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女房たちの井戸端話

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「ええっ、そりゃあ本当かい」
「あっ、そいでせがれを置いて出ていったってこったねぇ」
「おすみってさ、何処どこの生まれか知んないけど、男好きのするおなごだったもんねぇ」
「『柳腰』ってのかい、妙に色気ある立ち居でさ。うちの裏店の男連中だけじゃ飽き足らず、両隣の男たちまでもそわそわさせちまってよ」
「そういや、あんたの亭主もご執心だったねぇ」
「なに云ってやがんでぇ。あんたの亭主もだってのよ」
「やだよう、あんたら云い合いなんかすんじゃないよ。みっともねぇったらありゃしない」

「そうだ、ちょいと小耳に挟んだ話があんだけど……」
   女房のうちの一人がふと思い出した。
「なんだってぇ」
はよう教えとくれよ」
「もったいぶって出し惜しみはなしだかんね」
   とたんに他の女房たちがかしましく騒ぎ出す。

「わかってるってのよ。……実はさ、おすみは亭主と縁付くまで、なんと品川だか千住だかの宿しゅくで夜な夜な客を引いてたんだってよ」

   五街道からそれぞれ江戸に入る際の一番初めの宿場町である、品川宿(東海道)・内藤新宿(甲州道中)・板橋宿(中山道)・千住宿(日光道中・奥州道中)には、春をひさぐ「岡場所」が設けられている。されど、御公儀(江戸幕府)からお墨付きをもらっている吉原とは異なり、正式な遊里(遊郭)ではない。

「ええっ、おすみの亭主は御武家だった男だろ。なのに、そないな卑しいおなごを女房にしたってのかい」
「御武家っってもさ、お故郷くにをおん出て江戸にやってきたっう田舎侍なら、おすみみてぇなおなごにっかかるのもしょうがあんめぇ」
「ちょ、ちょっと、もうしなって」
   隣の女房がぐいっと肩を掴んだ。
「なんだよ、濡れた手で触んじゃないよ。それに、あんただって先刻さっき……」
   いきなり掴まれた方はキッと睨むが、次の刹那押し黙らざるをえなくなった。

   女房連中がめいめい好き勝手にくっちゃべりながら洗い物をしている井戸端に、いつの間にか丑丸が近づいてきていたのだ。
   おすみに置き去りにされた倅で、まだよわい八つの子どもだ。

   女房たちは気まずげに顔をしかめたが、すぐに気を持ち直した。
「あっ、そりゃあ汚れ物かい。精が出るやねぇ」
「こっちに寄越しな。うちの子のと一緒に洗ってやるよ」
「そうしなよ。向こうで裏店の餓鬼がきどもが遊んでっからよ、あんたも混ぜてもらいな」

   されども、声をかけてきた女房たちには見向きもせず、丑丸は持ってきたたらいを地べたに置くと、井戸の台板を半分だけ外し釣瓶つるべをするするする…と水の中へ落とした。
   釣瓶で水を汲むと、今度はずるっずるっ…と引き上げる。それから盥の中へ釣瓶の水を張り、しゃがみ込んだかと思えば洗濯板でごしごしと汚れ物を洗い始めた。

「……ほら、ぬかだよ。使いな」
   一人の女房が丑丸に差し出す。おいくと云う名のまだ歳若いおなごで、背中に赤子を負ぶって隅の方で洗い物をしていた。
   おいくは亭主や子のため裏店内で肩身の狭い思いをするのは御免こうむりたかったゆえ、井戸端での浮世話に耳を傾けはすれども、おのれからはあまり話さぬようにしていた。

  さすれども、さようなおいく・・・にも丑丸は洗濯板から目を移すことはなかった。

「力任せに擦ったってさ、井戸の水だけじゃあ汚れは落ちねぇんだ。れどころかいたずらに布を痛めちまって寿命を縮めるだけだよ」  
   丑丸はパッとおもてを上げた。米糠に含まれる油分に汚れが引き寄せられるなんて知るよしもない。そもそもうちにあっただろうか。
「糠がなけりゃ灰汁あくでも米の研ぎ汁でも構わねぇよ」
   おいくは丑丸の手を取って、糠を入れた小袋を握らせた。その手はまだ小さい。

「ねぇ、だれか寸足らずになって着なくなっちまった子の着物ないかえ」
   おいくが女房連中に向かって訊いた。着たきり雀の着物を洗っている丑丸は今、下帯一つのほぼ裸だった。
「あいよ、ちょっくら帰って取ってきてやるよ」
   一人の女房が申し出て家へ戻ろうと振り返ったそのとき——

「あぁ、丑丸……こないなところにいたのか」
   井戸は裏店の入り口から一番奥まった場処ゆえ滅多に来ない者が姿を現した。
「おめぇんとこの表の油障子を何度叩いても出てこなかったから、どうしちまったかと案じてたところさ」 
   裏店の家守である茂三だった。

   女房連中からどよめきが起こる。丑丸は弾かれたように立ち上がった。

「厄介なことになってな。此処ここまで出張ってきたってわけさ。そういや、前んときからもう六年経っちまってたな……」
   『六年』と聞いて、おいくが尋ねた。
「家守さん、もしかすっと……『人別帳』のお改めのことでないかえ」
   茂三が渋い顔をして肯いた。

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