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実践、妓女に学ぶ男へのしなだれ方
しおりを挟む香月は場違いな気分のまま、太燿、俊熙、磊飛の後ろをついて行く。
この街道は両側に妓楼が立ち並んでいて、呼び込みの下男達が明らかな太客の太燿や俊熙にひっきりなしに声をかけている。
磊飛はハッキリと護衛の風貌で、香月は青楼の妓女のような出で立ちにしてある。まるでお気に入りの妓女上がりを連れ歩いているような、そんな見せ方である。
芳馨に一日叩き込まれた歩き方や仕草を必死で思い出しながら歩く。こんなに長い裾はほとんど着た事がないので転げないように必死だ。
「嬢ちゃんなかなかやるじゃねぇか」
隣を歩く磊飛にそう褒められて、引き攣りそうな顔に微笑みを貼り付けたまま「はぁ」と気のない返事を返す。必死なので余裕が無い。
「普段見えないとこが見えるってのは、かなりグッとくるモンがあるよなぁ」
「ちょっと磊飛、助平発言やめてよ、折角香月ちゃん頑張ってくれたのに」
放蕩息子感マシマシの太燿が振り返りながら磊飛に指をさす。
呼び込みや街の喧騒が煩くてその後の彼らのやり取りがよく聞こえなくなったが、それをいい事に香月は歩くのに集中する事にした。
『おぉ?姐ちゃん何処の見世だ? ウチで倍額でやらねェか?』
『おい誰だあの妓女?どの見世行けば買える?』
「……ねぇ俊熙、ちょーっと香月ちゃん化け過ぎじゃない? 思った以上に目立っちゃってるんだけど」
「そう、だな…」
「隣にがっちり侍らせた方がいい?俺がやる?俊熙がやる?」
「……私が、やりましょう」
「ふふ、はーい」
「他意は無いですからね。磊飛、変われ」
「ヘイヘイ」
「おい、丁香!」
集中している所に突然大きな声を出されて、香月はびくりと反応する。
「っはい!?」
気づくと磊飛が前にいて、左隣には俊熙がいる。
「あ、あれ?」
「お前、その衣装に慣れていないんだろう。見てて危なかっかしい」
「えっ本当ですか?バレてます?…すみません、結構頑張ってるんですけど」
周りを行き交う人には聞こえないように、少し小さめの声で俊熙と会話を交わす。
「頑張っているのはわかっている。……ほら」
するとその右腕が、すっと差し出された。
「え」
「掴まれ。……あくまでも、『それらしく』だぞ」
思わず俊熙の顔を見る。そしていつもと雰囲気の違う彼に、香月は何度めかの鼓動を昂らせた。
いやいや自分が仕上げた見目なのに早く慣れなさいよ。
サラリと解かれた黒い長髪は風に靡き、豪奢な漢服の胸元を広めに寛がせた俊熙は、なんと言うか……妖艶だ。
「…し、失礼します」
確かに足元は覚束無いので、素直にその腕に左腕を絡める。少し体重をかけてもびくともしないくらいには、安定感のある支えだった。
『普段見えないとこが見えるってのは、かなりグッとくるモンがあるよなぁ』
先程聞き流した台詞が耳に蘇る。
確かに。
俊熙の首元なんて、いつもはしっかりと詰められているので見えることはない。たぶんこのせいで色気がダダ漏れているのだ。
「おい、もう少し近寄れないか? それだとただ単に掴まっているだけだろう」
「ひぇ、は、はい…」
これ以上近づくと心臓が破裂しそうだし足元に集中するどころではないのだが、しかし怪しまれない為には仕方がない。
この街道を歩き切るまでの辛抱だ。最奥に着けば、子豪と約束した青楼である。
香月は、昨日の芳馨先生の講義を思い出す。
いくつかの絵巻物を見せられ、『妓女に学ぶ男へのしなだれ方』『遊女に学ぶ色気のある仕草』『後宮妃に学ぶ上品な振る舞い』などなどを教わったのである。それはもう厳しく。
その中の『しなだれ方』を思い出して、香月はぐいと俊熙に近寄り、その肩に頭をそっと載せた。と言っても俊熙は頭一個分香月より高尺なので、載せるというよりは寄っかかるという感じだが。
芳馨には「とにかく『甘える』をまず意識しなさい。色気がどうとかより、まずはそこから始まるのよ」と言われたが、正直これまで両親からも『自律・自立せよ』と育てられてきたせいで、甘えるという感覚がよくわからない。そこから学ばないといけないのだが芳馨にはそれは言えなかったので、どこかの機会で梦瑶や後宮宮女にご教授賜らないといけないなと思ってはいる。
「すみません、重いかもしれないですけど、御容赦ください…」
「……いや、問題ない」
許可を得ると、香月は支えが出来たことで少し安心する。余裕が生まれたので、芳馨に言われた『視線で落とす』というのを試してみても良いかもしれない。
確か薄く目を細めて流し目をする、だったか。流し目なんてした事がないが、ただ見本として思い当たる人がいた事を思い出す。今や皇太后となった、玉燕だ。
定期的に玉燕の支度を担当していた頃、彼女の『流し目』に侍女は皆やられていたのだ。今思い出しても、玉燕妃の女たらしは筋金入りだった。あれをされると、多少の無理でも侍女たちは皆全て許して聞き入れてしまうのである。
玉燕妃を思い出し、香月は試しにそこにいた下男に流し目をしてみた。目が合う、すれ違う。通り過ぎるまでずっと目は合っていたが、ただそれだけで、果たして効いたのかどうかがわからない。
あれ、これってどうなったら『成功』なんだろう?
玉燕妃の場合は侍女に「はい」と言わせる為に使われていた気がするが、今は香月にその目的はない。――まぁいいか、練習だと思おう。
そう言えば芳馨はこうも言っていた。『流し目に片目での目配せを併せると効果的』。片目での目配せは芳馨に見せて貰ったので、次はそれも真似てみよう。
今度は向こうから歩いてきている貴族風の男性にやってみる。
じっと流し目で見つめていると香月の視線に気づいたのか目が合う。しばらくすれ違うまで見つめ合ったあと、そっと右目だけを一瞬閉じる。もう通り過ぎてしまったあとに、後ろから「あの…っ!」と声が聞こえた気がしたが振り返らない。
おや、今のはもしや成功したのでは?
この成果が確実なものか試したくて、その後も幾人かの男性に同じことを繰り返す。全員と目が合ったまますれ違いきることは出来たが、声があがるかはまちまちだった。
うーん、目配せは自然に出来るようになったし、あとは芳馨に見てもらうしかないか。そう思っていると、「あー、」と言いながら斜め前にいた太燿が振り返る。
「ねぇ香月ちゃん、何か余計なことしてない?」
「へっ!? 余計なこと、ですか?」
「うん、何かさっきより声掛け多くなってんだけど、君への」
「え」
何故か思わず俊熙を見上げると、呆れたような怒ったような視線で見下ろされていた。
「やたらめったら君の被害者出てる気するから、ちょっとその色気抑えてもらえるかな?」
「えっ、色気、出てましたか!」
「おい何故そんなに嬉しそうなんだ」
太燿からだけでなく俊熙からも突っ込みが入る。
「すみません、芳馨さまから教わったことを試してみたくて、なんか色々していました…」
「……あいつ……余計なことを……」
どうやら昨日の講義については何も報告されていないようだ。わざわざ桔梗殿の仕事を潰してまで丸一日叩き込まれたと言うのに。
「あのね香月ちゃん。そんな風に男にしなだれかかって尚、すれ違う男達の気を引いてたら、それはもう『手練手管感』がヤバいよ」
「す、すみません…でも一応それを目標としていて」
「あいつ本当に何をやっているんだ」
左上から地を這うような声が聴こえて肝が冷える。なんだか芳馨さまごめんなさい。
「お前のその勤勉さは買ってるんだが…今は使いどころが違う。いいからそのまま、大人しくしていろ」
「……はい、すみません……」
ちょっとやる気が空回りしてしまったみたいだ。トホホ、と落ち込む香月に、太燿が慰めるように「東宮の中での『紫丁香』なら、いくらでも試していいから」と苦笑していた。
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