今宵は遣らずの雨

佐倉 蘭

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第二部「運命(さだめ)の子」

第十二話

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「奥方さまを差し置いて、わたくしなぞが行くわけには参りませぬ」

   上下かみしもわきまえず、「側室」の立場の自分がのこのこと江戸へ参るのは、武家に生まれた女としての面目が立たなかった。

「……生まれた地で、死んだ前の亭主の菩提を娘と一緒に弔って行くゆえ、江戸へはついて行けぬと云われたのだ」

   宮内少輔くないしょうゆうの妻女は、他郷ではあるが親戚筋の大名の血を引く一人娘だった。
   幼い頃より許婚いいなずけであった婿養子の夫との間に娘を一人もうけ、仲睦まじく暮らしていたが、その夫は流行はやり病で急死していた。
   その後釜に入ったのが宮内少輔であったが、七年ほどを経ても情を通じ合えるような間柄にはなれなかったらしい。

「ただ、おれにとっては血は通わぬ娘ではあるが、いずれ兄の養女にして、少しでもき家と縁組みさせてやりたいと思うておる」
   宮内少輔は呟いた。それはまた、母親とともに郷里にとどまれる方策でもあった。

   その後、妻女の連れ子は、安芸広島藩五代藩主の浅野 安芸守あきのかみ 吉長よしながの養女となって、能姫よしひめと呼ばれるようになる。
   さらに数年後、豊前小倉藩の四代藩主である小笠原おがさわら 伊予守いよのかみ 忠総ただふさもとへ正室として嫁いだ。


「小夜里、おれの『奥』をおまえに直して、継室けいしつとして江戸に連れて参るからな」

   宮内少輔が満足顔で微笑む。

「もう……おれから逃げられぬぞ」

   いや、それでも、江戸に参るわけにはいかなかった。なぜなら……

——わたくしには、小太郎がいる。


「小夜里……」
   宮内少輔が小夜里に手を伸ばす。
   小夜里は思わず後ずさりしたが、間髪入れずに宮内少輔に抱き寄せられる。

「おまえ……もしかして、断る気じゃなかろうな」

    小夜里は居たたまれなくなって、あわてて顔を逸らす。

「もう、逃げられぬと申したであろう。それでも、逃げおおせようとするのであらば……」
   宮内少輔は小夜里の耳に口をつけて囁いた。
「……おまえの兄の佐伯 忠之進から『右筆ゆうひつ』の役目を召しあげるぞ」

   小夜里はびっくりして顔を戻した。「右筆」の御役目は、佐伯家の先祖代々からの「家業」である。

   宮内少輔は、捉えた獲物は決して逃さぬ、飢えた獣のようなおそろしい目をしていた。

「おまえを手に入れるためなら……」
   肝を冷やしてとまどう小夜里に、宮内少輔が覆いかぶさる。

「……おれは……なんだってやる」

   そう云って、小夜里を畳に沈めた。

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