今宵は遣らずの雨

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
6 / 51
第一部「運命(さだめ)の夜」

第六話

しおりを挟む
 
  外では激しい雨が雨戸を強く叩く中、内では男と女がむさぼるように激しく、相手を求め合っていた。

   やがて、小夜里がいななくような声をあげ、極みに達した。その直後、二人して畳の上に雪崩なだれた。

   しばらく息が乱れ、肩で息をしていた。

「……御酒に酔うて、川向こうとお間違えか」
   ようやく息が落ち着いてきた小夜里が、隣で身を横たえる民部に、皮肉めいた口調で云った。

   民部はふっ、と笑った。端正な顔が崩れて、小夜里の心の臓がどきりと鳴った。
   あわてて小夜里は、脱ぎ散らした浴衣を手元に引き寄せ、民部にかけようとした。
   すると、民部は小夜里を抱き寄せて、浴衣の中に一緒に入る。

   町家を流れる川の向こうには、女郎屋のある界隈かいわいがあった。江戸に渡った民部は、吉原や岡場所に出入りしていたのであろうか。語り口は訥々とつとつとしているのに、女の扱いには意外なほど長けていた。

たわけたことを……売女ばいた相手に、こんなに気をれる見合まぐわいができるはずがなかろうぞ」
   やさしく、小夜里の頬を撫でた。

   すっかり息を整えた民部は、口の端を歪めて苦笑いした。

「……おれの話を聞いてくれるか」

   砕けた口調に、江戸の名残を感じる。武家の物云いではなかった。

   そして、民部は静かに語り始めた。


   民部がこの度江戸から国許くにもとへ帰ってきたのには、仔細があった。

   嫡子でない武家の男は、他家に養子に入ることによって仕官の道を得ねばならぬ。それが叶わぬのなら、一生妻を娶ることもできず、生家の隅で身を小さくして過ごすよりほかない。
   次男でもなかなか難しい世なのに、三男である自分には養子の口はないであろう。

   ただ、藩の剣術道場の師範だけは、嫡子でなくても仕官することができた。
   民部は剣術の腕を磨いて身を立てようと決意し、江戸に出た。

   ところが、修行に励んでいた民部に思いがけず縁談話が来た。

   相手は親戚筋の他国の藩士の一人娘だった。江戸詰めだった藩士は道場で民部を見かけ、国許で漫然としている次兄よりも気に入ったそうだ。
   若く見えても、もう三十に手が届く歳になっていた。これを逃せば道はない。

   民部は急遽、国許に呼び戻された。

   町家の方まで足を伸ばしたのは、他国へ行けばもうこの地は踏めぬだろうと思ったからだ。最後に、自分の生まれ育った故郷ふるさとをじっくりと見ておきたかった。

——そして、小夜里に出逢った。


   外ではあれほど降っていたのにもかかわらず、いつの間にか鳴りを潜め、そぼ降る雨と変わっていた。

「おまえの話を聞いて……町家で子ども相手に剣術やっとうの道場を開く道もあったのだな、と思うた」
   民部が遠い目をして云った。

——だが、もう遅い。

   武家の者にとって「御家おいえ」から命ぜられた縁組は絶対である。
   たとえ相手がどうであろうとも、自分にどんなに好いた相手がいようとも、逆らうことはあり得ない。

   それは、同じく武家として生きてきた小夜里にとってもそうであった。

   民部が三男坊であると知ったときから、兄が家督を継いだ自分とは縁のない、相容あいいれない者だということは重々承知していた。
   将来さきのない相手だとわかり切っていながら、身を任せてしまった。

   いくら離縁後は眉を落とさず歯黒もつけぬとはいえ、民部とて丸まげを見れば、小夜里が一度はしたことのある女だと知れる。
   だからこそ、後腐れのない女とかりそめの一夜の契りを交わしたのだ、ということも、小夜里には判っていた。

   されど、不思議と悔やむ気持ちは露ほどもなかった。

   ぼんやりとした行燈あんどんの明かりの中で、男と女は互いの顔を見つめた。

   小夜里は指を伸ばし、民部の頬に触れた。
「民部さま……どうか……お達者で」
   そして、ふっくらと微笑んだ。民部の顔がせつなげに歪んだ。
「小夜里……」
   たまらず、小夜里を力の限り、抱きしめた。

   二人はぴったりと強く、固く、抱きあった。


   何度もひとつになって目合まぐわったあと、明け方、木戸番が界隈かいわいの木戸を開ける頃、民部は小夜里の家の裏口からそっと出て行った。

   小夜里はへっついのある土間で、乾いた着物を身につけ、大小の刀を腰に手挟たばさんだ民部の後ろ姿を見送った。

   雨はすっかり上がっていた。辺り一面に立ち込めた薄墨色のもやが、たちまちのうちに小夜里の目から民部を隠した。

   民部は城下とは反対の方角へ足を向けた。当然、廻り道となる。

   小夜里に界隈への障りがないように——そして、家人には川向こうへ行っていたように、見せるためである。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

陣借り狙撃やくざ無情譚(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)猟師として生きている栄助。ありきたりな日常がいつまでも続くと思っていた。  だが、陣借り無宿というやくざ者たちの出入り――戦に、陣借りする一種の傭兵に従兄弟に誘われる。 その後、栄助は陣借り無宿のひとりとして従兄弟に付き従う。たどりついた宿場で陣借り無宿としての働き、その魔力に栄助は魅入られる。

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。

SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。 伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。 そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。 さて、この先の少年の運命やいかに? 剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます! *この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから! *この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

処理中です...