父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭

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父さん 母さん 求めたし

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   丑丸は大きく目を見開いた。

「まだ八つのおめぇには、ちっとばかし難しい話になるが聞いとくれ」
   茂三がの目をじっと見て、噛んで云い含めるように告げる。
此度こたびな、六年ごとのお改めがあってさ。どいつがどこの町でどのうちに住んでるかってぇのを、改めて御公儀おかみに申し出なきゃいけなくなっちまったんだ。
  そうすっとよ、今はあっしが用立ててあの裏店うちに住まわしてやってっけど、おめぇのような餓鬼がきがたった一人っきりであの家に住んでるっってもさ、御公儀ってとこは頭が固くってよ、ゆるしちゃくんねえのよ」

   丑丸はすーっと目を落とした。そして、唇をぐっと噛み締める。

「だけどね、あんたがあたしらの子になってくれさえしたらさ、の家の子として申し出ることができて此処ここに住めんだよ」
   およねがさらにずいと膝を進めた。

「おめぇにとっちゃ寝耳に水の話だかんな。面喰らうのは仕様しょうがあんめぇ。あっしもよ、此れからの生き先のこったからゆっくり考えろって云いてぇところだが……ときが待ってくんねえのよ」
   寺請証文のない丑丸を養い子にするのだ。家持の淡路屋に頼み込んで、方々に手を回してもらうことになるであろう。その段取りのためにも、丑丸には一刻も早く決めてほしかった。

   丑丸はぎゅーっと目をつぶった。幼い頭の中で、せいいっぱい考えているように見えた。
   茂三とおよねは逸る心持ちをなんとか抑えて、しばし見守った。

   やがて、丑丸がぽつりとつぶやいた。
「……おいらにとっちゃ、地獄に仏のありがてぇ話だ」

   茂三とおよねが身を乗り出した。
「おう、引き受けてくれるか」
「あんたを亡くした子の分まで大事でぇじにすっからね」

   されども——

「そいでも……おいらは——否、それがしは武家の子にてござる」
   丑丸は苦渋のおも持ちではあったが、きっぱりと云い放った。

   しかしながら、故郷くにの藩を抜け出て江戸にやってきた時点で、丑丸の父親はすでに武家ではない。
   にもかかわらず、武家の男が外で大手を振って商いなぞできぬと云って、日当たりしくじめじめと湿気しけった裏店うらだなの片隅で板間の上に座して傘の張り替えや虫籠作り、時折は変体仮名の読み書きはできても固い字(漢字)がわからぬ町家の者から頼まれて公事師くじし(代書屋)の真似事などもしていた。

   それでも——否、であるからこそ、さような父から生じたたった一人きりの男子おのことして、養い子になる代わりに町家の者になることなぞ、受け入れるわけにはいかなかった。

「おめぇが亡くなったてて親に義理立てする心持ちはわかるがよ」
   茂三が憐れみの目を丑丸へ向けた。
「だけどこのままじゃ、おめぇは武家どころか町家の身にもなれねえ無宿もんになっちまうんだぜ。したら、だれにも相手にされなくなって其処そこらで野垂れ死んじまうかもしれねぇんだぞ」
「そうだよ、よっく考えとくれ」
   およねも目を潤ませて云う。
「あの世のおっつあんだってさ、あんたが御武家だろうと町家のもんだろうと、無事に生きててくれさえすりゃあ御の字なんじゃねぇのかえ」

   丑丸はまた、ぎゅーっと目をつぶった。

   先ほどよりもずっと、さまざまに思いを巡らせているのであろう。茂三もおよねも、ただじっと待つしかできなかった。

   ようやく、丑丸の目が開いた。
「……紙と筆を貸してくんねぇか」
   
「へっ、な、なんだ、なにを書く気なんでぇ」
   茂三のつらが、鳩が豆鉄砲を喰ったかのごとくなる。
「おまいさん、いいじゃないか」
   およねが茂三のたもとをくいっと引いて制す。
「取ってくっから、ちょいと待ってな」


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   およねが漆喰紙、反故ほご紙、墨、すずり、水差しそして筆を抱えて座敷に戻ってきた。

  丑丸はそれらを受け取ると、まず何枚もの反故紙を重ねて辺り一面に広げる。張り替えて間もない青々とした畳を墨で汚さないようにするためだ。
   その上に漆喰紙と硯を置く。漆喰紙は手習い(習字)の稽古などで使う廉価な和紙で、書き損じて不要になったのが反故紙となる。
   それから、水差しから硯に水を垂らして墨をすっすっと滑らせた。
   やがて、ちょうど頃合いの墨の濃さになると筆の穂先に含ませて漆喰紙に向かう。

   そして、丑丸は一気呵成に書き上げた。

「ととさん かかさん もとめたし」

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