遠い昔からの物語

佐倉 蘭

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第二部「さくら、さくら」

第二話

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「あぁーっ、もう自分らだけで食べとうっ」
   廣子と一緒に部屋に入ってきた、神谷の婚約者の薫子ゆきこが叫んだ。二人とも白いブラウスにスカート姿だった。

「まだ飯には手ぇつけとらへんわ。大体、おまえらが長風呂過ぎるからや」
   神谷が不平を云った。
「長風呂って……あたしら、お風呂場であんたらの汚れ物を洗濯しようってんよ。よう云うわ」
   薫子はぷんぷん怒り出した。

   廣子は、おれがその辺に適当に置いた風呂の道具を見つけて拾い上げ、洗濯物の籠と自分の風呂道具と一緒に、部屋の隅に寄せていた。
   それを終えると、廣子はおれの隣に腰を下ろしながら、
「そんとな顔しょうると、せっかくの料理がまずうなるけぇ。はよう、座りんさいな」
と微笑んで薫子を促した。

   薫子も渋々それに従って、神谷の隣に腰を下ろす。

「さすが、間宮が選んだ女だけあるわぁ。人間ができとう。……だれかとは大違いや」
   神谷がおれを見て、しみじみ云った。
「だれがやってえっ」
   薫子の目がまた釣り上がった。


   ほとんど神谷とその婚約者の痴話喧嘩で終始したような朝餉あさげだったが、廣子は楽しそうにしていた。

   仲居が御膳を片付けたあと、廣子は風呂場で洗濯した物を入れた籠を抱えて、
義彦よしひこさん、もう物干し竿、掛けてくれとるん」
と尋ねた。

   洗濯物を干すための竹竿は、仲居に云ってもう既に窓の外に掛けてあった。
   窓辺に置かれた椅子に座って、紫煙をくゆらせていたわしは肯いた。

   廣子はにっこり笑って、早速、窓の外の物干し竿に洗濯物を掛け始めた。
   外は雲ひとつない、晴れ渡った青空だった。今日も暑くなりそうだ。

   いつの間にか、廣子が歌を口ずさんでいる。
「……えらぁ上手じゃのう」
   わしは感心して思わず云った。高く澄んだ、きれいな歌声だった。

   廣子はパッとわしの方を向き、
「女学校の卒業式では代表で独唱したんよ。歌だけはうち、お姉ちゃんに負けんのん」
と、誇らしげに云った。


   洗濯物を干し終えた廣子は、今度はわしが浴衣から麻の白縞に着替えるのにとりかかった。

   女学校を出たばかりの、まだまだ子どもだと思っていた廣子が、思ったよりもずっと手際よく、わしの世話を焼けるようなので驚いた。

   朝起きてから、小さな身体からだでわしの周りをくるくると動きまわり、甲斐甲斐しくいっぱしのことをやっている。
   これなら、すぐにでも嫁に来れるなと思った。

   飯の支度が満足にできるかどうかはまだわからないが、駄目なら女中を雇えばいいだろう。わしのいないときは、話し相手にもなるから一石二鳥だ。

   海軍の慣例があるため、正式な届出は大尉に昇進してからだが、とりあえず仮祝言だけでも早急に挙げようと決心した。

   いくら婚約しているとは云え、嫁入り前の娘を賜暇ほうかのたびに一人で汽車に乗せて呼び出すわけにはいかない。
   また、男女の契りを交わしたからには、いつ廣子が子を宿してもおかしくはない。

   祝言を挙げれば、基地の近くに家を借りて、廣子をそこに住まわせることもできる。実際、妻帯している上官にそのようにしている者がいると聞く。

   今の訓練状況では、わしがその家から基地に通うということはできないが、それでも休暇にしか会えないというよりはずっと多く一緒にいられるだろう。

   それに、もう、五年も「待った」のだから——

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