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本当の意味での輝きとは何でしょう
しおりを挟むなぜか、香月は桂花殿に居た。
桂花殿とは皇帝の貴妃である白瑞麗(はくすいれい)妃の殿である。
香月は場違い甚だしさを感じながらも、両手には化粧道具と飾り類を入れた箱を抱え、案内役の宮女にただただついて行くしかない。
連れて行かれた部屋で桂花殿の主と相対した香月は、すぐに膝を折り平伏する。
「呉香月といったかしら。確かに化粧師の呉家と言えば素晴らしい才の持ち主だとは耳にしたことがあるけれど…まさか梦瑶妃のところに隠れていたなんて」
少し神経質そうな声だ。
貴妃とは、皇帝の側室の中で最上位に位置する妃である。つまりこの後宮の中で、偉皇后の次に権力を持つ人物。
なぜそんな高貴な方に拝謁しているのか。
思い返すまでもなく、俊熙から沙汰があったからに他ならない。
香月は自身に毒を盛った宮女の手がかりを得るため、まずはこの桂花殿で少しでも動きやすくなるようこの瑞麗妃の信頼を勝ち得なければならないのだ。
「呉香月、顔をあげなさい」
瑞麗の言葉で、香月はゆっくりと平伏を解く。
真正面から目にした貴妃は、切れ長の目に艶やかな黒髪のたいそう美しい女性だった。眦にはその目を更に鋭く見せる眼弦芼が黒く引かれ、赤い眼影が咲いている。その赤と同じ系統色の口紅が引かれた唇は、少し不機嫌そうに結ばれていた。
「太子少傅の申し入れとは言え、はいそうですかとすぐにあなたの腕を信用して招き入れることは出来ないわ。何より、張修媛の尚服に世話になるなんて」
梦瑶の名が出て、香月の頬がピクリと動く。修媛とは嬪の中で真ん中くらいの地位だが、梦瑶の官位はその修媛である。
瑞麗が梦瑶を下に見るような態度なのは年齢も官位も下なので仕方ないことだが、香月としては面白くない。言い返すことなど出来ないが。
ちなみに尚服とは香月の役割で、後宮の衣服に携わる役である。
「あなた、どんな人でも美しく仕立てられるのかしら?」
瑞麗に尋ねられて、香月はようやく口を開く機会を得た。
「恐れ入ります、白貴妃さま。わたくしは化粧師として、どんな方であろうと、元々持ちうる美しさを引き立たせられるよう研究を重ねてまいりました」
今は失われてしまったが、誇り高き『呉』である。
両親から、一族から、受け継いだ力だ。
香月はしっかりと瑞麗の目を見据えて言い切った。
「どんな方でも、美しく輝かせてみせます」
しばらく香月を見下ろしていた瑞麗は、ふぅとひと息つくと不機嫌さを消して言を発した。
「わかったわ、ならとりあえず試験ね。…梓萌(しほう)、可馨(かきょう)を呼んできて」
梓萌と呼ばれた女官が去って行くのをちらりと見届けると、瑞麗は香月に向き直って扇を口元にあてた。
「今から来る可馨という宮女を、梦瑶妃より美しくしてみせて」
その言葉に香月は目を見開く。
梦瑶は齢十一ではあるが、可憐さと美しさと清廉さを兼ね備えており、あと数年もすれば誰もが認める美人となると判る容姿である。後宮に来たばかりの頃は『傾国の姫になるのでは』と官吏の間で話題になったと、いつか水晶が教えてくれたことがある。もちろん美しさには同意しつつ、傾国させるような愚か者ではないと桔梗殿の全員が声を揃えて反論するが。
しかも梦瑶は香月の主だ。桔梗殿宮女の『梦瑶好き』はこの後宮では有名な話で、そんな香月に、『梦瑶より美しく』と指示するなんて。
瑞麗の言う試験とは、香月の化粧師としての腕のことだけでなく、立場など度外視し目の前の人物をただただ最高に仕立てるという、化粧師としての矜恃を試すことも含めているのだろう。
なるほど、賢く堅実で、そして人の上に立つ才のある方だ。
「…承知しました、白貴妃さま」
「ああ、それと、わたくしその呼ばれ方嫌いなの。瑞麗でいいわ」
自分の仕える妃以外は、必ず官職で呼ぶ。これが暗黙の了解なのだが、どうやら瑞麗はそんな慣例を気にもしていないようだ。何故かはわからないが、そう言われては従わない訳にはいかない。
「はい、瑞麗さま」
なんだか梦瑶以外に忠誠を誓っているような気がして、居心地が大変悪かった。
梓萌に連れられてやって来た可馨は、十四、五歳ほどの少女だった。梦瑶よりは大人びて見えるが、普段から後宮の華やかな人々に見慣れている香月にとっては、素朴で飾り気のない印象を受けた。
実際香月と同じように化粧もせず、髪も左右二つに分けて纏めているだけだ。頬には薄くそばかすがあり、顔色も悪く、突然呼び出されたことにひたすら怯えて縮こまっていた。
「可馨。今からこの香月が、あなたを梦瑶妃よりも美しくしてくれるそうよ」
「…えっ?」
瑞麗にそう言われるが、意味不明という顔をしている。
それはそうだろう、自身と梦瑶妃を引き合いに出された経験なんて、一宮女の立場ではきっと今まで無かっただろうから。
「可馨さん、よろしくお願いいたしますね」
にこりと挨拶すると、可馨は未だ状況を飲み込めていないまま、
「は、はい…よろしくお願いいたします…?」
と丁寧にお辞儀をした。その所作は流石、白貴妃の殿に勤める宮女だ。
「では香月、部屋を用意するからそちらで支度をするといいわ。梓萌、案内して」
「はい、瑞麗さま」
梓萌は桂花殿の最高位女官だろうか。最高位といえば桔梗殿でいうところの水晶である。であれば梓萌「さま」が正しそうだ。
「梓萌さま、お伺いしたいことがあるのですが」
歩きながら香月は梓萌の後頭部に声をかける。
「なんでしょう」
振り返りはしないが丁寧な応対にほっとする。たまに下位女官にひどく当たる人が居たりするが梓萌は違うようだ。
「可馨さんのお召かえもしたいんですが、衣装などはあったりしますでしょうか…」
ちらりと可馨を見ると驚いた顔をしている。
それもそうだ、宮女は宮女服以外を後宮内で着ることは無い。しかし、妃を際立たせる意味合いもある簡素なデザインは、いくら布が高級なものといえど『梦瑶と比べるには』物足りない。
やるからにはやる、香月はそれだけなのだ。
「…そうですね…あとで探してみましょう、瑞麗さまの昔のものがあるかもしれません」
「えっ!?そんな、瑞麗さまのお召し物をわたしなんかが…着れません!」
可馨は梓萌の言葉に大きな声を出す。そこでようやく梓萌が振り返った。
「可馨、これも瑞麗さまのご希望なのです。さぁ背筋を伸ばして」
「…………は、い……」
梓萌の瞳は諭すようなものだった。何となく、この可馨にただの宮女ではない期待を掛けているような。
そんな会話をしていると、用意されたという部屋に到着する。
「さて、私は服を持ってまいりますから、進めておいてください」
そう言って去って行く梓萌を見届けて、香月は改めて可馨に向き直る。
「私は化粧師の呉香月と申します。可馨さん、あなたのお支度を任されました。さぁ、ここに座ってくださいな」
可馨に椅子を勧めると、戸惑いながらも腰を下ろす。
「あの……なんでわたしなんでしょう…」
「さぁ、私も何も聞かされてないので何とも」
目をウロウロさせる少女の肌を見ながら、まずは乾燥を何とかしないとなと思う。
化粧箱から薔薇水を取り出し掌に出す。しばらく体温で温めたあと、「失礼しますね」と言って可馨の肌に満遍なく伸ばしていく。
始めは何か言いたげだった可馨も、顔をあちらこちら触られるもんだからとりあえずじっとしておこうと結論づけたのか、静かにされるがままになった。
「可馨さん、好きな花ってありますか?」
「え…花、ですか」
「ええ」
いつも梦瑶にするように、イメージを膨らませるための質問をする。
「そうですね…丹桂、とか」
「丹桂…なるほど、ここは桂花殿ですものね」
桂花とは、所謂木犀の総称だ。白花をつける銀桂、黄花をつける金桂、橙色の花をつける丹桂の三種類あり、特に丹桂は暑い盛りが終わり肌寒くなる季節に甘く優しい香りを放つ花として人気で、後宮にもあちこち植えられている。花が散ったあとは辺りが橙の絨毯のようになって、それはそれは美しいのだ。
「以前、瑞麗さまが仰っていたんです。この殿を桂花殿と名付けたのは、『謙虚に、しかし気高くあれ』と、自身と宮女に課したからだと」
可馨が瞼を閉じたまま、嬉しそうに語るのを見て、香月は手を動かしながら瑞麗を思い出す。確かに気高く、そして決して不遜な様子ではなかった、梦瑶を下に見ていたのは未だに根に持つが。
「わたしはその話を聞いて、瑞麗さまをとても尊敬したんです。こんな風になりたい、と…」
「素敵ですね」
「だけど……」
それまで声高く瑞麗を語っていた語気が、突如弱くなる。
「わたしなんか、そばかすもすごいし取り柄だってないし、後宮に来れたことが奇跡みたいなものだから…瑞麗さまみたいになんて、烏滸がましかったんです」
香月はじっと、目を閉じた可馨の顔を見る。
思った以上に、可馨は自己評価が低いようだった。それは瑞麗の掲げた『謙虚』とは似て非なるものである。
確かにそばかすはあるが、それだって大事な可馨の個性だ。そう考えて、香月はハッとした。
香月はこれまで、支度を担当する時は、その人の劣等感を無くすような化粧を施してきた。つり目が嫌だと言えば眼弦芼と眼影でたれ目を作ったし、薄い唇が嫌だと言えば口紅でぽってりとした唇を作った。
そしてたった今まで、香月は可馨のそばかすを遮瑕膏と粉底で隠すことしか考えていなかった。
しかし、本当にそれで良いのだろうか。
先程瑞麗に『元々持ちうる美しさを引き立たせられるよう研究を重ねてきた』と言ったのは香月だ。
そばかすは隠すもの。――本当に?
「自分でもなんでこんな顔に生まれたんだろうって、悲しくなります」
――違う。
例えこの一時化粧で『劣等感』を隠したって、それは劣等感に対しての対症療法でしかない。
根治療法は、劣等と思っているものを好きになることでしか叶えられないのだ。
しかし、いくら他人に「そのそばかす素敵よ」と言われたって、本人がそう思っていなければ何も心に響かない。なんなら逆にそばかすが無いからそんな事言えるのよ、と卑屈になってしまう可能性だってある。
香月は練っていた少し濃いめの遮瑕膏に、白の粉を少し加えた。
違う、私がやりたいことは、そんなことじゃない。
誰もが心の底から輝ける、そんな化粧をするのが私の仕事だ。
香月は何かひとつ自分が殻を破った気がして、可馨にこう宣言した。
「可馨さん、きっと四半刻後、その言葉は言えなくなりますよ」
と。
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