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Chapter 1
突然の辞令で彼の会社へ出向します ②
しおりを挟むわたしの挨拶が終わるとすぐに、彼女はなにも言わずグループ秘書が常駐する秘書室から出て行った。
すると、もう片方の人がふーっと息を吐いた。
「……すいません、朝比奈さん。あの人はああいう人なので」
そう言って、彼女が消えて行った方へ視線を送った。
「あの人、大橋 誠子さんっていうんですけど、『大橋コーポレーション』の社長令嬢なんです」
大橋コーポレーションは、うちの「あさひJPNフィナンシャルグループ」やこの「TOMITAホールディングス」と同じ持株会社だ。
「うちのグループ系列の会社のお得意様なので、無下にできないんですよ。ほんとはあんな赤いルージュや長い髪を束ねないのも、よくないんですけどね」
——あぁ、やっぱり「ややこしい」人だった。
「あの人、今の副社長が就任してから、突然中途採用で入社してきたんです。大学を出た後、就職せずに『家事手伝い』だったそうです。年齢は二十九歳ですが、はっきり言って戦力になりません。ほとんど仕事らしいことしませんからね」
——玉の輿狙い、ってわけね。……あ、でも、社会的ステータスのあるおうちだから「政略結婚」狙いか。
「副社長の前では態度が豹変するんですけど、バレていてまったく相手にされてないみたいですけどね」
そう言って肩を竦めた。
「なので、副社長と婚約された朝比奈さんのこと、良く思ってないと思います。気をつけてくださいね」
「わざわざ教えてくれて、どうもありがとうございます」
わたしはにっこり笑ってお礼を言った。
「わたしもずっとやってきたけど、グループ秘書の仕事って雑用が多いですもんね。彼女の分の仕事、あなたがやらざるを得ないんでしょ?」
すると、ふにゃっとした泣き顔になった。
「うっ、実はそうなんです……」
一六〇センチくらいの身長で、ココアブラウンのふわっとしたミディアムボブの、大きな瞳が魅力的な、なかなかかわいい子だ。
「よかったぁ。社長令嬢がまた入ってくるっていうから、大橋さんみたいな人だったらどうしようって思ってたんです」
結婚するまでの短い期間かもしれないが、この子とはうまくやっていけそうだ。
「あ、申し遅れました。あたし、水野 七海といいます」
彼女は入社五年目で、わたしより一歳下だった。だから敬語を使わなくていい、と言った。
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
始業時間は、もうまもなくだ。
とりあえず、グループ秘書がいる秘書室で待機しておくように、とのことだったので、わたしは水野さんと話を続けた。
秘書室は、やはりこの会社でも簡素な造りになっていて、オフィスで定番のデスクも格子に並べられたフロアマットも、わたしには妙に落ち着く。
「ウワサでは聞いてましたが、朝比奈さん、ほんとに綺麗ですよね。さすがの大橋さんも、朝比奈さんを見たとたん、狼狽えましたよ。あんな大橋さん見たの、初めてです。朝比奈さんはハーフかクォーターなんですか?」
天然のウェーブの背中の途中まである長い髪は、仕事中はひっつめてシニオンにしてあるが、オリーブブラウンの髪色は隠せない。また、ヘイゼルの瞳もだ。
八歳下のKO大生の弟の裕太も再従妹の蓉子もこんな感じだけど、近親者に外国人はいない。遡ればいるのかもしれないが、わたしは知らない。
「……この見た目で、どのくらいイヤな思いをしてきたことか」
ため息まじりでつぶやいた。
「えぇーっ!?」
水野さんは後ろに仰け反った。
——本当よ。この前のお見合いでも、あなたたちの副社長から盛大に誤解されたし。言えないけど……
「わたし、中身は見た目ほど派手じゃないのよ。なるべく、波風立てずに生きていきたいの」
すると、水野さんはふふっと笑った。
「あんなに失礼な態度だった大橋さんのこと、 なんにも言いませんもんね。先刻、初対面のあたしの仕事を気遣ってくれたくらいだし」
それから、思い切ったように言った。
「……あたし、副社長のこと、見直しちゃいました。名家のお嬢さまと会社のために結婚するわけじゃないんですねぇ。朝比奈さんのそういうところに魅かれたんだ」
うん、うん、と一人で肯いている。
——いやいやいや、それは美しすぎる誤解だわ、水野さん。
そう言おうとしたら「……朝比奈さん」と、後ろから声をかけられた。
振り返って——一瞬、時が止まった気がした。
一八〇センチくらいの長身、
漆黒の髪、
面長の輪郭、
切れ長の鋭い目、
通った鼻筋、
薄いくちびる……
だけど、思い描いた人とはまったくの別人だということは、次の瞬間、すぐに気づいた。
わたしがじっと見てしまったからか、相手も目を見開いていた。
そして、不意に視線を外された。
「私は副社長の秘書と秘書室長を兼務する島村 茂樹です」
ほとんど黒といってもいいくらいのダークグレーのスリーピースを身にまとった人が名乗った。
「副社長が出社されました。行きましょう」
彼はわたしが挨拶をする間も与えることなく、秘書室から外の廊下へ出た。
わたしは水野さんに、じゃあまたね、と言って彼のあとに続いた。
「あの……島村室長ってお呼びすればいいですか?」
前を歩く彼に尋ねると、
「副社長夫人になられるんですから、呼び捨てでいいですよ。敬語も使わなくて結構です」
と、振り返りもせずに言われた。
——でも、そういうわけにはいかないでしょう?一応、出向している身なんだし。
困惑しているうちに、副社長室へ着いた。
島村さんがドアを開ける。専属の秘書が待機する前室があった。
そのままつかつかと進んで行き、奥にある副社長の執務室へノックを三回して、ドアを開けた。
突然、抱き合っている男女の姿が目に入ってきた。
——副社長と大橋さんだった。
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