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Chapter 13
彼の家から出て行きます ③
しおりを挟むW大に進学した海洋は、一人暮らしを始めると同時に、当時「彼女」だった高校生のわたしに合鍵を持たせた。
二年後、わたしが女子大に内部進学した頃には、家事など彼の身の回りの世話をあたりまえのようにするようになっていた。
子どもの頃から夢見ていた「海洋のお嫁さん」になったみたいで、本当に幸せな日々だった。
ある日、三限目の担当教授が季節はずれのインフルエンザに罹り、休講になった。
その日はその講義で終わりだったので、午後からすっぽり予定がなくなり、海洋の部屋へ行ってこまごました家事でもしましょう、と思い立った。
そして、向かった先の彼の部屋の……開けっ放しになった……いつもわたしたちが抱き合って眠っていた寝室で……
——「それ」を見たのである。
人間というのは、咄嗟には声が出ないものだ。
しかし、どのくらい時間が経ったのか皆目わからなかったが、突然、わたしの声は目覚めた。
——その声はものすごい悲鳴だった。
怪鳥が超音波を最大出力しているような、不快極まる「音」だった。
それとともに、両方の目からぼたぼたぼた…っと、涙が噴き出し始めた。
「なにか事件か!?」と近所から警察に通報される、と思ったのであろう。海洋がベッドから飛んで出て、わたしのところへ駆け寄り抱きしめた。
怪鳥音は収まったが、痙攣を起こしたように泣きじゃくるわたしは、パニックのあまり今度は過呼吸になっていた。
大切なものを守るように、大事な壊れものを包むように、わたしを抱きしめた海洋は子守唄を歌うかのように、何度も何度も何度もくりかえした。
『……確かめたかっただけ、なんだ』
『……心はいつも、彩にある』
相手の女はいつの間にか、いなくなっていた。
——うちには幸い、裕太という「長男」もいることだし。
母親はわたしを産んだあと、なかなか第二子に恵まれなかった。
裕太は両親が不妊治療を諦めずに続けて、やっと生まれた待望の男子である。だから、彼だけ同世代の親類から歳が離れているのだ。わたしとも八歳も違う。
——二度あることは三度ある、って言うしなぁ。別に、もう結婚しなくていいよね?
思いはぐるぐる巡る。なかなか寝つけそうになかった。
そのとき、ふと、思った。
また、あんなにショックな場面を見たのに……
——どうして、涙が出ないんだろう?
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
次の日は日曜日だった。
海洋はマスタールームにすっ込んだまま、姿を見せない。きっと、爆睡街道をトラック野郎のようにまっしぐらに突っ走ってるに違いない。
大学生の頃から、前後期試験や実験のときに、すっごい集中力でがーっとやったあとは、すっごい集中力でずーっと眠っていた。
——だから、起きてこなくても大丈夫。心配することはない。
わたしは海洋がいつ起きてもいいように、カレーをつくることにした。
松濤のおじいさまの計らいで、地下の駐車場にはマイナーチェンジする前の人気の高かったフォル◯スワーゲンのゴルフRが常駐されている。
おじいさまにとっては「軽自動車」のような小型のハッチバックだが、わたしのような未熟な女性ドライバーが足代わりに使うのには最適だ。もちろん、トランスミッションはオートマチックである。
コンシェルジュの彼にゴルフRのキーを預けると、エントランスの前まで回してくれた。
デパートの地下にあるスーパーまで行って、せっかく車で来たからまとまった量の食材を購入する。ワインも何本か仕入れてみた。
マンションに戻ったら、エントランスでコンシェルジュの彼にキーを預けると、地下の駐車場に入れてくれることになっている。その間、ロビーのカッ◯ーナと思われるソファで待つ。
やがて、駐車場から戻ったコンシェルジュの彼が食材の入った紙袋をポーターのように部屋の前まで持ってきてくれた。
——うーん、マンション住まいって快適だなぁ。
破談が正式に決まったら、マンションを買って一人暮らししようかなぁ。……っていうか、このマンションがいいなぁ。
結婚に破れて傷心の顔でお願いしたら、さすがの松濤のおじいさまもここに住まわせてくれるかな?
我が朝比奈一族の決定権は、三男でありながら、声と態度がとてつもなくデカい、松濤のおじいさまの手中にある。
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