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第三部「いつか」
第十三話
しおりを挟む警報解除のサイレンの音が余韻を残して、消えた。
わたしを守るために覆いかぶさっていた彼が、上体を起こして身を離した。
「……ごめんなさい」
わたしは迷惑をかけたことを詫びた。
入隊して、お国のために命を捧げることになっている人を、危険に曝してしまった。
「わたし、意気地なしでしょう……」
自分の不甲斐なさが、恥ずかしくて堪らなかった。
土間の上に、彼は胡坐をかいて座った。
「東京にいた頃は、ちゃんと防空壕に入っていたんだろう」
わたしはこっくりと肯く。
「だろうね……でないと、命がいくつあっても足りないもんな」
彼はポケットをまさぐり、煙草とマッチを取り出した。
「……三月のときは、家が焼け残ったんだけど……五月のときに……」
わたしがそう云うと、彼は合点がいった顔をした。
「三月と五月の空襲は……本当に……凄まじかったもんな……」
一本抜き出し口に咥え、マッチを擦って火を点けた。
「僕だって、あの猛火の中を、無我夢中で逃げまくったからね。……同じ下宿の学友が死に、自分がなんで助かったのか、未だによくわからないよ」
一口吸って、煙を吐き出した。
「人間って……ちょっとした偶然によって、死んじまったり、生き残ったりするんだよな……」
煙草もマッチも貴重品だから、彼が喫煙するのを見るのは初めてだ。
彼が煙草を吸う間、沈黙が流れた。
彼は亡くなった人に思いを馳せていたのかもしれない。彼にも、わたしと同類の、心に負った傷がある、と感じた。
「……ところで」
煙草を吸い終えた彼は、土間に吸殻を捻り潰しながら、
「日曜日にうちで、僕の壮行会があるんだけどね」
と云って、話題を変えてきた。
日曜日は彼の入営の前日だ。親戚や近所の人を集めての、酒盛りになることだろう。
「ええ、知っていてよ。伯父さんも伯母さんも、もちろん廣ちゃんも、お祝いに伺うって云ってらしたわ」
ようやく気が落ち着いてきたわたしは、やっと少し、微笑みが出るようになった。
「きみは……来てくれないのかい」
彼は上目遣いで尋ねた。
「わたしは、お留守番ですわ」
当然のように答えた。
「どうして」
彼が、わたしの目をじっと見つめて訊いた。
「どうして、って……」
わたしは、彼のまっすぐな視線から目を逸らした。
「初めて会ってから、まだ数日しか経っていないのに、わたしなんかが、そんな大事な会に、のこのこ出かけていくのは不自然でしょう」
わたしは俯いて、そう答えた。
「そんなことないよ。きみは親戚だし、全然不自然じゃないさ」
彼は笑いながら云った。
「それに、兄貴二人が既に出征してるからね。
うちにとっちゃ、慣れっこさ。堅苦しく考えなくていいんだよ」
三男坊らしい、おおらかな笑顔だった。きっと、末息子として、家族みんなから可愛いがられて育ったに違いない。
時折、少年のような、悪戯っ子で腕白坊主な顔が現われるのも、その所為だろう。
わたしは、そんな彼を好ましく見つめた。
「それにしても……その目……きみは本当に……よく似ているなぁ……」
彼は目を細めて、感慨深げに、しみじみと云った。
その瞬間、わたしの心が、一瞬にして、カッと熱く焼けついた。
だれに似ているのかは、言わずもがなだ。
わたしは、また彼から視線を逸らした。
上の従姉の典江と下の従姉の廣子は、あまり似ていないから、姉妹に見られないことがある。なのに、わたしは従妹にもかかわらず、どちらと一緒にいても姉妹に見られる。
すらりとしている典江姉さんの姿かたちは、わたしのそれとよく似ていた。
目の大きな廣ちゃんの面立ちは、わたしのそれとよく似ていた。
「……わたし、やっぱり伺えないわ」
わたしは立ち上がって、絣のもんぺの膝を手でパンパンと払った。
「また、いつ警報が鳴るかもしれませんから、今日は早くお帰りになった方がよろしくてよ」
つっけんどんな云い方になった。
いきなりのわたしの変わり身に、彼はきょとんとした顔になる。
そんな彼を尻目に、わたしは「では、ごきげんよう」と云い放ち、勝手口を出た。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜
先刻までの警報のサイレンの代わりに、今度は蝉の声が辺りにこだましていた。
夕飯に使う野菜を採ろうと思い立ち、裏の畑に向かいながら、わたしは込み上げてくるもので、目の前がだんだんぼやけてくるのを感じた。
彼がわたしを通して廣子を見ているのは、明らかだった。
——廣ちゃんよりも先に、彼と出逢いたかった。
果たして、早く出逢えたからといって、どうなるものでもないかもしれない。
だけど、持って行き場のないこの気持ちには、そうでも思わなければ、為す術がなかった。
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