父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭

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父を弔う夜

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   日当たりしくじめじめと湿気しけった裏店うらだな(長屋)の片隅で、板間の上に敷かれた薄っぺらい煎餅布団に男が寝かされている。
   そのつらは白い木綿の布っきれに覆われていた。

「……なんだな、まぁ……急なこって、おめぇさんたちもこれから大変てぇへんだろうとは思うけどよ」
   地主に代わってこの裏店を預かる 家守やもり茂三しげぞうは、布団の脇で並んで座す死人の女房とせがれに目を向けた。
   女房は未だ三十に届かず、倅はとおにも満たない。

  今月に入って以来、江戸の町では流行病はやりやまいが猛威を振るっていた。
   この裏店でも罹る者がちらほらと出てきたが、だれもが熱で荒い息をして咳き込みつつも、やがてすっかり治っていった。
   ゆえに、れがために事切れる羽目となったのは目の前の男が初めてだ。病をえてからたった半月足らずで、かくのごとく相成あいなった。

   つい今しがた、弔いの読経が終わって坊主が帰って行ったところだ。
   それでも女房のおすみ・・・は左のたもとで顔を覆い、右の袖先で止めどなく流れる涙を拭っている。たった一人の倅である丑丸うしまるおもてを上げることなく母親の隣でちょこんと正座していた。

   茂三は重い息を吐くとたもとさぐって三徳袋を取り出した。
「ほんの少しばかりだが、亡くなった山口やまぐちの旦那への線香代だ。明日からの暮らし向きの足しにしな」
   母子へ向けてすーっと差し出す。

「そんな……家守さんには弔いの支度だって世話になったってのに……」
   おすみが震える声で顔を上げた。

「家守にとっちゃあ店子たなこは子も同然、遠慮は抜きにして取っときな、と云いたいとこだが……うちの裏店の連中からのせめてもの気持ちだよ」
   男やもめの独り身であろうと子だくさんの家族持ちだろうと、宵越しの金を持たぬどころか持てない裏店暮らしにとってはこれっぽっちの銭でもかなりの痛手だが、明日は我が身かもしれぬ。とても他人ひとごととは思えなかった。
   弔いだって、感染うつる恐れのある流行病にさえ命を取られなければ、みなで死出の旅路を送れたものを——

「……ありがとござんした」
   おすみは両の手で包むようにして三徳袋を捧げ持った。隣で丑丸が板間に額をつけてひれ伏した。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   くる朝、茂三の住まいである表通りに面した仕舞屋しもたやに男が飛び込んできた。

   ちょうど水を撒きに表に出ようとしていた女房のおよね・・・と出会い頭にぶつかりかける。
「ちょ…ちょいとあんた、不躾になんなのさ。一体全体、うちに何の用だってんだ」
   およねは柄杓ひしゃくを振り上げてわめいた。

「なんだ、朝っぱらから騒々しい」
   家の奥から茂三が懐手をして出てきた。三和土たたきにいる男——否、男の子の姿に細い目を見開く。
「丑丸じゃねぇか。こないな朝早くにどうした。おっさんは表にいるのか」
   すかさずその目を外は遣るが、通りにおすみ・・・らしき女はいなかった。

「——今朝、目が覚めたら……いなくなっちまってた……昨夜ゆうべもらった銭と一緒に……」

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