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第三章
薄っぺらい関係
しおりを挟む「すみません、最後にここの花飾だけチェックさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ」
大広間に到着したことに、別段疑問は無いようだ。一緒に二重扉を進む。
大広間には、まだ作業をしている数名の業者と、壁に沿って歩きながらキョロキョロと何かを確認している様子のノアがいた。それ以外は誰も居ない。
不自然にならないよう真っ先に自分の施した花飾へと向かう。おそらくノアも、リアナに気づいただろう。
「シルヴィアさん!」
早速ノアが、リアナの後方を着いてきていたシルヴィアに声をかけた。
「ローレンさん、ご苦労さまです。わたくしに何か?」
先程リアナに対していた様子と打って変わって表面的なシルヴィアの態度に、リアナは内心驚いた。人あたりの良さそうなノアだが、ヴェルディ家の身内からはそこそこ冷たい態度を取られているようだ。
「そろそろ夕食ですよね?…今晩もヴェルディ家は一緒に食事をとられるんでしょうか」
「ああ…一応そのつもりで我々は準備を進めておりますけど…どうなるでしょうね」
そういえばヴェルディ家は毎晩家族で夕食をとる習わしだとノアが話していた。2人が話しているのは『こんなことがあった日でも』そうするのか、ということであろう。
「…わかりました。一応何があるか分からないので、20時くらいまでは待機しておきますね」
「ええ、よろしくお願いしますわ」
「御意に。……ところでシルヴィアさん、こちらのレディは?」
わざとらしくそう言うノアに、リアナも仕方なく視線をそちらに向ける。
「ああ、こちら、花屋のオリアナさんですわ」
「どうも、オリアナと申します」
「なるほど花屋さんでしたか、どうりで可憐なはずだ」
にこりと優雅な笑みで、ノアは握手を求めてくる。確かにここでは自然な流れなので断るのも不自然だ。
読まないようにと心の準備をし、その手をとった。…と同時にリアナの右手は持ち上げられ、ノアの軽い口付けを許してしまう。
「ノア・ローレンです、お見知り置きを」
ノアの意図はわかる。どうせ隣の部屋であることをシルヴィアは知っているし、それなら今初めて会いましたという体を今のうちに見せつけておきたいということだろう。それならば今後客間付近で2人で居るところを見られても、怪しまれる可能性はぐっと減る。
ちらりとシルヴィアを見遣ると、その顔には辟易を張り付けていて、なるほど何故こんなにも心を開いていたか理由がわかった気がした。たぶん彼女も、イタリア男が得意ではないのだろう。
「そこまでです、ローレンさん。距離は程々に」
冷たいシルヴィアの声に肩を竦めながら、ノアはその手を解放する。
「オリアナさん、準備していた貴女の部屋なのだけれど、実はこのローレンさんの隣なのよ」
「…そうなんですね」
「ええ。色々あって警備みたいなことをお願いしているの。でももし貴女が不安ということなら、急ぎ別の部屋を準備することも出来るわ、どうかしら」
そう言うシルヴィアの瞳は心底心配げだ。
「ちょっとシルヴィアさん、流石に僕も分別つきますよ?」
「貴方には聞いていないのです、ローレンさん」
ピシャリと言い放つシルヴィアに、リアナは心の中で吹き出した。本当にびっくりするくらい信用されていなくて、もはや笑うしかない。
「大丈夫です、シルヴィアさん。私の方が無理を言っているのに今から変更なんて。朝早いので私はすぐに眠りますし、部屋から出ないと思うので問題ないです」
「本当に?大丈夫かしら?何かあったらすぐ電話を鳴らしてちょうだい、部屋にあるから」
「え、僕そこまで信用されてないんですか?」
「ええ、男性としては、という意味ですけれどね」
シルヴィアは過去にイタリア男と何かあったのだろうか、と思うほどの警戒である。あとでノアをからかってやろうとリアナはほくそ笑んだ。
大丈夫だともう一度言おうとしたところで、大広間の扉がぐわんと勢い良く開いた。
「いた、シルヴィア!」
声とともに入ってきたのは調律師のハーバートだった。
ちらりとこちらを見て視線が合う。
あ、ちょっと面倒かも。
リアナは内心舌打ちした。
ハーバートには、ノアとリアナが既知の関係であることなど知られてしまっているのだ。しかもそれを快く思っていない。
何か言われたらどうしようと冷や汗をかいたが、しかしそれも杞憂に終わる。
「シルヴィア、流石に今日はみんなで晩餐という雰囲気ではないみたいだよ。ヴィル様とフラン様が喧嘩してる」
「まぁ、そうですか!ではお部屋に…」
「そうだね、各自部屋で、って感じかも。ちょっと指揮お願いできる?」
「もちろんでございます」
話の展開からして、いつも通りの夕食を過ごそうとする長男ヴィルフレドと、弟が亡くなってそんな気分ではない長女フランチェスカが言い争っている、という感じだろうか。
慌てた様子のシルヴィアが、申し訳なさそうにリアナを振り返る。
「ごめんなさい、お部屋の案内が出来そうにないわ。仕方ないんだけれど、ローレンさんに聞いていただいてもいいかしら」
「はい、大丈夫です。お忙しいのにご配慮ありがとうございます」
そう返すと、シルヴィアは急いで大広間を出ていった。
残ったのはハーバートとノアとリアナという、ちょっと、いや、大変よろしくない組み合わせだ。
「……また、聞き込みでも手伝っていたのかな、リアナ嬢」
にこりと振り返ってそう言ったハーバートの声は、一切笑っていなかった。
「いえ、たまたまシルヴィアさんに花飾をチェックいただいていたところにいらっしゃっただけです」
先程とは性格を変えて、淡々と言葉を発す。シルヴィアに見せていたような熱心さや口数の多さは出さない。
おそらくハーバートは、自分より弱そうで御しやすそうな相手には心を開くタイプだ。ならばひたすらそれを演じるのみである。
「……部屋、って聞こえたけど」
「はい、明朝からの花飾メンテナンスもあるので、お部屋をいただきました」
「…へぇ…」
あくまでも花屋の本分であることをアピールするが、ハーバートの表情は納得いっていない様子だ。分を弁えろと言われた手前、確かに泊まりがけというのは納得できない案件かもしれない。が、貫くしかない。
「おやハーバートさん、リアナ嬢をお気に召されたんです?」
このピリついた雰囲気に油を差すように、ノアが言葉を発した。ハーバートは心底気に食わない様子でそれに応答する。
「ローレン氏こそ、一介の花屋に聞き込み手伝わせるなんて、プライドも何もあったもんじゃないね。一人で解決も出来ないのかい、あのローレンともあろう者が」
「はは、お恥ずかしい限りです。何せ人の出入りが激しいので聞き込みだけでも手一杯なんですよ、お察しください、警察でも来ればラクなんですけど」
「…まぁ、ヴィル様は何よりも祝典が最優先だからね」
ローレンはうまいこと話を逸らしたようで、ハーバートは今日起こった事件について言及し始めた。
「ローレン氏、ずばりマソリーノ様をあんな目に遭わせたのは誰なんだい」
「……今はまだ何とも」
「早く解決してくれよ、そうでないとアラン様がピアニストを辞めかねない。僕の進退もかかっているからね」
「全力を尽くします」
ハーバートは『パルトネル』の専属調律師なのでその心配は尤もなのだが、かなり自分本位でしかない考えが透けていて、リアナは不快感を覚えた。
もしかするとこの家の中で、マソリーノの死を本当に悼んでいるのは双子の弟だけなのかもしれない。
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