父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
6 / 12

父さん 母さん 求めたし

しおりを挟む

   丑丸は大きく目を見開いた。

「まだ八つのおめぇには、ちっとばかし難しい話になるが聞いとくれ」
   茂三がの目をじっと見て、噛んで云い含めるように告げる。
此度こたびな、六年ごとのお改めがあってさ。どいつがどこの町でどのうちに住んでるかってぇのを、改めて御公儀おかみに申し出なきゃいけなくなっちまったんだ。
  そうすっとよ、今はあっしが用立ててあの裏店うちに住まわしてやってっけど、おめぇのような餓鬼がきがたった一人っきりであの家に住んでるっってもさ、御公儀ってとこは頭が固くってよ、ゆるしちゃくんねえのよ」

   丑丸はすーっと目を落とした。そして、唇をぐっと噛み締める。

「だけどね、あんたがあたしらの子になってくれさえしたらさ、の家の子として申し出ることができて此処ここに住めんだよ」
   およねがさらにずいと膝を進めた。

「おめぇにとっちゃ寝耳に水の話だかんな。面喰らうのは仕様しょうがあんめぇ。あっしもよ、此れからの生き先のこったからゆっくり考えろって云いてぇところだが……ときが待ってくんねえのよ」
   寺請証文のない丑丸を養い子にするのだ。家持の淡路屋に頼み込んで、方々に手を回してもらうことになるであろう。その段取りのためにも、丑丸には一刻も早く決めてほしかった。

   丑丸はぎゅーっと目をつぶった。幼い頭の中で、せいいっぱい考えているように見えた。
   茂三とおよねは逸る心持ちをなんとか抑えて、しばし見守った。

   やがて、丑丸がぽつりとつぶやいた。
「……おいらにとっちゃ、地獄に仏のありがてぇ話だ」

   茂三とおよねが身を乗り出した。
「おう、引き受けてくれるか」
「あんたを亡くした子の分まで大事でぇじにすっからね」

   されども——

「そいでも……おいらは——否、それがしは武家の子にてござる」
   丑丸は苦渋のおも持ちではあったが、きっぱりと云い放った。

   しかしながら、故郷くにの藩を抜け出て江戸にやってきた時点で、丑丸の父親はすでに武家ではない。
   にもかかわらず、武家の男が外で大手を振って商いなぞできぬと云って、日当たりしくじめじめと湿気しけった裏店うらだなの片隅で板間の上に座して傘の張り替えや虫籠作り、時折は変体仮名の読み書きはできても固い字(漢字)がわからぬ町家の者から頼まれて公事師くじし(代書屋)の真似事などもしていた。

   それでも——否、であるからこそ、さような父から生じたたった一人きりの男子おのことして、養い子になる代わりに町家の者になることなぞ、受け入れるわけにはいかなかった。

「おめぇが亡くなったてて親に義理立てする心持ちはわかるがよ」
   茂三が憐れみの目を丑丸へ向けた。
「だけどこのままじゃ、おめぇは武家どころか町家の身にもなれねえ無宿もんになっちまうんだぜ。したら、だれにも相手にされなくなって其処そこらで野垂れ死んじまうかもしれねぇんだぞ」
「そうだよ、よっく考えとくれ」
   およねも目を潤ませて云う。
「あの世のおっつあんだってさ、あんたが御武家だろうと町家のもんだろうと、無事に生きててくれさえすりゃあ御の字なんじゃねぇのかえ」

   丑丸はまた、ぎゅーっと目をつぶった。

   先ほどよりもずっと、さまざまに思いを巡らせているのであろう。茂三もおよねも、ただじっと待つしかできなかった。

   ようやく、丑丸の目が開いた。
「……紙と筆を貸してくんねぇか」
   
「へっ、な、なんだ、なにを書く気なんでぇ」
   茂三のつらが、鳩が豆鉄砲を喰ったかのごとくなる。
「おまいさん、いいじゃないか」
   およねが茂三のたもとをくいっと引いて制す。
「取ってくっから、ちょいと待ってな」


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   およねが漆喰紙、反故ほご紙、墨、すずり、水差しそして筆を抱えて座敷に戻ってきた。

  丑丸はそれらを受け取ると、まず何枚もの反故紙を重ねて辺り一面に広げる。張り替えて間もない青々とした畳を墨で汚さないようにするためだ。
   その上に漆喰紙と硯を置く。漆喰紙は手習い(習字)の稽古などで使う廉価な和紙で、書き損じて不要になったのが反故紙となる。
   それから、水差しから硯に水を垂らして墨をすっすっと滑らせた。
   やがて、ちょうど頃合いの墨の濃さになると筆の穂先に含ませて漆喰紙に向かう。

   そして、丑丸は一気呵成に書き上げた。

「ととさん かかさん もとめたし」

しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

エウメネス伝―プルタルコス対比列伝より―

N2
歴史・時代
古代ギリシャの著述家プルタルコスの代表作『対比列伝』は、ギリシアとローマの英雄たちの伝記集です。 そのなかには、マンガ『ヒストリエ』で紹介されるまでわが国ではほとんど知るひとのなかったエウメネスなど、知名度は低くとも魅力的な生涯を送った人物のものがたりが収録されています。 ながく岩波文庫の河野与一訳が読まれていましたが、現在は品切れ。京都大学出版会の完訳が21世紀になって発売されましたが大きな書店にしかなく、お値段もなかなかのものです。また古典期の名著の訳が現行これだけというのは少しさみしい気がします。 そこで英文から重訳するかたちで翻訳を試みることにしました。 底本はJohn Dryden(1859)のものと、Bernadotte Perrin(1919)を用いました。 ひとまずエウメネスの伝記を訳出してみますが、将来的にはさらに人物を増やしていきたいと思っています(セルトリウス、スッラ、ピュロス、ポンペイウス、アルキビアデスなど)。ただすでに有名で単独の伝記も出回っているカエサルやアレクサンドロス、ペリクレスについては消極的です。 区切りの良いところまで翻訳するたびに投稿していくので、ぜんぶで何項目になるかわかりません。どうぞお付き合いください。 ※当たり前ですが、これからの『ヒストリエ』の展開のネタバレをふくむ可能性があります。

ロクスタ〜ネロの愛した毒使い〜

称好軒梅庵
歴史・時代
ローマ帝国初期の時代。 毒に魅入られたガリア人の少女ロクスタは、時の皇后アグリッピーナに見出され、その息子ネロと出会う。 暴君と呼ばれた皇帝ネロと、稀代の暗殺者である毒使いロクスタの奇妙な関係を描く歴史小説。

【架空戦記】炎立つ真珠湾

糸冬
歴史・時代
一九四一年十二月八日。 日本海軍による真珠湾攻撃は成功裡に終わった。 さらなる戦果を求めて第二次攻撃を求める声に対し、南雲忠一司令は、歴史を覆す決断を下す。 「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ……。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...