宗政公記~戦なき国へ~

飛蝗

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第一章 近江争乱編

第二話 音羽城、炎の虐殺

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六角方に与する蒲生定秀・賢秀父子の音羽城へ向かう陣列に、貞孝と宗政の兄弟も加わっていた。その傍らには、栗栖佐太夫、大岡右衛門丞、水谷仁兵衛といった側近衆(貞孝三人衆)と、宗政の守役である家老の羽田信親がいた。


「大滝の乱を鎮めて、時を置かずして南へ進軍とは……休みもなく、兵たちの士気もこれでは一向に上がらない。あの方はいいだろうが、我ら家臣団の意思も汲み取っていただきたいものだ。」
右衛門丞がぼそっとこぼす。

「言うな、若造」
それを、佐太夫が窘める。

「吉重殿に聞かれちゃまずいだろう。下手なことを言うもんじゃない。」
仁兵衛もそう言って、右衛門丞の愚痴をやめさせた。

それを馬上で聞いていた貞孝は、父の人望が日に日に失われていることを案じていた。
「家臣たちがこの言いようだ……。父上は露ほども気にしておられぬだろうが、こうなっては外の敵よりも、内なる敵ができることが気がかりよ。なんとか、次の戦で勝たねば。」


宗政と信親の主従も、歩みを進めながらも、考えは後ろを向くばかりであった。
「此度は高宮衆の井口殿と、本城より大吉様がお越しくださると聞いたが……信親、あの方々は果たして父上のために力を貸してくださるだろうか?」
「井口殿はまだしも、大吉様はどうでしょうな……。噂では、貞宗様の地位を羨んでいるとのこと。あくまで噂ですが、わしはどうも信じ切るのはまずい気がしますな。」

このとき、多賀家の軍勢に加えて、国人衆の井口盛清の軍勢が加わっていた。さらに、守護家の水口館からは、大吉信定という男が援軍にやってくる手はずであった。

しかし、この信定は野心家として有名であり、同じく野心で地位を勝ち取った貞宗を敵視していると専らの噂であったのだ。信親はこの噂を払拭しきれずにいた。



一行が音羽城近くまで進軍したその時である。
前方に、六角家の「四ツ目結」の旗印を掲げた軍勢が現れた。

「ふふ、憎き定頼めは先に死んだが、世継ぎの義賢はいかほどの器か……測ってやろう。奴が来る前に城を落とす。全軍かかれい!」

貞宗の判断は早かった。軍勢は城を守る蒲生の斥候で、貞宗は逃げる敵軍を散々に蹴散らして進んでいった。

「わしらも攻めるぞ!若、お背中はお任せを!」
仁兵衛が自慢の太刀筋で敵を薙ぎ払い、貞孝は守られながらも二度目の戦に臨んだ。

これで多くの兵を失った蒲生定秀は、抗戦すべきと唱える賢秀の進言を却下し、城門を固く閉ざした。籠城である。持久戦となったからには城を落とすのに時間がかかる。貞宗はこれに焦りを感じていた。



音羽城の包囲が始まってから数刻、日は沈み、すでに宵闇が陣を包んでいた。
本陣では部将たちが卓を囲み、策を練っている。

「義賢の本軍が来てはまずい。丸太兵を出し、城門を急ぎ破って蒲生の首を挙げるべきだ!そして大吉殿と合流し、義賢と決戦ぞ!」
井口盛清は血気盛んな壮年の武将で、この時も勇んで意見した。しかし、それを貞宗はあざ笑う。

「愚かな。貴様は音羽城の堅牢さを知らん。やりたいのなら一人で勝手にせい。」
「兄上……その言い方はあんまりに過ぎましょう。」
横から貞宗を諌めるのは、彼の実弟にあたる佐目朝吉だった。

「朝吉、お主もそう言うか。……軟弱めが」
貞宗がぼそりと罵倒するのを朝吉は聞き逃さなかった。朝吉は露骨に嫌な顔をする。

その時、伝令がやってきた。
「申し上げます!大吉様率いる本城の援軍がすぐそばまでお越しです!お出迎えを!」
しかし、貞宗はここでも語気を荒らげた。
「戦の最中ぞ……誰が恭しく出迎えなぞするか!さっさと包囲に加われと申し伝えておけ!」

このあまりの粗暴な言動に、諸将は思わず目を背け、戦の展開を愁いた。


さて、こちらは水口から参じた大吉信定の軍勢である。
信定は「貞宗は出迎えをよこさない」という伝令の報告に、腹を立てながらも、やはりなという顔をした。

「はっ、それでこそ多賀殿じゃ。さて、私はどうするかの。残念ながら、素直に多賀殿に協力する気は毛頭ない。太守様の命ゆえ馳せ参じたまでよ。」
信定は、遠くに見える音羽城の砦を見つめた。

「……少しだけ、苦しめてやる、毒蛇め」



とうとう痺れを切らした貞宗は、禁断の手に出た。あろうことか城下の農村に火を放ち、民の虐殺を始めたのである。弟の朝吉はじめ、ほとんどがこの戦法には反対したが、貞宗は寄りつく朝吉を殴りとばし、虐殺を強行した。

「進め!逆らうものは、撫で斬りにせよ!!」

静かに眠っていた音羽の村に、多賀軍が攻めかかり、老若男女問わず、次々と殺しては物資を盗み、火をつけていく。集落はやがて炎で煌めき、血で赤に染まった。

「何の罪もない民を手にかけるとは……!蒲生を釣り出すためとはいえ、これが父上のやり方だというのか!?」
「あ、あんまりです……。」
貞孝と宗政は虐殺には加わらず、本陣のあった丘から惨状を眺めていた。
「兄上、私たちは……どうすれば……?」

宗政の脳裏には、藤瀬城の戦いで見た、冷酷で残忍な毒蛇の瞳がこびりついて離れなかった。



いかなる揺さぶりにも動じず、門を締め切ったままじっとこらえていた蒲生定秀であったが、ついに城下に火が放たれたのを見て目の色を変えた。

「これはいかん!毒蛇め、なんたることをしおる……。賢秀、出陣いたすか?」
「奴は勝利とために手段を択ばぬ男……。ああ、だから抗戦すべきと申し上げたのです……、すぐにでも救援しましょう……。」

そこへ、攻め手から密使がやってきた。

「なに、寡兵で京極軍の背後を回って貞宗を奇襲せよだと……?」
定秀は信用ならぬといった様子で聞き返した。
「はい、我が主、大吉信定がそう伝えよと。この戦で我が主は一切動かぬと申しておりました。信じるかどうかは、蒲生殿次第ですが……。」

定秀は返答に詰まってしまった。敵の言うことを信じても良いものか。すると、その決断の鈍さに苛立った賢秀が父を叱咤した。
「父上、やりましょう!このまま貞宗の好きにさせてもいいのですか!?」
「う、うむ……よし、やるかの……!」


賢秀率いるわずかな蒲生勢が音羽城の裏門を飛び出し、信定の方へ一直線に駆けた。

これが、もしも罠だったら。

賢秀は信定の旗印を間近で見た時、そう恐ろしくなったが、本当に信定の兵は自分たちを見て見ぬふりをした。

「誰も、刀を抜かぬ……こちらを見もしない……。まさか、まこととは……。」
思わず呆気にとられた賢秀であったが、すぐに手綱を握りなおし、大きく迂回して貞宗軍の背後に回ることに成功した。



貞宗は未だ城門が開かれぬことに苛立っていた。
「民を無下に殺されてもまだわからぬか……!まだ、わしに噛みつかれたいか!?」
「父上……。」

貞孝はそんな父の姿を、どこか寂しげに見つめていた。自分が幼い頃は、まだこのような男ではなかったと思う。いや、その片鱗を隠していただけだというのか。

周囲から毒蛇と綽名されていることは知っていた。それでも、今の今までは父を信用したかった。少しばかり威厳が強すぎるからだと。

だが……。

「蛇どころか、ただの、悪魔だ……。あなたは。」


その時、背後から怒号と剣戟の音が聞こえた。
「大変です!蒲生勢が奇襲をかけてきました!」
「なに!いつの間に裏を取られたのだ!あっ……」
貞孝が丘の下を見下ろすと、京極家の旗がぞろぞろと退いていくのが見えた。

「ちっ……小癪な……。もうよい、城攻めはやめじゃ!貞孝、宗政、わしらは退却ぞ!朝吉、殿軍は任せる!」
貞宗はまたしても決断が早く、自分だけさっさと退き支度をはじめた。

「叔父上……?こんな所で殿軍など……」
宗政が朝吉の背中に語り掛けるが、朝吉は首を横に振った。
「仕方があるまい。誰かが一人残らねば、兄上の負けぞ。宗政、置いてゆかれる前にお前も撤退するのだ。」

朝吉には実の子がいなかったため、貞孝や宗政ら兄の子にとても目をかけていた。そんな叔父が、宗政は好きだった。

「叔父上の邪魔をするな、撤退しよう、宗政……!」
兄に半ば無理やり手を引かれ、宗政は戦場を去っていった。


「……すまぬな、優しき自慢のせがれ達よ。」
朝吉はそれを見届けると太刀を引き抜いて、わずかの兵とともに蒲生軍に立ち向かっていった。



「はぁ、はぁ、なんとかここまで耐えたわい……。」
朝吉らは驚くべきことに死地を切り抜け、賢秀を追い払い、北の山あいへと落ち延びることに成功した。満身創痍であるが、佐目家の家来たちも多くが生き延び、ついてきていた。

「よし、ここまで来れば追っ手もおらぬだろう。お前たち、よくやったな。大手柄じゃ!」

そう言って、朝吉が再び前を向くと、そこには兄の家老である吉重広信が騎乗して向き直っていた。

「吉重?」
「朝吉様、見事な戦ぶりでしたな。ですが、これまでです。」

その時、山道の両脇の大木が切り倒され、朝吉と広信の間にがらがらっ、と崩れてきた。

「な、なんだこれは!吉重!わしらの道をふさぐとはどういうことじゃ!」
「……殿の命ゆえ、ご堪忍あれ!」

そう言い残すと、広信は馬首を翻し、去っていった。
絶望の淵に立たされた朝吉のもとに、またしても最悪の知らせがもたらされる。

「朝吉様、いま音羽城の門が開き、定秀が打って出てまいりました……っ!」
「なにっ、うっ!」
次の瞬間、左足が矢で射抜かれ、朝吉はその場に崩れ落ちた。

視線の先には、四ツ目結の紋がわらわらと集まり、こちらに向かってきていた。

「おのれ……このわしまでも、毒蛇の餌食になるとは……。肉親ゆえ目をつぶってきたが、やはり兄のやることなすことは人間の所業ではない!ついに実の弟たるわしまで手にかけおって……。因果応報、地獄に落ちようぞ、多賀貞宗!!」

再び、一斉に矢が放たれ、朝吉はその総身に矢の雨を浴びた。

「貞孝、宗政……お前たちは、あの父のようになってはならぬ……。清く、生きよ……!ぐふっ……」

他の家来も徹底的に抗ったが、数の差は覆すことができず、佐目家は全滅となった。



翌朝。

水口館では、守護の京極高広が、戦を終え帰還した信定の報告を受けていた。

「太守様、多賀殿はそれがしがお止めしたにも関わらず、力攻めを敢行され、逆に蒲生の奇襲を受け散々な負けようでございました。それがしも懸命に刃を振るいましたが、多くの兵が犠牲に……。申し訳ございませぬ。」

平伏してそう報告する信定をしばらく見つめたあと、高広は悲しい表情を作り、ねぎらいの言葉をかけた。

「そうか……。戦巧者の貞宗をもってしても、六角の音羽城は落とせなんだか。だが、信定、よくぞ戦ったな。褒美はあとでとらすゆえ、下がってよいぞ。」
「はは、恐悦至極に存じまする。」
信定はそのまま高広のもとを下がった。


ひとりきりになった高広は、ふうっと息をつき、姿勢を崩した。
「予が何も知らぬと思うてか、信定。ゆうべ、そちは傷ひとつなく、兵を一人として損なわずに帰ってきおった。それが何を意味するか……予にはわかる。だが、これで終わりではあるまい。次は、何を考えている?」

高広はさらに胸元をはだける。先ほどの悲壮な顔はすでになかった。
「だが、貞宗の所業も近頃目に余る。せいぜい、互いにつぶし合えばよいのだ。誰が何をしようと、ここ近江での覇権は誰にも譲らぬ。」

音羽城の一戦は、さらなる争乱を招く火種となった。

高広、信定、貞宗、貞孝。それぞれの思惑が交錯し、血で血を洗う戦が始まることを、この男は予感していた。それと同時に、止めることができるのも守護の特権であったが、あえて彼は傍観した。


その日、多賀山城の貞孝のもとに、一通の書状が届いた。差出人は信定、と近習は言った。貞孝が訝しみながらも開くと、そこにはある密命が書かれていた。
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