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Chapter 13
彼の家から出て行きます ①
しおりを挟むわたしが訊きたかったことの……
——これが、答えだ。
そう、思った。
「……ここは、わたしが使わせてもらってる部屋です」
わたしの声は冷静だった。ただ、奈落の底を這いずるような低い声だったけれど。
「そういうことをするのであれば、ご自分のお部屋でなさったらいかがでしょう?」
将吾さんがかばっ、と起き上がって振り向き、わたしの方を信じられない顔で見ている。「顔面蒼白」っていうのは、こういう顔を言うんだな、と思った。
「あ…彩乃……なんで……もっと遅いのかと……」
——早く帰ってきて、申し訳ありませんでしたね。
「わかばちゃん、わたしの部屋から出て行ってもらえる?」
彼女を見据えて告げる。
彼女は跳ねるように飛び起きたと同時に、モヘアのニットセーターを下ろした。
そして、顔を伏せて、なにも言わず、小走りでわたしの部屋を出て行った。
将吾さんもわかばちゃんも、一応、服は着ていた。
——もう少し遅かったら、最悪だったな。
わたしは隣のパウダールームから、いつも海外旅行に持って行っているハン◯プラスの赤いスーツケースと、国内旅行で使うマイクロモノグラムのキャリーバッグを持ってくる。
赤いスーツケースは、壊れやすいキャスターが日本のトップメーカーのものなのに、東◯ハ◯ズのPBだけあってコスパがすこぶるよい。
海外旅行なんて、いつ何時スーツケースだけが世界の果てへ旅立つかもしれないから、こういうスーツケースで充分だ。
——なんて、言ってる場合ではない。
わたしはフレンチカントリーの白木で猫脚のクローゼットから、スーツやワンピなどを次々と取り出して、赤いスーツケースに入れる。
同じシリーズのチェストからもニットや……下着類だって、将吾さんには目もくれずどんどん取り出して、マイクロモノグラムのキャリーバッグに詰める。
「……あとは、後日、家の者に取りに来させますから」
パッキングを終えたわたしは立ち上がった。
「……彩乃」
後ろで茫然自失のまま、固唾をのんで見ていた将吾さんが、やっと口を開いた。
「おれの話を聞いてくれ」
——今さら、言い訳なんか聞きたくない。
「将吾さん、お義父さまやお義母さまだったら、家柄とかそんなこと気になさらないと思う」
今のわたしは、戦国の世に敵に塩を送ったという上杉謙信の気持ちだ。
「おまえ……なに言ってんだ?」
——戦国武将なんて興味のカケラもないけれど、あなたたちのために「今だけ歴女」になってやるわ。
「わたしのことはまだ挙式前だから、なんとでもなるわ。お義父さまやお義母さまとしっかり話し合って、本当に愛する人を認めてもらって、政略結婚じゃない幸せな結婚をして」
——そう、まさしくそれが「正しい結婚」だ。
「……おまえはまだ、おれとの結婚を『政略結婚』だと思っているのか?」
——そうよ。
わたしたちの間に、お互いの会社の利益のため以外に、なにがあるっていうの?
わかばちゃんを愛するあなたこそ、そう思ってるんじゃない?
わたしは静かに肯いた。
欲のないわたしがかつて唯一望んだ——幼い夢。
“海洋と結婚して、子どもを産み、育てること”
それを失ったあのとき、わたしにはもう必要とするものがなくなってしまった。だから、それからは必要とされるものに身を任そうと決意した。
もし、将吾さんがわかばさんを思う気持ちが、かつてのわたしが海洋を思う気持ちと同じようなものであるなら……
彼が本当に望んでいるのは、わかばさんだ。
——だったら、わたしはあなたに必要とされていないということでしょう?
自分の気持ちに、素直に生きてほしい。
わたしがあのときにしたあんな思いを、ほかのだれにも……
いいえ——将吾さんだけには、してもらいたくないから。
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