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Chapter 8
とりあえず、身ひとつで参ります ①
しおりを挟む噴水を前にしてそびえ立つ大谷石のクラシックな洋館の、ロココ様式の柱が連なるエントランスに、わたしは立っていた。
今日からの「わたしんち」は、明治時代の華族が国内外の貴人たちをもてなすために所有していたという「迎賓館」だ。
ぼんやり佇んでいたら、島村さんのお母さんでこの家のハウスキーパーでもある静枝さんと、島村さんの妹のわかばさんが出迎えてくれた。
結納からほぼ一週間後、日曜日であるこの日は、将吾さんとお義父さまと島村さんは接待のゴルフコンペ、お義母さまはスウェーデンのストックホルムへ買い付けのために出張中だと聞いている。
「……今日からお世話になります。彩乃です。これからよろしくお願いします」
わたしは頭を下げた。
朝比奈 彩乃です、と言おうと思ったが、富多の家に来たからには、なんだかそぐわないような気がして、実家の名字はつけず名前だけを名乗った。
「彩乃さま、こちらこそよろしくお願い申し上げます」
静枝さんはわたしよりも深くお辞儀した。並んだわかばさんもぺこり、と頭を下げた。
「……わかば、彩乃さまをお部屋にご案内して」
静枝さんがわかばさんに指示した。
「あ…彩乃さま、お荷物は……」
わかばさんがおずおずと尋ねる。
「ありがとう、わかばさん。今日はこれだけだから」
わたしは持っていたエ◯メスのタンジェリンカラーのドゥパリを見た。荷物といっても、家具類は用意する必要がないと言われているので、すでに衣類など身の回りのものをまとめて送っていた。
今日は「身ひとつ」でやってきたのだ。
「……それでは、お部屋にご案内します」
わかばさんが先に立って、わたしを促した。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
「……彩乃さまのお部屋はこちらです」
わかばさんがダークブラウンの扉を開けた。
目の前に見えたのは、白木のクローゼットやドレッサーはもちろん、カーテンやベッドスプレッドに至るまで、フレンチカントリーに統一された十五帖ほどもある部屋だった。
この家で、わたしのインテリアの好みを知っているのは、たった一人しかいない。
——たぶん、実際に揃えたのは島村さんだろうけど。
「それでは…あたし…失礼します」
わかばさんが一礼して下がろうとする。
「あ…わかばさん、どうもありがとう」
わたしが礼を述べると、
「呼び捨てでいいですよ」
表情のない顔でわかばさんが言った。
本当の彼女はもっと屈託のない笑顔を見せる人のはずだ。将吾さんとわたしの婚約が正式に決まって、将吾さんのことが大好きな彼女の心の痛みは計り知れないに違いない。
「この家では『先輩』のあなたを呼び捨てにはできないわ。……わかばちゃん、って呼んでいいかしら?」
彼女は目を伏せ「お好きなように」と口の中でつぶやくのがかろうじて聞こえた。
そして、わたしの前から辞した。
わたしは部屋の中に入ると、猫脚のローテーブルにドゥパリを置き、白いカウチソファに気の抜けたようにぽすんと座って、はぁーっと息を吐いた。
明日から会社だし、本当はすぐにでも衣類の整理をしなければならない。
なのに、今まで気楽に実家で過ごしていたのが、もう懐かしかった。
わたしは与えられた部屋を見渡してみた。
——今日からここが、わたしの部屋。
装飾された扉に丸みを帯びた白木の家具も、小花の模様に白いレースをあしらったファブリックも、すべて……憎らしいくらいわたし好みのフレンチカントリー調に整えられている。
わたしは、今度は、ふーっと息を吐いた。
そして、実家から届いた衣類をまだ木の匂いのする真新しいクローゼットに納めるために、カウチソファから立ち上がった。
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