2 / 46
第一部「初めて」
第二話
しおりを挟む今まで——と云ってもまだ二度しか会っていないが、うちは軍服姿の間宮中尉しか見たことがなかった。見合いの日も、結納の日も、真っ白な海軍の軍服を着て、軍帽を身につけていた。
だから、部屋の中にいる着流し姿の中尉が、首をこちらへ向けたとき、一瞬だれだかわからなくて、反射的に後ずさりしてしまった。
仲居から笑いながら促されたので、うちは部屋の中へ入った。部屋には既に御膳が置かれていた。
窓の外を見ると、もう宵が迫っていた。
うちは間宮中尉の対面の座蒲団に腰を下ろした。仲居が茶の用意を始めたので、
「うちがやりますけぇ」
と云って引き取った。
「気兼ねなことですのう。ほいじゃぁ、邪魔者は去ぬるけぇ、ゆっくらしてつかぁさいよう」
仲居は「どっこらしょ」と腰を上げて、部屋を出て行った。
「わしゃぁ、もう呑んどるけぇ、茶はえぇぞ」
間宮中尉はそう云って猪口をひょいと上げた。
うちは慌てて、銚子を取ってその猪口に酒を注いだ。
中尉は注がれた猪口をぐっと一息で飲み干し、パッパッと猪口を二振りほどしてから、それをうちに渡そうとした。
「……うちはお酒は呑めんけぇ」
うちは俯いて小さな声で云った。
「ほうか。ほいじゃぁ、なんでも好きなもん喰えや」
中尉はそう云って手酌で酒を注ごうとしたので、うちはまた慌てて、銚子を取って注いだ。
初めて会った見合いの日、間宮中尉はうちの顔を見るなり軍帽を取って脇に挟み、足をピシッと揃えたと思ったら、直立不動の体勢から、いきなりカクッと腰を垂直に折って頭を垂れた。
それは、頭を下げているのにもかかわらず、全く卑屈さを感じさせない、惚れ惚れするほど美しい「最敬礼」だった。
そして、海軍士官ともあろう人が、初対面の、しかも女学校を出たばかりの自分のような者に最敬礼するのは考えられないことだったので、ものすごく驚いた。
だけど、軍服姿の間宮中尉は年齢よりもずっと上に見えて近寄りがたく、うちには怖い人に思えた。
だから、見合いの日も、結納の日も、顔すらまともに見ることができなかった。
今、目の前にいる中尉は、涼やかな麻の白縞を身に纏っている。それを爽やかに着こなす、二十代半ばの若々しい青年がそこにいた。
軍服のときはオールバックに髪を撫でつけていたが、今はポマードをつけていないらしく、さらさらした前髪が額にかかっていた。軍人というよりは、大学生か文士といった風情であった。
怖い人にはとても見えない。
それでも、結局、中尉の顔をまっすぐには見られなかった。
「箸が進んどらんのう。口に合わんか」
俯きがちなうちの顔を覗き込むようにして間宮中尉は云った。
うちはぶんぶんと頭を振った。
日支事変が始まった当初は、内地の生活はほとんど変わらなかったから、遠い大陸での話だと思っていた。ところが、長引くにつれて、だんだん物が出回らなくなってきて、木綿などの生活必需品の統制が始まった。そして、とうとうこの春、大都市から順に米までもが配給になった。
御膳にあるのは、今では手に入りにくくなった「御馳走」ばかりだ。都市に住んでいるとは云え、海のそばにあるから魚は比較的手に入るが、ここに並んだ魚はそれとは別格だ。魚のような海の幸だけではない。山の幸も用意されていた。
これが「軍の力」なのだろう。
なんとか夕飯を終えた。
間宮中尉は食事の前にすでに一風呂浴びているというので、うちは風呂へ行くための支度をして、部屋の外へ出た。
とたんに、ふーっと身体中の力が抜けるような息を吐いた。相当、気づまりだったらしい。
——こがぁな按配で、ほんまにあんなぁと夫婦になって一緒に暮らせるんじゃろか。
そう思うと、気が重くなった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
*きがねな ー 申し訳ない・遠慮する
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた
黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。
その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。
曖昧なのには理由があった。
『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。
どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。
※小説家になろうにも随時転載中。
レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。
それでも皆はレンが勇者だと思っていた。
突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。
はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。
ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。
※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。
大絶滅 2億年後 -原付でエルフの村にやって来た勇者たち-
半道海豚
SF
200万年後の姉妹編です。2億年後への移住は、誰もが思いもよらない結果になってしまいました。推定2億人の移住者は、1年2カ月の間に2億年後へと旅立ちました。移住者2億人は11万6666年という長い期間にばらまかれてしまいます。結果、移住者個々が独自に生き残りを目指さなくてはならなくなります。本稿は、移住最終期に2億年後へと旅だった5人の少年少女の奮闘を描きます。彼らはなんと、2億年後の移動手段に原付を選びます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる