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Chapter 6
同僚から政略結婚を相談されてます ①
しおりを挟むクリスマスの翌朝、なぜか副社長(就業時間中なので)の機嫌がすこぶる悪かった。
「……お呼びでしょうか?」
わたしが執務室に呼ばれて入ると、島村さんがすっと前室へ下がった。
「なぜ指輪をしていない?」
マホガニーのデスクで、副社長は書類に目を落としたまま訊いた。
「は?」
「せっかく買ってやった婚約指輪だ。婚約中はずっとつけておくもんだろ?」
——まさか、機嫌が悪い原因って、それ?
「あんな派手な指輪、仕事ではつけられません」
どこかにぶつけちゃったらどうすんのよっ。すっごく気に入ってるのにっ。
「会社に持ってきてないのか?」
「ここにあります」
わたしはブラウスの胸元からネックレスのチェーンを引き出した。トップにピヴォワンヌが輝いている。
——わたしだって、いただいたものはちゃあんと身につけてます。
「そんなところじゃわからない。指につけろ。……業務命令だ」
——ど…どこの世界に「婚約指輪を指につけろ」っていう業務命令があるのよっ?
「……彩乃?」
返事をしないわたしを副社長がじろり、と睨む。
仕方がない。わたしは波風を立てたくない派なのだ。ネックレスを外してエンゲージリングを引き抜くと、「貸せ」と言って副社長がわたしの左手薬指にはめてくれた。
「これで、襲撃されることもなくなるかもな」
副社長は満足げに微笑んだ。
——襲撃?
「こっちは婚約したっていうのに、まだ『副社長が好きです!』とか言って、突撃してくる『自爆テロ』があるからな。業務遂行の邪魔だ」
——わたしは単なる「弾除け」かっ!
「ご用件は、それだけですね」
呆れたわたしは前室の方へ踵を返した。
「あ、それから、終業後は毎日プライベートルームに来てくれ」
副社長はもう書類に目を戻している。
「……毎日、ですか?」
そんなに補充するものあったっけ?
「そうだ。……毎日だ」
「承知しました」
わたしは一礼して、執務室を出て前室に戻った。
前室に戻ると、わたしと入れ替わりで島村さんが執務室へ入っていった。
そのとき、コン、コン、コンとノックの音がしたので、「はーい」と言ってドアを開けると、グループ秘書の水野さんがいた。
「……朝比奈さん、お昼休憩なんですけど」
そういえば、もうそんな時間だ。わたしはお弁当なので、いつもグループ秘書が常駐する秘書室で彼女と食べていた。
でも、どうしたんだろう?水野さんが副社長室に来ることはないのに……
「大橋さんが外に出ないんですよ」
彼女と同じグループ秘書の大橋さんは、お昼休憩には必ず外で昼食をとる。
わたしは昨日、彼女の前で、副社長とかなり大胆にキスをしたことを思い出した。できれば当分、大橋さんには会いたくない。
「それだけじゃないんです。大橋さん、今朝からちゃんと業務をするようになったんです」
——ええぇっ!?
「でも、大橋さんは今までにろくに仕事してこなかったので……」
水野さんの顔が曇る。
まともにできないわけね。結局は、水野さんがやり直すことになるのね。
副社長の秘書は島村さんがメインなので、手が空いたときはわたしが、グループ秘書の業務を一人でがんばる水野さんの応援に行っていた。
「朝比奈さぁーん」
水野さんがふにゃっとした泣き顔になる。
——仕方ない。行くか。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
気が重いながらも、わたしは秘書室のドアを開けた。
「遅いじゃない。どこ行ってたのよ?」
大橋さんがいきなり不平を言った。
「大橋さん、昨日は……」
わたしはもごもごと言った。
——だって「副社長とのディープキスを見せてしまってすみません」なんて、水野さんの前では言えやしない。
「いいのよ。副社長とのことは吹っ切れたから」
わたしも水野さんも、目を丸くする。
「実は、昨日あのことがあって帰ってから、うちのパパに『会社を辞めたい』って言ったのよ」
「ええぇっ!? 昨日、なにがあったんですかっ!?」
水野さんがムンクのように叫ぶ。
——大橋さん、言わないでよっ!
「そしたら、パパが『せっかくコネで入れてやったのに、辞めるとはっ!』って怒ったの」
ウワサでは大橋コーポレーションの社長は、娘を溺愛してるって聞いたけど?
「それで、あのことを話したら、さらに激怒りしたの」
「『あのこと』ってなんですかっ!?」
水野さんはなおも訊く。
——大橋さん、言わないでよっ!でも、お父さんには言っちゃったのっ!?
「副社長の婚約者が、朝比奈さんだと知ってたのよ。『そんな縁談を壊そうとするなんて、うちのグループの社員と家族を路頭に迷わせる気かっ!?』って、生まれて初めて本気で怒られたわ」
どうやら、大橋コーポレーションのメインバンクがあさひJPN銀行らしい。
「おまけに、『今までワガママに育てすぎた。これからは、おまえの給料で小遣いを賄え』って言われちゃったの」
そして、大橋さんはしれっと言った。
「だから、会社からクビにされないように、これからは真面目に仕事をしよう、って」
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