今宵は遣らずの雨

佐倉 蘭

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第二部「運命(さだめ)の子」

第十五話

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   小夜里は後産を終えたあと、突然、意識を失った。大量の出血があった上に、その血がまったく止まらなかったのだ。

   町医の玄胤を呼びに行かせようと思った矢先、息子の玄丞が産室に駆けつけた。いつでも馳せ参じられるよう、近くの大店おおだなで待機していたのだ。

   血相を変えた藩主の御殿医が、一介の町家にいきなり飛び込んできたということは……
   長屋の女房たちは、生まれた子が大名家の血をひく「御落胤ごらくいん」だということを悟る。

   小夜里は「御落胤の御生母」となったのだ。

   それまでは、下働きだったおきみ・・・が目にしたことから話を膨らませ、小夜里が嫁ぐ前に想いを寄せていた武家の男があの日に訪れてきて、子をしたと美しき誤解をしていた。
   小夜里が生家のしがらみを打ち破って、愛しい男の子どもを授かることができたと思ったからこそ、みんなが手を貸したのだ。

   だから、だれも父親を問わなかったのだ。


   ところが、宮内少輔くないしょうゆうの方は小夜里とは行きずりにするつもりだった。

   眉も剃らずお歯黒もつけぬさまではあったが、その結われた丸まげで、一度はした女だと一目で知れた。

   正直、後腐れのない女、だと思った。江戸ではそういう女と若気の至りでときを忘れたこともある。今ではどんな顔の女であったかすら忘れたが……

   そして、あの一夜ひとよを、故郷での「最後の思い出」として他郷へと旅立って行った。


   にもかかわらず——忘れられなかったのである。

   あの夜を、たった一夜ひとよで終わらせるには、あまりにも小夜里と情を交わしすぎた。
   それにひきかえ、前夫との思い出にしがみつく歳上の「正室」とは、情の通いようもなかった。「忘れ形見」の娘もいて、ねやからは早々に遠ざかった。

   そんな折、小夜里が子を身籠ったとの知らせが入ってきた。その暮らしぶりは見張らせていた。
   腹の子は我が子に違いなかった。

   そこで、子ができたことを口実にして、小夜里を「側室」にしようと、兄である安芸広島藩主にかけ合った。
   だが藩主からは、小夜里の家柄などには障りはないものの、親戚筋の他郷の娘を「正室」に据えた矢先に同郷の「側室」をもうけるのは外聞が悪いため、しばらく待てと云われた。

   その後、難産の末に生まれた子が男子だったことが、早馬によって知らされた。
   宮内少輔は「男子誕生」と聞いて思わず湧き上がってくるうれしさを鎮めることに難儀した。

   ねぎらいを込めて小夜里の安否を尋ねると、遣いの者は急に表情を強張こわばらせて「一進一退」であることを告げた。
   すぐさま自ら馬を走らせて馳せ参じようとする宮内少輔を、家来たちが身体からだを張って押し留めた。

   それから何日も経ったあと、玄丞の働きによって小夜里が大事に至らなかった知らせが来るまで、宮内少輔は文字どおり生きた心地がしなかった。

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