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ひとりぼっちの裏店暮らし
しおりを挟む齢八つで、しかも無一文でたったひとり残された丑丸の裏店での暮らしが始まった。
いくら父親がかつて故郷の藩に仕えていた御武家であったとは云え、母親はどっからどう見ても下々の生まれで、丑丸自身は江戸の裏店生まれの裏店育ちだ。ゆえに、生まれてこの方裏店以外の暮らしは知らない。
幸いなことに住む裏店と喰い扶持に関しては家守の茂三が当面の銭を用立ててくれた上に、女房のおよねがたいそう不憫がってちょくちょくおまんまをこさえて持ってきてくれた。
もちろん見て見ぬふりはできぬということもあろうが、幼い丑丸が見よう見まねの拙い手つきで竈を扱って、万が一でも火なんか出した暁には目も当てられない。
とならば 、御公儀の町方役人に責めを受けるのは裏店の世話役である茂三だ。裏店を預かる家守にとって其処に住まう店子は我が子も同然、と見做されるゆえだ。
材木と和紙で造られた家屋敷が立ち並ぶ江戸の町では、ひとたび火が出ればたちまちのうちに次から次へと燃え広がってしまう。
江戸でつつがなく暮らしたいのであらば、なにを置いても「火の用心」が幟旗だ。いくつもの蔵を並べる大店はもちろんのこと、宵越しの金など持たぬ裏店住まいの独り者ですら火においてはそれはそれは心配りをしている。
さような江戸は男の町だった。男の数がおなごの五、六倍はいる。「年ごとの大名行列」——三代の公方様(徳川家光)による諸藩のお殿様(大名)たちへの一年ごとに領地と江戸を往復する御触れ(参勤交代)に伴い国許からお殿様に付き従ってきた男たちが呼び水となり、その後諸国から職を求めていろんな身分の男たちがやってくるようになった。
さらに「入り鉄砲と出女」の御触れによって江戸へのおなごの出入りを厳しくしたものだから、ますます男ばかりになり江戸の男たちには一生涯独り身である者が少なくない。
すると、煮炊きのできぬ男たちに向けて屋台や行商人たちがさまざまなお菜を売るようになっていった。
丑丸も茂三から、およねのおまんまが来ない折には表通りへ出て天秤棒を担いで売り歩く棒手振りを見つけ、渡してある銭を出してお菜を買うようにととくと云い含められていた。
されど、火を使わずともやり遂せる洗い物はおのれ自身の手でやらねばならない。いくら着たきり雀で着替える着物すらないとは云え——否や、着替える着物がないからこそ、お天道様がさんさんと照りつける晴れ間に洗って日が傾くまでに乾かせる算段をせねばならないのだ。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
雲一つない真っ青な空が澄み渡り今日一日は雨知らずと思われる朝、汚れ物と洗濯板を入れた盥を抱えた丑丸は、がたついた油障子の戸を引いて外に出た。
裏店に一つしかない井戸へ向かうと、周りを囲うように陣取って亭主や子どもたちが出した汚れ物をせっせと洗う女房たちの声が聞こえてきた。
「あのさ、あたしらからの線香代を全部持って夜逃げしちまった、おすみのことだけどさ」
「あぁ、腹が立つったらありゃしないねぇ。あたしらがみんなで、なけなしの金をかき集めて渡したってのにさ」
「ほんとだよう。恩知らずにも程があるってのさ」
「それに、一人っきりの倅を置いて出て行っちまうなんてさ。一体何処へ行っちまったんだろ」
「実はさ……あの晩、うちの亭主が木戸番でさ。木戸を締める間際んなって、見知らぬ男がおすみを迎えに来たっ云うんだよ。
そいで、二人で手に手をとって去ってったんだってさ」
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