光のもとで2

葉野りるは

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March

フィアンセの紹介 Side 翠葉 03話

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 ミュージックルーム前に立つ警護班の方に「お疲れ様です」と声をかけてミュージックルームに入ると、
「いつも声かけてるの?」
 ツカサは少し驚いたような顔で訊いてきた。
「うん。それがどうかした?」
「……こっちの都合で警護つけてるんだから、そんな気にしなくていいのに」
「……それはいや。藤宮の都合で警護についてもらってるとしても、私のために働いてくれてるのなら、挨拶くらいはしたいもの」
「ふーん……。で? なんのスコアを渡すって?」
「あ、これ」
 私はバッグに入っていたスコアを取り出した。
「桜の下で逢いましょう……?」
「うん。あっ、ほら、私が生徒会に就任するとき、ベーゼンドルファーを外で弾かせてもらったでしょう? そのときに弾いた曲のひとつ」
「どれ?」
「えぇと……聴くのが早いよね? ピアノとハープ、どっちがいい?」
「どっちでも弾けるの?」
「うん!」
 ツカサは少し考えてから、「じゃ、ハープで」と答えた。
 私はハープにかけてあったカバーをはずすと軽く音を合わせ、大好きな曲を丁寧に弾ききった。
「あの曲、そんな名前がついてたんだな」
「そうなの」
 そんな話をしているところに高崎さんがやってきて、ツカサのコーヒーをテーブルに置くと、
「翠葉ちゃんの分は休憩時間に持ってくるけど、今日もカモミールティーでいいの? デカフェの茶葉でロイヤルミルクティー作ろうか? ハチミツ入れてちょっと甘くしたやつ」
「わぁっ! じゃ、それでお願いします!」
「了解!」
 その後、ツカサはソファで本を読み始め、私はレッスン前に指を温めるべくピアノへ向かい、ひたすらハノンとツェルニーを弾いていた。

 先生はいつもどおり、六時五分前にやってきた。とても賑やかな慧くんを連れて。
 慧くんはミュージックルームに入るなり、
「なんだよこれ……。部屋っていうかホールじゃんか!」
 先生はクスクスと笑いながら、「ですよね~」と相槌を打っている。
 私はピアノの椅子から立ち上がり、慧くんには「いらっしゃい」と、先生には「お待ちしてました」と声をかけた。
 慧くんが大股で足を踏み出した瞬間、にこにこと笑ったままの先生は慧くんの首根っこを捕まえる。
 勢いを殺がれた慧くんは、
「なんだよっ!」
「まずは手洗いうがい」
 そう言うと、先生は慧くんの襟を掴んだまま洗面台へ向かって歩き出した。
 そんなふたりを見ながら、ピアノの上に置いた懐中時計に目を向ける。
 五時五十七分――
 あと三分しかないけれど、ツカサに慧くんを紹介する時間くらいは取れるだろう。
 さすがに、紹介もせず二時間放置はちょっと気が引ける。
 そう思った私は、急いでツカサのもとまで駆け寄った。
「走るな」
「ほんの三、四メートルだもの」
 ツカサはもの言いたげな顔でコーヒーカップを口に運ぶ。そして、カップをテーブルに置き口を開いたかと思えば、
「あれ、うるさい?」
「……ツカサ、それはどうかと思うの」
 初対面でまだ挨拶すらしていないというのに……。
「いや、なんか海斗臭がしたから」
「あー……確かに。ちょっとノリとか話し方とか似てるかも?」
「ふーん」
 ツカサはちらりと洗面台の方を見ては視線をもとに戻した。
 手洗いうがいが終わったふたりがやってくると、先生が慧くんの紹介を始める。
「司くん、こんばんは。こちら、倉敷芸術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻の倉敷慧くん。芸大祭に御園生さんを呼んだとき、ふたりを引き合わせたんです。どうやら、僕が紹介するまでもなく、小学生のころに出逢っていたようですが」
 そこまで言うと先生は、自己紹介するように、と慧くんを促した。
 先生の影から現れた慧くんは、どこか表情が硬い。言うなれば、とっても渋い顔をしている。
 その表情のまま、
「倉敷慧……」
 名前だけを口にした。
 どうしたんだろう……?
 いつもならもっとハキハキと、人懐こい顔で話す人だし、部屋に入ってきたときはとっても元気そうだったのに。
「……慧くん、どこか具合でも悪いの?」
 心配になってたずねると、慧くんの隣にいた先生がぷっ、と吹き出した。
「え? 先生どうし――」
「いえ、なんでもありません。慧くん、仏頂面が過ぎますよ」
 そんなふうに注意を促すと、
「うっせ」
 慧くんはそっぽを向いてしまった。
 うるさい感じの自己紹介ではなかったけれど、ツカサにはどう映っただろう……?
 ツカサの表情をうかがい見ようとしたとき、座っていたツカサが立ち上がった。
 それだけでも十分びっくりしたのに、ツカサは私がもっと驚く行動に出たのだ。
 めったに見ることのできない営業スマイルを貼り付けて、
「翠の婚約者の藤宮司です」
 一息に言い切った。
 愕然とした私はすぐに我に返り、私が言わなくてはいけなかった「婚約者」のフレーズに硬直する。
 でも、私が紹介する前にツカサが立ち上がって自己紹介してしまったわけだし、この場合、私に非はない――……と思いたい。
 恐る恐るツカサの顔を見ると、視線に気づいたツカサは恐ろしくきれいににこりと笑った。
 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってっ!
 これ、あとで責められるの確定っ!?
 いやな予感に心臓が駆け足を始める。と、
「お付き合いなさってるというお話は以前うかがいましたが、本当は婚約者? それとも、婚約したのは最近の話ですか?」
 第三者の声にはっとして、前方に視線を向ける。と、ひどく驚いたふうの先生に、今にも倒れてしまいそうな慧くんがいた。
 やっぱり高校生で婚約するというのは一般的ではないのかもしれない。そうでなければこれほど驚かれはしないだろう。
「あああああのっ、実は、ツカサの卒業を機に婚約したんですっ」
 ようやく自分が言わなくてはいけない一言を口にすると、慧くんが頭を抱えてその場に座り込んでしまった。
「慧くん大丈夫っ!? やっぱり具合悪いっ!? 何か飲み物持ってきてもらうっ!? それともソファに横になるっ!?」
 混乱のままに声をかけると、先生が間に入ってにこりと笑んだ。
「御園生さん、大丈夫ですよ。虫の居所が悪いだけですから。ね、慧くん?」
 慧くんは何も答えない。
「僕たちはこれからレッスンなので、おとなしく座っていられるならこの場にいてもかまいませんが、静かにできないのなら、今すぐこの部屋から出てくださいね」
 慧くんはコクコクと頷き、ツカサとは反対側のソファの端っこにちょこんと座った。そして、顔を上げると両手を使って四角を描き、そのジェスチャーを繰り返す。
「あっ、スコアっ!? これっ!」
 慌しくスコアを渡すと、慧くんはスコアに視線を落とし、そのほかのものを一切目に入れなくなった。
「それでは御園生さん、レッスンを始めましょうか」
「え? あ、はい……先生、本当に慧くん大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ。今、御園生さんがちょうどいい餌――いえ、精神安定剤を与えてくれましたからね」
 先生……今、「餌」って聞えた気がするのですが、私の聞き間違いでしょうか……。
「それより、これからレッスンですよ? ほかのことなど考えようものなら今日のレッスンは中止にしますので、そのつもりで」
 容赦の欠片もないことを、先生はにっこりと笑ったまま口にする。
 なんだろう……私の周り、笑顔でゴリ押する人とか、笑顔で容赦ないことを言う人が多すぎないだろうか……。
 そんなことを考えつつ、私は深呼吸をすることで気持ちを切り替えた。
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