今宵は遣らずの雨

佐倉 蘭

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第二部「運命(さだめ)の子」

第十六話

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   たとえ側室の子であろうと、宮内少輔くないしょうゆうは小夜里が産んだその子を跡取りである「嫡子」にするつもりだった。

   だが、このことが故郷の安芸広島藩で知られると、その子を次代の藩主にと推す一派が現れ、お家騒動に発展する恐れがある。
   また、いきなり小夜里を側室にして、その子を城下で育てるとなると、反対勢力による身の危険も生じる。

   生まれた子が男子だったのは至上の喜びである反面、諸刃の剣でもあった。
   実際に、三男として生を受けた宮内少輔自身も物心がつくまで、百姓に身を潜めさせられていた。

   結局、宮内少輔は断腸の思いで数年間、ただ他郷で見守るだけとなり、生まれた子は町家で育つことになる。

   藩主によって密かに「鍋二郎」と名付けられた我が「嫡子」を、絶対に流行はやり病や疱瘡ほうそうなどで、死なせるわけにはいかない。
   だから、宮内少輔は幼なじみで御殿医でもある竹内玄丞に、小夜里と鍋二郎を託したのだった。


   転機は昨年訪れた。

   他郷で剣術指南役の御役目を担っていた宮内少輔に、兄の安芸広島藩主より安芸広島新田しんでん藩主へ就くよう下知げじがあったのだ。

   数年ぶりの一時帰郷に、真っ先に駆けつけたのは、藩道場だった。無念だったが、まだ小夜里のもとへ参るのは許されなかった。
   仕方なく、故郷の藩士たちへの数日間だけの剣術指南役として入った。

   すると、めずらしく稽古の合間にもかかわらず、大きな声で論語を諳んじる者がいた。
   幼かった時分の、我が面立おもだちが、そこにあった。


「……そなた、『論語』で母をまもれると思うか」
   宮内少輔は凛とした声で問うた。

   目を丸くして自分を見上げるその顔に、
「母を護りたいか」
と再び訊く。

   しっかりと肯くのを見届けると、
「相手をしてやろう」
   そう云って、それから数日間、みっちりと稽古をつけてやった。

   我が血をひくからであろう。筋が良かった。


   稽古をつけた最後の日、意を決した顔で尋ねられた。
「みなが噂しておりまする。宮内少輔様は……ちっ…父上でござりまするか」

   これだけ姿かたちが瓜二つなのだ。藩内の者たちはみな秘められた素性を察していた。気がつかぬのは、小夜里の兄の佐伯 忠之進くらいだ。

   宮内少輔は身分が身分なのでじかになにか云う者はおらぬが、ずいぶんと妬んだ目で見られた。
   藩内には、若き日の小夜里を娶りたかった者、今の小夜里を後妻のちぞえにしたい者が、山ほどいたのだ。

   特に、小夜里を離縁した者からは凄まじく睨まれた。自分はとっとと後妻を迎えたにもかかわらず、まだ子に恵まれていなかったからだ。
   どうやら「原因」は、男の方の種なしにあったようだ。

「おまえの本当まことの名は鍋二郎だ。おまえの伯父上である御前様ごぜんさまが、おまえが生まれたときに名付けてくださったのだぞ」

   鍋二郎は頬を紅潮させた。
   自分は、望まれて生まれてきた子だったのだ。母を苦労させるためだけに生まれてきたわけではなかったのだ。

「それから、いずれおまえはおれの嫡子として、此度こたび立藩される安芸広島新田しんでん藩の二代藩主となる運命さだめだ」

   鍋二郎の目が、かっ、と見開かれる。

「鍋二郎、おまえの母には、おれにうたことを告げるなよ……そのうち必ず」
   懐手ふところでをした宮内少輔が云った。

「おまえとおまえの母を迎えに行くからな。……そのときまでの男の約束だ」

   鍋二郎は引き締まった面持ちで、しかと肯いた。

   そして、その翌年、約束は実行された。

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