26 / 128
Chapter 5
彼のおうちでクリスマスします ①
しおりを挟む「……彩乃……彩乃っ」
わたしは、はっ、と我に返る。また、ぼーっとしていたらしい。
「着いたぞ。早く降りろ、吉田が待ってる」
マイバッハの初老の運転手さんは吉田さんというらしい。ドアを開けて、わたしが降りるのを待ってくれていた。
「……あっ、すみません」
わたしは会釈してあわてて降りた。
どうやら、麻布周辺らしい。各国の大使館が見える。
——迎賓館?
降り立ったわたしは、しばらく言葉を失った。
ロココ様式の門柱の向こうで、噴水を前にしてそびえ立つ大谷石のクラシックな洋館は、明治の時代の華族の邸宅のようだ。
最近、こういう元華族の邸宅をレストランにしたり結婚式場にしたりして、リノベーションするところがあるのでその類だろう。
——もしかして、ここでクリスマスディナーとか?
ちょっとワクワクしてきたところで、将吾さんが言挙げた。
「ここ、おれんち」
——は?『おれんち』って「おれの家」ってことでしょうか?
彼はブライトリングを見て焦り出す。
「やっべえ、もうこんな時間だ。みんな待ってるなー」
——『みんな』って?
「クリスマスは、家族で集まって食うのが定番だろ?」
将吾さんはこともなげに言った。
「ただいまー」
将吾さんはエントランスのロココ様式の柱の間を縫うようにして建物の中へ入り、声を張り上げた。
わたしも後ろからついていく。
一応「玄関」なのだろうが、どうみてもちょっとした劇場のロビーにしか見えない。
すぐさま、五十代くらいのエプロンをつけた女性が「お帰りなさいませ」と出てきて、将吾さんのブリーフケースを受け取った。彼のブリーフケースは、エル◯スのサック・ ア・デペシュの黒である。
その後ろから、十代後半の女の子が転がるように出てきた。
黒々とした艶やかなストレートの髪を一つ結びにしてサイドに流し、アイボリーのケーブルニットのざっくりセーターにデニムのスキニーパンツの姿をしていた。
「将吾さま、おかえりなさいませ」
彼女は満面の笑みで彼を迎えた。
——うわ…っ、この子、すんごくかわいい。
同性のわたしでも思わずにはいられない。
「ただいま……わかば」
将吾さんは蕩けるような笑顔で応えた。
——へぇ、この人でも、こんな笑顔をするんだ。
「将吾さま、昨夜はお戻りにならなかったので、心配してたんですよ?クリスマスまでに片付けるっておっしゃってたお仕事は終わりました?」
彼女が将吾さんを見上げて気遣う。
一五〇センチ台であろう小柄な彼女が、一八五センチはある彼にすっぽりと守られているように見える。将吾さんが彼女を見る目が、甘くやさしい。
「……わかば、お客さまがいらっしゃるんだぞ」
窘める声が飛んできた。
声の方を見ると、島村さんが立っていた。
モスグリーンのニットにチノパン姿は、会社で見るピシッとしたスリーピースとはまるで違うラフな格好だった。
わかば、と呼ばれている彼女の目がわたしに移り、目が見開かれる。
——そういえば、会社でプライベートルームから出た直後にも、将吾さんと大橋さんから同じような顔で見られたなぁ。
「彩乃、この人は島村……茂樹のお母さんでこのうちのハウスキーパーの静枝さんだ。昔から住み込みで働いてもらっていて、この人がいないとうちは回らない。そして、この子は茂樹の妹のわかばだ。今、管理栄養士になるための大学に通っている」
島村さんのお母さんが、わたしにお辞儀をした。わかばさんもぺこっ、と頭を下げる。
「初めまして。朝比奈 彩乃と申します。会社ではいつも島村室長にたいへんお世話になっております」
わたしも彼らに向かってお辞儀をした。
「彩乃さま、この家では僕らは使用人ですから」
島村さんが困った顔をして言った。お母さんも、ものすごく恐縮している。
「でも、わたしにとっては上司のご家族ですよ?島村さんにお世話になってるのはお世辞でもなんでもなく、事実ですし」
そう言ってわたしがにっこり微笑むと、なぜか島村さんから目を逸らされた。
「……こいつが、おれの婚約者だ。これから、よろしく頼む」
将吾さんはわたしをぞんざいに紹介した。
そのとき……わかばさんの、ただでさえも大きな瞳が、ますます大きく見開かれた。
将吾さんを見てきらきら輝いていたはずの光が、一瞬のうちに翳ってしまった。
——この子、将吾さんのことが好きなんだ。
0
お気に入りに追加
166
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。


愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる