87 / 128
Chapter 14
同居する相手が変わります ③
しおりを挟む——あ…あの……思いっきり「私用」なんですけど……?
「おまえが、おれの剣道の試合のときにつくってきた弁当の中によく入ってたヤツだ。ちょっと濃いめの味付けのあれを、アメリカで食いたくてたまらなかった。帰国したら、おまえに速攻でつくらせようって思ってた」
——あ…でも……
「昨日、カレーをつくっておいたのに」
「あ、海老カレーな。先刻、出社前に食ってきた。相変わらず美味かった。……でも、今夜は豚の生姜焼きだ」
——まぁ、カレーは冷凍してあるから、別に今日食べなくても大丈夫だけど……
圧力鍋を使って野菜類はしっかり溶け込ませているので、一見海老しか入っていないようなカレーだ。二日目以降はじゃがいもの味が落ちるから、大量につくるときはいつもそういうふうにしている。
「わかった」
わたしは彼のリクエストに応じた。帰りに豚肉を買わなくちゃ。
「彩、遅くなってもちゃんと食うから」
わたしは肯いたが、そのとき視線の端に敢えて避けていた将吾さんの顔が入った。
振り向いている海洋からはその顔は見えないが、金剛力士像のお二方をたった一人で体現したすさまじい憤怒の形相でわたしを睨んでいた。
——こ、怖っ。
わたしは一礼して、副社長の執務室から辞去した。
「……副社長、私的なことで失礼しました」
扉の向こうで海洋の声が微かに聞こえた。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
その夜、マンションの部屋で豚の生姜焼きの下拵えをしていたら、スマホに通話があった。
今から帰る、という海洋からかと思ったが違っていて、母親からだった。
「彩乃、結婚式の招待状を発送してもいいわよね?」
——あっ、もうそんな時期だった。
四月末の結婚式まで、二ヶ月を切っていた。
「ママ、悪いけど……もうちょっと待ってくれる?」
わたしはおずおずと言った。
「あら、なあに?どうしたの?将吾さんとケンカでもしたの?」
なにも知らない母親は能天気に訊いてくる。
——ただのケンカじゃないのよ。婚約破棄なのよっ。
「とにかく、発送するのはもうちょっと待って」
「『もうちょっと』って、いつまでよ?出席してくださる方に失礼があってはならないのよ?」
母親は至極真っ当なことを言う。
「こ…今週末までには、返事するから」
わたしは苦し紛れに絞り出した。
「わかったわ……でも、それ以上は待てないわよ?」
そう言って、通話は切れた。
自分で決めたリミットとはいえ、短すぎる……
とにかく……逃げてばかりいないで、将吾さんと「婚約破棄」について……
——ちゃんと話し合わなければ。
そうは言っても、将吾さんとはやはり顔を合わせづらい。会社でどうしても避けてしまう。いたずらに、時ばかりが過ぎて行く。
海洋は、松濤のおじいさまになにか言われるまで、このマンションに居座るつもりのようだ。
学生からビジネスの世界に戻って、いきなり二つの企業の重役を兼務するのだから、かなり多忙を極めるみたいだ。
幸か不幸か、わたしとは毎朝の「おはよう」と毎晩の「おやすみなさい」の挨拶をする程度だ。
寝るときはもちろんきっちりと部屋を施錠し、ユニクロのもふもふの下にはきっちりと就寝用のブラを着用している。
ごはんの用意はわたしがしているけれど、海洋とはすっかりルームシェアしている「同居人」といった雰囲気だ。
酔っ払ってキスをしてしまったあの醜態だけは、
——もう二度と曝したくない。
海洋だって『悪かったな。急にあんなことして』って、謝っていたもの。
——きっと、わたしと同じ気持ちに違いない。
0
お気に入りに追加
166
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。


愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。


淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる