大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜

佐倉 蘭

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巻末「仕舞」

其の肆

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   あの火事の日、炎と煙の久喜萬字屋からおすてをぶって出てきて以来、与太はおすてと会っていない。

   しっかり見張っていたはずの奉行所おかみの町方役人がちょいと目を離してしまったのであろう、その隙に彦左が逃げてしまった、とえらい騒ぎになっていた。

   与太は命からがら建物から出てきたってのに、目立った怪我がないとわかるやいなや、中で彦左を見たからとすぐに駆り出された。
 
   おすては島村に預けざるを得なくなり、そのあと無事久喜萬字屋の者に引き渡されたそうだ。
   髪をざっくりと断ち切られたことの他は特に変わったところはなかったらしく、後日島村から聞かされた与太は心底安堵した。

   結局のところ、与太が炎と煙の立ち込める久喜萬字屋の中で会ったのが彦左を見た最後と云うこともあり……
   奉行所は町家に対して「彦左は廓の妓を助けるために、奉行所の町方役人のが止めるのも聞かず振り切って見世の中へと入り、逃げ遅れて焼け死んでしまった」と云う噂を流した。

   されど……与太は思わずにはいられなかった。
——彦左はどっかで生きてんじゃねえのか……

   焼け残った跡からは、死体が一つも見つけられなかった。
   
   または……
——まさか、ほんとに狐か、はたまた物の怪もののけ、或いはあやかしってんじゃねえだろな……


   おすてがあれからどうなったか聞こうにも、久喜萬字屋は再建に向けてせわしない。
   なんと此度の仮宅は、御公儀幕府から深川で営むゆるしが出たのだ。

   深川木場で知られるかの地は、縦横に張り巡らされた掘割による水運に恵まれ、全国各地から材木だけでなく、米や塩なども集まってくるため、大名の蔵屋敷や商人の問屋が所狭しと軒を連ねている。
   さようなところに仮宅とは云え廓を出せるのだ。お内儀かみは高笑いが止まらないだろう。


   一月と少しぶりに吉原から伝馬町へと戻った与太は、父との約束を果たすとみずから切り出した。

   てっきり、奉行所の御用聞き手下を辞めて鳶の火消しに専念するよう云われるかと思いきや——
「そろそろ身を固めてくんねぇか。嘉木屋の主人あるじ夫婦からおめぇに見合いの話が来てんだ。
其れを受けてくれさぇすりゃあ、あとはおめぇの好きにしろ。御用聞きだって続けて構わねえ」
   甚八から云われたのはかばかりであった。

——どうせ……おすてとは今生では結ばれぬ定めだ。
   さように了見した与太は、其の話を受けた。

   そして、鳶と火消しとそして「御用聞き手下」の暮らしに戻った与太は、慌ただしく毎日を過ごすうちに……

   とうとう見合いの日がやってきた。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   此の縁談を持ってきた水茶屋・嘉木屋の主人あるじ夫婦が仲人と云うことで、奥の座敷の間を使うこととなった。酒は店の方で支度してくれ、料理は豪勢に浅草の料理茶屋から取り寄せることと相成あいなった。

   先方も堅っ苦しいのは御免だと云うので、与太がまとうのは母が昨日損料屋で見つけてきた、まだ真新しく見える江戸小紋は万筋の小袖だ。
   町家のもんは新品なんざ無用の長物だし、綺麗きれぇな晴着なんざ滅多と着る機会はないゆえ、損料屋でこましな古着を借りて返してまた借りて、の繰り返しだ。


「……御免なすって」
   父母と三人で店の暖簾をくぐれば、
「まぁまぁ、本日はお日柄しがらも良く、ほんに良うござんした」
と、嘉木屋のお内儀が愛想よく迎える。

   与太は店の中を見回した。いつも足洗いの桶を持ってすぐにやってくる、おるいがいない。

——あぁ、やっぱりそうか……
   先達せんだって、与太は此の店のお内儀から『おるいとのことを考えてくれ』と云われていた。

「先方は奥でお待ちだよ。『おひろ』って名の子なんだけどね」

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