父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
11 / 12

父の秘密

しおりを挟む

   ふすまが、ずっ…ずっ…ずっ…とゆっくりと開いていき、やがて丑丸の姿が見えた。
   お下がりの古着ではなく寝間着で、顔色は紙のように白い。若衆髷わかしゅまげに結っていた髪は今はざんばらに下ろしている。

   座敷の外では丑丸を止めることができなかったおよね・・・が、青井へ供するために淹れた茶を手にしたまま突っ立っている。
   座敷の内にいる茂三も為すすべがなく、ただ固唾を飲んで見守るしかない。

   丑丸は熱で倒れて以来、茂三夫婦の寝間の隣にある四畳半に寝かされて養生していた。
   ようやく熱は治ったものの、食べる気力はまだ戻らず、育ち盛りの子どもらしくふくふく・・・・していた頬が今やげっそりと面窶おもやつれしている。

   されども、ふらつくおのれの体を励まして居住まいをきちっと正した丑丸は、上座に座する青井との妻に対面すると深々と平伏した。
それがし、山口 政太郎しょうたろうが嗣子・丑丸と申す」
   生まれて初めて、武家としての名乗りをあげた。

「……おお、そなたが……」
   青井の妻、八千代が思わず身を乗り出す。
「その姿……なんと、いたわしい……」
   丑丸に駆け寄ろうとする八千代を、青井が鋭い声で遮った。
おもてを上げよ」

   丑丸がぱっと顔を上げる。すぐさま青井と目が合う。凄まじい眼力であった。
   広島新田しんでん藩主・浅野 宮内少輔くないしょうゆうを幼少の頃より刺客から命をかけて護ってきた「御前様の懐刀」の目だ。
   丑丸はひるみかけるおのれの心を励まして、ぐっと奥歯を噛み締めた。

「そちの父上は……山口 政太郎と云う名で間違いあるまいな」
   念を押す青井に、丑丸はしっかりと肯いた。
「さすれば……父上は如何いかがした」
「先般、流行病はやりやまいにより身罷ってござる」
   丑丸はいっさい目を逸らすことなく、きっぱりと応えた。

   ところが、青井の方が耐えかねて丑丸からふっと目を逸らす。
「やはり、江戸に参ってござったか……」
   そして、ぎゅっと目を瞑った。
「しかも、あと少し早ければ——否、広い江戸の町でかように『忘れ形見』に巡り会うことができたのも……やはり、兄上が天に出向かれたことによる采配でござろう」

   平生はまったく心のうちを見せぬ夫がかように心を乱しているのを、八千代は初めて見た。
「旦那様、『兄上』とはいったい……」

「ああ、そうだな。国許を知らぬおまえには申しておらなんだが……」
   青井は目を開けると、再び丑丸を——亡き兄が遺した「忘れ形見」を見つめた。

「実は兄が一人おってな。
   御前様の乳母の子として生まれた我らは、如何いかなるときところであれど、御前様に付き従ってお護りしてきた」

   浅野 宮内少輔の乳兄弟のもう片方は、丑丸の父であった。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   浅野 宮内少輔が広島新田藩主に任ぜられ江戸へ出立する折には、もちろん青井 政太郎・清二郎兄弟も近習(側近の家来)として参上する手はずとなっていた。

   元より前藩主の三男坊を刺客から護る御役目なぞ、いつ身代わりとして命を落としてもおかしゅうない。ゆえに、青井家の中では分家筋からとも遺さねばならぬほどの血筋ではない兄弟が選ばれていた。
   すでに両親は鬼籍に入っていたため、兄弟は許嫁いいなずけを定めることなく江戸へと移る支度をしていた。

   さすれども——

   母方の山口家で、まだ正妻に男子のおらぬ若い当主が急逝し「御家騒動」が起きてしまった。そして、あろうことか周りまわって兄の政太郎が山口本家の跡取りに祀り上げられてしまったのだ。

   武家は「御家のめい」が絶対である。しからば、政太郎はこの先の世を生ける屍のごとくなる覚悟で山口の姓を引き継ぎ、泣く泣く国許に残った。

   さような矢先、突如市井のおなごに生ませていたと云う亡き当主の「忘れ形見」が現れた。

   さすれば「血は水よりも濃し」とばかりに政太郎を祀り上げていたはずの手のひらがくるりと返されて、あれよあれよと云う間に次代の当主の座を「忘れ形見」に奪われてしまった。
   政太郎は刀の腕が立つだけでなく書芸の方も明るかったはずだが、権謀術数には長けていなかったのが仇となった。

   かような国許の風の便りを江戸で受け取ったときには、もう遅かった。針の筵の中で暮らすのに耐えきれなかった政太郎は、とっくに安芸国を出奔したあとであった。

   御前様は無理だとしても、せめて弟のおのれには頼ってきてほしいと清二郎は切に願っていたが——武家として、そして兄としての政太郎の矜持が赦さなかったのであろう。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   およねに差し出された京の煎じ茶を飲みつつ、青井は告げた。
「継ぐほどの御家でもあるまい、と思ってござったが、子ができればそうも云うておれぬ。 それがしの嗣子とならば、やがては我が広島新田藩の次代を引き継ぐ若様の近習を仰せつかることになろう」

   浅野 宮内少輔には嗣子・鍋二郎なべじろうがいた。のちの二代広島新田藩主・浅野 兵部少輔ひょうぶしょうゆう 長喬ながたかである。歳は丑丸よりとお近く上であった。

「丑丸、若様の御為おんためにおのれの命を身代わりに差し出せるか」
   其れは次代の「御前様の懐刀」になれるか、という問いだ。

   その刹那、丑丸の目がかっと見開かれ、青白かった頬にさっと朱が走った。
「——御意」
   丑丸は引き締まった面持おももちで、しかと応じた。

「……八千代」
   青井は妻の名を呼んだ。
「今後、丑丸は青山緑町で暮らすこととなり、新たな母が必要となるが、其れでもおまえは離縁して町家で手習い所を開いて暮らしを立てると申すか」
   青山緑町に広島新田藩の藩邸があるゆえだ。

「滅相もない。丑丸殿の母となりて青山緑町にて精進いたしとう存じまする」
   八千代は三つ指をついて頭を下げた。

「それから、もう一つ——」
   なぜか、青井は妻から目を逸らしつつ告げた。
「……昔なじみだかなんだか知らぬが、淡路屋の若主人には金輪際頼るな」

しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

エウメネス伝―プルタルコス対比列伝より―

N2
歴史・時代
古代ギリシャの著述家プルタルコスの代表作『対比列伝』は、ギリシアとローマの英雄たちの伝記集です。 そのなかには、マンガ『ヒストリエ』で紹介されるまでわが国ではほとんど知るひとのなかったエウメネスなど、知名度は低くとも魅力的な生涯を送った人物のものがたりが収録されています。 ながく岩波文庫の河野与一訳が読まれていましたが、現在は品切れ。京都大学出版会の完訳が21世紀になって発売されましたが大きな書店にしかなく、お値段もなかなかのものです。また古典期の名著の訳が現行これだけというのは少しさみしい気がします。 そこで英文から重訳するかたちで翻訳を試みることにしました。 底本はJohn Dryden(1859)のものと、Bernadotte Perrin(1919)を用いました。 ひとまずエウメネスの伝記を訳出してみますが、将来的にはさらに人物を増やしていきたいと思っています(セルトリウス、スッラ、ピュロス、ポンペイウス、アルキビアデスなど)。ただすでに有名で単独の伝記も出回っているカエサルやアレクサンドロス、ペリクレスについては消極的です。 区切りの良いところまで翻訳するたびに投稿していくので、ぜんぶで何項目になるかわかりません。どうぞお付き合いください。 ※当たり前ですが、これからの『ヒストリエ』の展開のネタバレをふくむ可能性があります。

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

処理中です...