じがものすごくいいんだけど、翠葉ちゃんもっと笑えないかな? あ、司は無愛想でもかまわないよ」
朝陽先輩が進行役を買って出たものの、
「どうしてツカサだけっ!? 私も笑いたくないですっ」
御園生翠葉は抵抗を見せる。
「いやいやいや、お姫様にはかわいく笑っていただきませんと」
「サザナミくんの意地悪っ」
「えええええっ!? 俺? 俺だけっ!?」
「翠が笑わないと終わらないんだけど」
もっともだ。司先輩は正しい。
久しぶりに司先輩らしい一言を聞いて、どこか安堵した。
御園生翠葉を見ていると余計なことを考えてばかりだ。
こんな撮影は早く終わらせてほしい。
そんなことを思っていると、
「自分は笑わなくていいからってひどいっ」
御園生翠葉は今まで見せたことのないむくれ顔を司先輩に向けていた。
いつもとは違う、気の強そうな目が印象的で、しばし目を引いた。
笑顔ではないし惹かれる要素などひとつも含まない表情。なのに、「かわいい」という言葉が頭に浮かぶ。
たった四文字の言葉に動揺した俺は、咄嗟に視線を逸らした。
――かわいい? 嘘だろ……? あの女がかわいく見えるなんてあり得ない。イラつくの間違いだろっ!?
確かに多少見目がいいことは認めるが、……そもそも、かわいいって何?
自分の好みなるものを考えてみたが、試みたところで理想と思える顔などひとつも浮かばない。
「翠葉、ダンスのとき笑って踊ってたじゃん。それと一緒で大丈夫だって」
そういえば、この女はダンス競技に出るんだったか……。
ダンスはほかの競技と採点の仕方が異なる。基礎点に技術点が加点され、さらには表現力なども評価に含まれる。そのため、たいていの組がクラスで一番うまい人間を選出してくるわけだが、御園生佐野ペアに限ってはそのスタンスから外れる。
御園生翠葉が選ばれた理由は数少ない出られる競技だから。佐野が選ばれたのは、御園生翠葉が普通に接することができる数少ない男子だから。
どこまでも手のかかる人間だ。
ほかのペアはダンスの成績がいい人間が選ばれているのに対し、体育の授業にも出ていない人間がダンス競技に出るなど、負けに行くようなものではないのか。
そこまで考えると、やっぱり厄介な女、という結論に落ち着く。
思考がまとまったところで御園生翠葉に視線を戻すと、未だ戸惑った表情のまま。
「あんたが笑わないと、次にここを使う組が迷惑被るけど?」
御園生翠葉は俺の言葉に唇を強く噛み締め、
「……あの、すみません。顔の筋肉ほぐしてくるので少しだけ時間ください」
小走りで小体育館の裏口へと向かった。その背を追うように、司先輩は御園生翠葉のジャージを持って出て行く。
「飛翔、少しは言葉選べよ」
千里の言葉に加え、嵐子からもきつい視線が飛んでくる。けど、俺が言わなければ司先輩が言ったはずだ。
なんやかやとうるさい生徒会メンバーの言葉を完無視していると、五分ほどでふたりは戻ってきた。
戻ってくるなり、御園生翠葉はカメラマンのもとへと駆け寄る。
「あの、部長にはとっても申し訳ないのですが、セルフタイマーを使ってもいいですか?」
また何を言い出すのかと思えば……。
「えっ? 俺、撮らなくていいの?」
「すみません……。人に撮られているとどうしても構えちゃうので……」
「それなら、この機種スマイルシャッターが使えるからそれを使えばいい」
「ありがとうございます」
自己中女は留まるところを知らないらしい。
三脚にカメラが取り付け終わると、御園生翠葉は周りを見渡しおずおずと申し出る。
「あの、すみません――体育館から出ていてもらえるとありがたいのですが……」
「面倒くせー女」
俺は一言本音を残して体育館をあとにした。
態度を改めよう、そうは思ってもなかなか難しい。
どうしてか、視界に認めると苛立つことが多いのだ。
あの女の何が気に食わないのか。
司先輩が会計に起用した女だから? しかし、中等部で会計を手伝っていた簾条先輩に同様の感情を抱いたことはない。
何が気に食わないのか自分でも理解できないだけに性質が悪い。
体育館を出ると、ところどころから掛け声や応援合戦の練習の声が聞こえてくる。うちの組は、校庭でムカデ競争の練習をしているころだろう。
そんなことを考えていると、朝陽先輩に声をかけられた。
「飛翔はどうしてそんなにイラついてるの?」
「別に……」
「別にってことはないだろ? 生徒会に入ってから翠葉ちゃんに絡んでばかり」
「絡んではいません」
できれば関わりを持ちたくないくらいだ。
「いや、十分絡んでるように見えるけど?」
この人がそう言うのなら、周りにはそう見えているのかもしれない。けれど、その要因らしきものが把握できない以上、改めようがない。
「翠葉ちゃんが司の彼女っていうのが認められない?」
「っ……!?」
「ま、飛翔は司信者だからねぇ~……」
「その言い方やめてください」
「だってそうだろ?」
「…………」
「ま、受け入れられる受け入れられないってあるよね。こればかりは飛翔の考えが変わらないと無理か」
そう言うと、朝陽先輩はかかってきた電話に応じた。
「――了解。みんな、体育館に戻ってOKだって」
もう少し時間がかるのかと思いきや、割と早くに撮影は終わったようだ。
これでまともな写真が撮れてなかったら悪態をつかずにはいられないが……。
体育館に戻ると、
「これはどうでしょう?」
御園生翠葉が一枚の写真を提示した。
カメラがひとりひとりの手に渡り、「いいんじゃん?」「OK」「問題ないわ」。そんな言葉がそこかしこにあがる。そして自分にカメラが回ってきたとき、表示されていた写真に息を呑んだ。
さっきまで情けない顔していた女が笑っていた。
司先輩に背を預け、まるで安心しきったかのように柔らかな笑みを浮かべて。
チアの格好にはちょっと不釣合いにも思えなくはないが、さっきと比べると姿勢もポーズも格段に良くなっており、「問題ない」と判断できる写真だった。
「……突破口があるならとっとと提示しろよ」
どうしてそんな言葉を口にしたのかわからない。
ただ、心当たりがあるとしたら、御園生翠葉にはこんなふうに接するのが当たり前になっていて、普通に声をかけることができない。自分の中にちょっとした抵抗があることは理解していて――
理解できるものとできないものが頭の中に混在していて収まりがつかない。
むしゃくしゃした気分のまま体育館を出てテニスコートを突っ切ると、
「飛翔くんっ」
背後から名前を呼ばれた。
たぶん、っていうか間違いなく御園生翠葉。
「何……」
振り返ると、少し息を弾ませた御園生翠葉が立っていた。
「あの、撮影に時間がかかってごめんなさい」
「実質的には時間内に終わったから問題ないだろ?」
「うん、でも、迷惑はかけたと思うし、飛翔くんが言うことはもっともだと思ったから」
「なら、次からは考えて行動して」
「はい」
なんでこんなに素直なんだよ。
そんなところにもむしゃくしゃする。
そんな俺を前に御園生翠葉はわかりやすく息を深く吸い込んだ。
「会計の仕事のことなんだけどっ――」
何を言われるのかと一瞬構えたが、言われるより先に自分が口を開いていた。
「最後までやりきれよ」
「……え?」
「……あのさ、何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、俺は会計職がやりたくて仕事を分担するよう勧めてたわけじゃない」
事実、会計職がやりたくて反対していたわけではない。それに、これから言うことが本当の理由でもない。でも、後付けの理由でも口にしない限り、俺はずっとこんな対応しかできない気がするから――
「……あんたわかってんの? あんたが運動できないってわかってる時点で、どうしたって紫苑祭当日にかかるウェイトはあんたが一番重いんだよ。それなら、それまでの負担は俺たちが負うべきだと思ってた。なのに、仕事独り占めしてバカなの? あんたバカなの? 絶対バカだろ?」
嘘を吐く趣味はないが、嘘八百並べてしまった。
俺はただ、この女を認めたくなかっただけだ。司先輩がひとり起用したこの女を認めたくなかっただけ。
でも、あそこまでの仕事を見せられたら認めないわけにはいかなくて……。でも、易々と認めるのは悔しくて、まだ抵抗があって、結果こんな言い方しかできない。
しかし、御園生翠葉はふわりと笑んだ。
「何笑ってんの」
「ううん、ごめん、嬉しくて」
まさか信じた、とか……?
こいつ、「疑う」って言葉知らないのっ!? 何、俺が言ったこと全部真に受けてんのっ!? しかも泣くとかやめろよっ――
「泣かれるとか、マジやめてほしーんだけど」
「ごめんっ、すぐ泣きやむ」
御園生翠葉は手の甲で涙を拭うと、まだ涙が滲んだ目で、
「あのね、私、あともう一度だけわがままを言うから」
は……?
「来年の紅葉祭、中間考査までの作業はみんなでやるけれど、それ以降のリトルバンクに関する作業全般は私に任せてください」
何言ってんの、この人……。
「はぁっ!? あんた、やっぱバカだろ? 紫苑祭と紅葉祭じゃ扱う金額の規模が違う。それわかって――」
「うん、わかってる。でも、去年もそうだったの。それに、私はそういう形じゃないと生徒会に携われないから」
つい今しがた涙を見せた女はにこりときれいすぎる笑みを見せた。
「先日ツカサが話したとおり、去年生徒会規約に準規約ができて、私が学校外で会計の仕事をすることが認められているの。だから、先に言っておくね。会計の総元締めやらせてもらいます」
言い終わると、御園生翠葉は俺の反応を待たずに校舎へ向かって歩き出した。
ちょっと待て、言い逃げとかマジやめろ。
呆然と後姿を見送っていると、背後に人の気配がして振り返った。
そこには司先輩が立っていて……。
「あの人なんなんですか」
先輩はめったに見せない笑みを見せた。今はおかしそうに口端を上げている。
「去年言っただろ? あの紅葉祭の総元締めは翠だって」
「聞きました。聞きましたけど……」
にわかに信じがたい、というのが本音だ。
「最初の山場は会計三人で作業にあたった。そのあとは、収支報告から追加申請、リトルバンクに関するものの一切を翠が捌いていた」
「まさかっ!?」
いくらなんでもそれは――司先輩が、というならまだ頷けるけど……。
「翠の技量を知りたければ実際に仕事を見ればいい」
司先輩は涼しい顔で御園生翠葉のあとを追って歩き出す。
「……くっそ……なんだよあの女。紅葉祭でそこまでのことができるなら、今回の仕事なんてできて当然だろっ!?」
悔しさと腹立たしさとなんだかわけのわからない感情に支配され、俺は頭を掻きながらその場に座り込んだ。
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主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
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