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第一部「運命(さだめ)の夜」
第六話
しおりを挟む外では激しい雨が雨戸を強く叩く中、内では男と女がむさぼるように激しく、相手を求め合っていた。
やがて、小夜里が嘶くような声をあげ、極みに達した。その直後、二人して畳の上に雪崩れた。
しばらく息が乱れ、肩で息をしていた。
「……御酒に酔うて、川向こうとお間違えか」
ようやく息が落ち着いてきた小夜里が、隣で身を横たえる民部に、皮肉めいた口調で云った。
民部はふっ、と笑った。端正な顔が崩れて、小夜里の心の臓がどきりと鳴った。
あわてて小夜里は、脱ぎ散らした浴衣を手元に引き寄せ、民部にかけようとした。
すると、民部は小夜里を抱き寄せて、浴衣の中に一緒に入る。
町家を流れる川の向こうには、女郎屋のある界隈があった。江戸に渡った民部は、吉原や岡場所に出入りしていたのであろうか。語り口は訥々としているのに、女の扱いには意外なほど長けていた。
「戯けたことを……売女相手に、こんなに気を遣れる見合いができるはずがなかろうぞ」
やさしく、小夜里の頬を撫でた。
すっかり息を整えた民部は、口の端を歪めて苦笑いした。
「……おれの話を聞いてくれるか」
砕けた口調に、江戸の名残を感じる。武家の物云いではなかった。
そして、民部は静かに語り始めた。
民部がこの度江戸から国許へ帰ってきたのには、仔細があった。
嫡子でない武家の男は、他家に養子に入ることによって仕官の道を得ねばならぬ。それが叶わぬのなら、一生妻を娶ることもできず、生家の隅で身を小さくして過ごすよりほかない。
次男でもなかなか難しい世なのに、三男である自分には養子の口はないであろう。
ただ、藩の剣術道場の師範だけは、嫡子でなくても仕官することができた。
民部は剣術の腕を磨いて身を立てようと決意し、江戸に出た。
ところが、修行に励んでいた民部に思いがけず縁談話が来た。
相手は親戚筋の他国の藩士の一人娘だった。江戸詰めだった藩士は道場で民部を見かけ、国許で漫然としている次兄よりも気に入ったそうだ。
若く見えても、もう三十に手が届く歳になっていた。これを逃せば道はない。
民部は急遽、国許に呼び戻された。
町家の方まで足を伸ばしたのは、他国へ行けばもうこの地は踏めぬだろうと思ったからだ。最後に、自分の生まれ育った故郷をじっくりと見ておきたかった。
——そして、小夜里に出逢った。
外ではあれほど降っていたのにもかかわらず、いつの間にか鳴りを潜め、そぼ降る雨と変わっていた。
「おまえの話を聞いて……町家で子ども相手に剣術の道場を開く道もあったのだな、と思うた」
民部が遠い目をして云った。
——だが、もう遅い。
武家の者にとって「御家」から命ぜられた縁組は絶対である。
たとえ相手がどうであろうとも、自分にどんなに好いた相手がいようとも、逆らうことはあり得ない。
それは、同じく武家として生きてきた小夜里にとってもそうであった。
民部が三男坊であると知ったときから、兄が家督を継いだ自分とは縁のない、相容れない者だということは重々承知していた。
将来のない相手だと判り切っていながら、身を任せてしまった。
いくら離縁後は眉を落とさず歯黒もつけぬとはいえ、民部とて丸髷を見れば、小夜里が一度は嫁したことのある女だと知れる。
だからこそ、後腐れのない女とかりそめの一夜の契りを交わしたのだ、ということも、小夜里には判っていた。
されど、不思議と悔やむ気持ちは露ほどもなかった。
ぼんやりとした行燈の明かりの中で、男と女は互いの顔を見つめた。
小夜里は指を伸ばし、民部の頬に触れた。
「民部さま……どうか……お達者で」
そして、ふっくらと微笑んだ。民部の顔がせつなげに歪んだ。
「小夜里……」
堪らず、小夜里を力の限り、抱きしめた。
二人はぴったりと強く、固く、抱きあった。
何度もひとつになって目合ったあと、明け方、木戸番が界隈の木戸を開ける頃、民部は小夜里の家の裏口からそっと出て行った。
小夜里は竈のある土間で、乾いた着物を身につけ、大小の刀を腰に手挟んだ民部の後ろ姿を見送った。
雨はすっかり上がっていた。辺り一面に立ち込めた薄墨色の靄が、たちまちのうちに小夜里の目から民部を隠した。
民部は城下とは反対の方角へ足を向けた。当然、廻り道となる。
小夜里に界隈への障りがないように——そして、家人には川向こうへ行っていたように、見せるためである。
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