父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭

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後生一生のお願い

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   おとないの声を聞いて、およねが三和土たたき藁草履わらぞうりを突っかけてぱたぱたと出て行く。

   戸口では歳若いおなごが立っていた。
   されど、丸まげに結い上げた髪に、眉を剃り落としてお歯黒をつけている。人妻だ。
   加えて、小袖の着物の上に打掛を羽織っていた。武家の女子おなごである。

「……ご、御新造ごしんぞさん、うちに御用かえ」
   およねはおずおずと尋ねた。「御新造」とは御公儀(江戸幕府)の中でも公方くぼう様(将軍)に御目見得おめみえ(謁見)できない御家人の妻女、あるいは歳若い武家の妻女を指す。ちなみに御目見得できる旗本の妻女は「奥様」である。
   旗本か御家人かは風体からでは判ぜぬゆえ、およねは歳若い女子ならばと思って「御新造さん」と話しかけた。

   ふと引き戸の外を見ると、御新造の背には下女らしきおなごが付き従い、さらに後ろには中間ちゅうげん(武家で仕える下男)らしき男が控えていた。
   武家の御新造ともあろう者が、町家の往来を一人っきりで出歩くことはない。必ず供を付ける。

「と、とにかく中へへぇってくだせぇ」
   通りから丸見えの門口で話をするには往来の人目につきすぎるゆえ、およねは一行を家の中へと招じ入れた。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   御新造一行を南東に位置する陽当たりの良い客間に通すと、御新造を上座に案内あないして綿が詰まった一番いっち分厚い座布団を勧める。

  はからんや武家の御新造を我が座敷に招くことになり、茂三は畳面たたみおもてを張り替えておいたことを心底安堵した。少々張り込み過ぎたかと思っていたが、恥をかかずに済んだ。おかげで井草の匂いがいっそう清々すがすがと芳しい。
   一方およねは「先達せんだって淡路屋から分けてもらった茶があった。確か京からのぼった珍しい煎じ茶だったはず…」と算段しながら茶支度のために下がっていった。
   江戸者は見栄だけでおまんま・・・・が喰える。

「——そいで、御新造さん」
   下座に腰を据えた茂三が口火を切った。
「すまんこってすが、あっしは淡路屋の旦那からなんにも聞かされてねえんで……不躾でござんすが、本日は如何いかな御用で来なすったんでさ」

   御新造は伏し目がちに話し始めた。
「わたくしは安芸国広島新田しんでん藩に仕える藩士のさいにてござりまするが……」

   八代の公方様(徳川吉宗)の今までにないお改め(享保の改革)の一つに、諸藩の雑木林を切り開いて新たな田畑にする「新田開発」があった。税収である年貢米を増やすための方策である。
   さすれば、さまざま藩で新田が広がることになり、御公儀は其処そこを治めるために本藩から独立した「支藩」を設けることを認めた。
   安芸国広島新田藩はの一つとして立藩された新しい藩だ。江戸では青山緑町に藩主が住まう屋敷がある。

「御家人の娘として江戸府内で生を受けたゆえ、淡路屋さんとは昔なじみにてござりまする。今朝たまたま主人と出会でくわして、此方こちらの話を聞き及びますれば居ても立ってもいられなくなり、かように参った次第にてござりまする。
   また、此度こたびのことはどうしても家人に知られとうないゆえ、淡路屋さんにも他言せぬようお頼みしてござりまする」

「ほう……御家おいえもんたちにゃ知られとうないとな」
   茂三はうーんと唸った。なんだか厄介事の気配がする。

「嫁して三年経ちまするが、未だ子をすことができず、このままでは嫁ぎ先に顔向けできませぬ。ゆえに——離縁も止むなしと考えておりまする」
  
「お嬢っ、なんうことをっ」
   たまらず、座敷の出入り口に座していた下女が声をあげた。咄嗟に後ろの中間が抑えようとしたが、遅かった。
「無礼者、口を挟むことは赦さぬ。外へ出ておれ」
   御新造がぴしゃりと制した。すぐさま下女と中間は一礼して座敷から出て行った。

「お見苦しい処を。あれらは実家から婚家へ連れて参った者で、如何どうにも身贔屓が強く……」
   そのとき、取っておきの京の煎じ茶を淹れたおよねが入れ替わるようにやってきた。御新造の前に茶を置く。
「今お付きの人たちとすれ違ったんだけど、何があったんだい」
   亭主の前に茶を置く。座敷に煎じ茶の香りが広がる。

「まだ話の途中だ。……そいで、御新造さん」
   茂三が話を戻して、すばり訊く。
「おめぇさんが今日来た御用ってのはもしかして——藩士の旦那との離縁を避けてぇために丑丸をき取りてぇってことでやんすか」

   すると、御新造が座布団を外して横にやり、打掛の裾をひらりと翻して畳の上にきちりと座り直した。
「後生一生のお願いにてござりまする」  
   すっと綺麗に三つ指をつくと、深々とおもてを下げる。もちろん、御武家の妻女が一介の町家相手にすべき所作ではない。

「どうか、わたくしに——その子をお与えくださりませ」

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