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Chapter 2
イケメン秘書と婚約指輪を選びます ①
しおりを挟む副社長付きの秘書、といっても、島村さんというちゃんとした個人付きの秘書がいる。
なので、結局、わたしの仕事は「あさひ」にいた頃のグループ秘書でやっていたことと、何ら変わりはなかった。
「TOMITA」に出向して十日ほど経った頃、前室でPCを使って住所録の整理をしていたら、副社長から呼ばれた。
執務室に入っていくと、大きな窓を背に置かれたマホガニーの重厚なデスクの向こうの立派なチェアに、副社長は脚を組んで座っていた。
「……お呼びでしょうか?」
わたしが告げると、唐突に副社長は不機嫌な顔で言った。
「婚約指輪を買ってきてくれ」
そりゃ、まぁ、わたしは秘書ですから?買ってこいと言われたらお遣いはしますけど?
——でも、その婚約指輪、今までの経緯から推察すると……あなたがわたしに渡す婚約指輪、ですよね?
「アメリカ支社でのトラブルのために、連日Web会議がある。ニューヨークとの時差のため、開かれるのは定時後だ。土日は休日出勤や取引先との接待ゴルフなどで潰れる。この冬は十二月でも暖冬だからな。誘いが多い」
副社長はデスクに頬杖をつく。 片方の手の人差し指は癇性的に何度もデスクの表面を打ちつけている。
——そうだ、このトラブルの処理がなかなか捗らないために、彼のご機嫌は斜めにひん曲がっていたのだった。
「だが、心配するな。島村を一緒に行かせる。この金曜日の終業後、二人で行ってきてくれ」
どこの世界に(たぶん)一生に一度の婚約指輪を、ダンナになるフィアンセの部下の男性秘書と、二人っきりで買いに行く女がいるかな?
「承知しました。……ですが、このようなことで島村さんの手を煩わさせるわけにはいきませんので、うちの出入りのデパートの外商に言って、こちらの方でご用意しますが」
副社長の顳顬に、青筋が立ったような気がした。島村さんの顔が一瞬、強張ったような気も……
「あんたの方で用意する必要はない。言われたとおりに動け」
わたしの申し出は、速攻で副社長の鋭い眼差しとともに一刀両断、こっぱみじんこにされてしまった。
そして、副社長はデスクの上の書類を手に取って仕事を再開した。
——副社長が忙しいのは重々承知の上だから、遠慮しなくていいのに。それに、秘書の島村さんがいなければ、Web会議で困ることないのかな?
「……承知しました」
わたしは再度そう告げると、
「その指輪がクリスマスプレゼントだから」
副社長が書類に目を落としたまま言った。
「ありがとうございます」
わたしは礼を述べて、前室へ戻った。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
その週の金曜日の終業後、わたしがPCをシャットダウンし自分のデスクを片付けていたら、執務室から島村さんが出てきた。
「副社長の社用車を使わせてくれるそうです。どうせ、今夜はしばらくここから出られませんから」
島村さんはコートもブリーフケースもすでに手に持っていた。
コートはバー◯リーの黒のステンカラーコート、同じく黒のブリーフケースはオーソドックスな形ながら独特の皮の風合いから、ココ◯イスターのブライドル・バンガーブリーフだろう。
わたしもあわてて、デスクの一番下の段に入れたバッグを取り出した。
エ◯メスのルビー色のボリード31だ。通勤用にヘビーユーズするつもりで購入したので、素材は傷が目立たないトリヨン・クレマンスである。
あさひJPNフィナンシャルグループに入社して一年ほどたった頃、たまたま立ち寄ったエ◯メスのショップで一目惚れして、それまでの月給やボーナスからの貯金をはたいて買ったのだ。
そして、アクア◯キュータムのベーシックなベージュのトレンチコートを手にして、島村さんのあとに続いた。
「あ、あの……確か自動車がTOMITAグループの基幹産業でしたよね?」
思わず言ってしまったのは、目の前の「社用車」がメル◯デス・マイバッハS600だったからだ。
「副社長が、重役会議で弁舌巧みに、『他社の高級車を身をもって知らねばならない』『目産のコーン氏だって実験車だと言ってポルシェに乗ってる』と訴えて、ほかの役員たちを丸め込んで承認させたのです」
助手席のドアを開けた島村さんが無表情のまま言った。
——『丸め込んで』ということは、やっぱり、自分が乗りたかったから、だよね?
運転手の人が後部座席のドアを開けてくれたのでわたしも乗り込むと、マイバッハが滑るように発進する。
わたしはマイバッハのまるで飛行機のビジネスクラスのようなラグジュアリーな内部を見渡した。
後部座席のアームにはシャンパングラスやワイングラス専用のホルダーがある。今はもちろん、なにも入っていないが。
もし島村さんがいなかったら、この適度にホールド感のある超高級なシートで、絶対手足を思いっきり広げて「んうぅーん」なんて言いながら伸びができるのになー、とバカなことを考えていた。
背がそこそこ高いと、脚をちゃんと伸ばせない、せせこましい空間は苦痛でたまらないのだ。
助手席の島村さんはタブレットを操作しているようだ。その指先がせわしく画面をタップしていることだろう。たぶん会社にいなくてもここで仕事しているのだと思う。
「……あさひグループの本家筋のあなただったら、あたりまえのようにこんな車で送迎されていたんじゃないですか?」
突然、島村さんが質問してきた。その目はタブレットに注がれたままだ。
わたしは、島村さんという人を、同じ空間にいても別に喋らなくても大丈夫な人、いやむしろ、喋りかけられたくないと思ってる人だ、と勝手に思っていたので、突然の質問にちょっと挙動不審になった。
「ま、まさかっ。遅くなったときは父に車で迎えに来てもらいましたけど、普通に電車やバスでの移動ですよ」
わたしはそれだけをなんとか言って、あとは流れていく車窓の街並みを見た。
それからは話しかけてくることはなかった。どうやら、車は銀座方面へ向かっているようだ。
やがて、マイバッハがすーっと速度を落として路肩に寄り、ある店の前で停車した。「ブシ◯ロン」だった。
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