政略結婚はせつない恋の予感⁉︎

佐倉 蘭

文字の大きさ
上 下
46 / 128
Chapter 7

私と彼は破談の危機を迎えてます ②

しおりを挟む

 ところが突然、不機嫌だった顔を潜めて、
「……昨日は、急に帰って悪かった」

 将吾さんが殊勝にも謝る。わたしの髪を搔き上げていた手も下ろされた。

 わたしは首を振った。
 わたしが常識知らずなことを申し出たのだ。決して、将吾さんが悪いわけじゃない。

「おまえ……まさか、マリアさま以来の処女受胎を狙ってるわけじゃないよな?」
 将吾さんはちょっと呆れたように訊く。

 ——とっくに処女じゃないし。
 わたしはまた、首を振った。

「なにか……理由というか……事情があるんだろ?」

 将吾さんのカフェ・オ・レの瞳が、わたしのヘイゼルの瞳を覗き込む。

 わたしは目を伏せてしまう。

「彩乃……もし、病気とかだったら……」

 ——はぁ!? 

「おれも一緒に……」

 ——まさか、

「病院へ行ってやるから」

 ——もしかして……

「わたしっ」

 顔を上げて、部屋中に響く大声で叫ぶ。

「性病じゃないわよおっ!」


 将吾さんが、ぎょっ、とした顔になる。
「……い、いや……そ、それなら、いいんだけど」

 わたしは将吾さんをぎろり、と睨んだ。
 ——やっぱり、そう思ってたなっ。


「だったら……過去に……酷いこと、されたとか?」

 将吾さんが真っ暗な夜道を、手探りで歩むような感じで尋ねる。

「違う。過去に枕を並べたひとたちの名誉のためにも言うけど……」

 わたしは必死になって言った。

「すべて、合意の上の同意だったからっ」

 すると、将吾さんから、すーっと表情が消えた。

「『過去に枕を並べた男たち』……?」

 彼の顳顬こめかみに血管が浮き出ている。

「えっ…あっ…その……」 

 ——もしかして、地雷踏んじゃった?

 今、非常にマズい事態に陥っちゃったと思う。このあと、きっと、大音声だいおんじょうで怒鳴られる……

 わたしは、目を伏せて、耳を塞ごうとした。
 

 ところが——将吾さんはいっさい声を荒げたりはしなかった。

「過去のそいつらが、おまえとセックスできたのに……」

 ただ、自嘲気味に、ポツッとつぶやいただけだった。

「夫になるおれは……おまえとセックスできないんだな?」

 わたしは伏せていた目を上げた。

 将吾さんは片方の口角を上げて笑っていたが、その瞳はブリザードなくらい冷たい色をたたえていた。
 そして、うつろで、寂しげにも見えた。


 その瞬間、わたしは悟った。

 ——あ、もう、ダメだな。

 男の人がこういう目をするときは……わたしとの未来がないときだ。

 海洋もあのとき……わたしが、別れよう、と告げたとき……どうしても別れたいと、泣き叫んだあのとき……彼もまた……そんな目をしていたように思う。


「……もう、終業後にこの部屋に来なくていいから」
 将吾さんは「副社長」の声でそう言った。

 わたしは「承知しました」と「秘書」の声で答えて、一礼した。

 そして、彼のプライベートルームから出て行った。

  
 ゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜


 その週末、父から結納の日が決まった、と告げられた。あのお見合いのときのホテルで、今月の半ばに執りおこなわれることになった。

 お仲人は、本来ならばこのお見合いのお世話をしてくださった、あさひ証券の水島夫妻になるところだ。

 だが、親戚のおじさまとおばさまだといえど、グループ内では形式上傘下の会社の社長とその妻となる。    
   また、結納の相手が世界的な規模のグループの令息であり副社長だ。

 だから、お仲人には経済界の親睦団体の会長夫妻が快く引き受けてくださったらしい。

 将吾さんから父へは、今のところ何の「変更」の申し出もないようだ。


 あれから……わたしたちは出会った頃のような、つまりお見合い直後のような、よそよそしい関係に戻った。

 わたしの左手の薬指には、まだ毎日エンゲージリングのピヴォワンヌが輝いているが、このリングを受け取ったときの高揚感はカケラもなくなった。

 将吾さんも一応、わたしがお返しで贈ったグランドセ◯コーを毎日つけてはいるが、新品の黒革バンドを腕に馴染なじませるためだと思う。
 わたしのおじいさまが一目置いたことで、この時計が重鎮たちにかなり効き目があることを悟ったのであろう。

 ——とてもこんな冷え冷えした空々しい関係では、いくら政略結婚でもたない。

 将吾さんのことだから、結納のときに自分の口からみんなに「話す」ことでケジメをつけるつもりなのかもしれない。

 わたしとの婚約を……解消することを。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

苺のクリームケーキを食べるあなた

メカ喜楽直人
恋愛
その人は、高い所にある本を取りたくて本棚と格闘しているサリを助けてくれた人。 背が高くて、英雄と称えられる王族医師団の一員で、医療技術を認められて、爵位を得た素晴らしい人。 けれども、サリにだけは冷たい。 苺のクリームケーキが好きな教授と真面目すぎる女学生の恋のお話。 ムカつく偏屈ヒーローにぎりぎりしながら、初恋にゆれるヒロインを見守ってみませんか。

処理中です...