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Chapter 9
元カレから壁ドンされてます ②
しおりを挟む物心がついたときには、すでに海洋と出会っていた。
幼い頃からのわたしの夢は海洋と結婚して、海洋の子どもを産んで育てることだった。
——それ以外に望むことはなにもなかった。
彼の遺伝子をわたしの子宮を使って遺すことが、わたしがこの世に生まれてきた使命であると、本気で信じきっていた。
それが無理だとわかったとき——わたしたちは別れた。
ただ海洋だけをひたすらに見つめていた、あの頃のわたしが甦ってくる。
吸い寄せられるように、彼の首の後ろに手を回してしまう。わたしを抱きしめる海洋の腕に、力が篭った。
「……おれから、逃げるな」
ぴったりと隙間なく重ねられた二人の身体。
——海洋も、わたしの声が自分の中から聞こえてくるような気がするかな?
「海洋も……だれかと幸せになって」
「……彩以外のだれと、幸せになれって言うんだ?」
あの頃にはなかった、溢れんばかりの色気をたたえた漆黒の瞳が、せつなげに揺れている。
海洋の顔が近づいてきた。
軽く、彼のくちびるがわたしのくちびるに触れる。それを合図に、わたしたちはどちらともなく、深いくちづけに入っていった。
互いの息が途中で上がっているのがわかるほど、わたしたちは夢中で相手を求めた。
思わず搔き上げてしまう、海洋の少し硬めの漆黒の髪は、あの頃のままだった。
将吾さんが、お気に入りのキス。
——このキスは海洋が教えてくれたものだ。
わたしの頬を両手で包み込んだ海洋が言う。
「彩……もう少し、待っていてくれ」
——なにを?……だれを?……いつまで?
あなたはいつも、肝心なことを言わない。
うちの家系ではめずらしいバリバリの理系でしょ?「結論」だけじゃ納得できないのは、あなたの方じゃない?ちゃんと「仮説」を立てて「論証」してみせてよ。
——だけど……わたしだって……肝心なことをいつもあなたに聞けないでいる。
わたしは、海洋の首の後ろに回していた手を下ろした。
そのとき——わたしの左手の薬指にきらきら輝く、お気に入りのピヴォワンヌが目に入った。
海洋も、そのエンゲージリングを見た。
わたしも、海洋も……「現実」を見ていた。
——わたしは、婚約中なのだ。
四月にこのホテルで、将吾さんと結婚式を挙げるのだ。それは、もう「決定事項」なのだ。
わたしの頬をすっぽり包む海洋の手のひらを、ピヴォワンヌのある左手で、そっと外した。
そして、海洋から……あの頃の自分から……
逃れるようにこの場を離れた。
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