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Chapter 3
プライベートルームの鍵を開けます ②
しおりを挟むなるべく、顔を見られないようにワードローブまで歩く。扉を開けると、チェストがあって、袋に入った新品の下着類が見えた。手早くシャツとボクサーパンツを取り出す。
——わたしには弟がいるから、こういうのは平気で照れることはないんだけど……
早く渡そうと思ってくるりと振り向いたら、将吾さんはいつの間にか背後にいたらしく、ぶつかりそうになった。
「わっ…ご…ごめんなさいっ」
「髪……着物のときとか会社のときとか、ひっつめたとこしか見たことないけど、下ろすとどんな長さだ?」
将吾さんは、わたしのアップにした髪を大きな手のひらでふわっと撫でた。
「せ、背中くらい」
——やっぱり、背が高いな。
五センチのヒールを履いているから今のわたしは軽く一七〇センチを超えるが、彼の顔を見るには上目遣いになる。
「ふーん、じゃあ、大橋と同じくらいか」
——なんか今、いがっ、としたぞ。なぜ、大橋さんが基準?
彼女の「女の命」な長いキレイな黒髪が、彼女のわたしを挑発するような微笑みが、心をよぎる。知らず識らず、渋い顔になる。
将吾さんはわたしが手にしていた下着の袋をすっと取って、シャワールームへ入って行った。
ぼーっとしてはいられない。彼がバスルームから出てくるまでに、片付けなければ……
小さなごみ箱を持ってきて、ローテーブルの上のものを片していく。そして、ソファに掛けられた衣類をクリーニングへ持っていくために整えた。
それから、ワードローブにある衣類をチェックする。バー◯リーのカシミア百パーセントのチェスターコートに、マッキ◯トッシュのトレンチのレインコート、そしてオーダーメイドのヒュー◯・ボスのスーツが何着か掛けられてあった。
ヒュー◯・ボスはナチスの制服だったという黒歴史があるが——制服がかっこいいから、ユーゲントや親衛隊に入った青少年もいたらしいけど——今では海外のエグゼクティブ御用達になっている。だけど、欧米人のような体型でないと似合わない。
スウェーデンの血が入る、長身で肩幅のある将吾さんは、じゅうぶん着こなしていた。
補充しなければならない下着類のブランドとサイズを、ポケットから出したスマホにメモしていたら、バスルームから将吾さんが出てきた。
先刻わたしが渡した、シャツとボクサーパンツしか身につけていない。
「……っ!?」
わたしは、ぱっ、と目を逸らした。
「彩乃、スーツとシャツを取ってくれ」
彼はこともなげに——いや、わざとだ。ニヤニヤして、洗った髪をタオルでごしごし拭きながら、近づいてくる。
わたしはダークネイビーのヒュー◯・ボスのオーダーメイドスーツと白いワイシャツを無言で渡した。
「おっ、Thanks!」
将吾さんの機嫌はすっかり治っているようだ。口笛でも吹きそうな気配である。
「おー、キレイに片付いたな、Thanks a lot ! あと、適当にタイも選んでくれ」
わたしは再度ワードローブの扉を開けて、ずらりと並んだネクタイを見て、どれがいいか考えを巡らす。
ふと、左手が軽くなったなぁ、と思ったら、わたしの手からスマホが消えていた。
あれ?と、きょろきょろと見回すと、将吾さんが勝手に操作していた。
「なっ、なにをして……」
「L◯NEのIDもメルアドも知らない婚約者なんてありえないだろ?おれのを今……登録し終えたぞ。……で、送信、っと」
——えええっ⁉︎
「……金曜日の晩、鯛めしの折詰、悪かったな」
将吾さんがわたしのスマホを返しながら言う。
「あそこの料理、美味かっただろ?」
「とっても、美味しかった。ミシュランで修行した人のお店だってね。将吾さん、食べられなくて残念だな、って思って。食生活は不規則そうだし」
こんな普通の会話、将吾さんとは初めてだな、と思ったら、なんだか照れくさくなってしまって俯いた。
でも、ふと気がついて顔を上げた。
「……まさか、金曜日からずっと会社で寝泊まりしてるの?身体、大丈夫?」
将吾さんのカフェ・オ・レ色の瞳が少し見開く。
「金曜も土曜もちゃんと帰ったさ。昨日の日曜は接待ゴルフのコンペだっただろ?終わったあと、月曜の朝イチまでにする仕事を思い出して会社に来て済ませて、疲れたからちょっとだけ仮眠を取るつもりが、がっつり朝まで寝ちまったんだよ」
将吾さんは片方の口を上げて、ニヤリと笑った。
わたしは安堵の笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。婚約指輪、ありがとうございます」
わたしがぺこりと頭を下げてお礼を言うと、将吾さんの片眉が上がった。
「……『ございます』?」
「エンゲージリング……ありがとう」
すぐさま言い直す。めんどくさい人だ。
「ふーん、気に入ったのがあったらしいな」
わたしは大きく肯いた。買ってもらったリングのデザインを思い出したら、思わず頬が緩む。
「……おい、彩乃」
なぜか、また将吾さんのご機嫌が斜め向きだ。
「その顔、茂樹に見せるなよ」
——茂樹?
「島村だ」
将吾さんはわたしが手にしていたライトブルーのドット柄のネクタイをするっ、と取った。
「時々、ぼんやりと見てるよな?」
ちょっと拗ねた声のように思えたので、彼の顔を覗き込んだら、ふいっと逸らされてしまった。
「そろそろ、島村が出社する時間になる。……先に出ろ」
もう「副社長」の声だった。
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