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参の巻「駆引」
其の参 〜肆〜
しおりを挟む「ま……舞ひつるを囮に、だと……」
凛々しく整った兵馬の顔が、呆けて間の抜けた其れになった。
「へぇ、お内儀は『あの子だったら、しっかり『御役目』を果たしてくれるだろう』っ云ってんでさ。そんでもって、そのことを同心の杉山様や伊作親分ではなく……何故か、与力の松波様に云っとくれって……」
与太はどうにも腑に落ちない面持ちで伝えた。
「されど、久喜萬字屋の舞ひつるは——行方知れずでござんしょう」
与太は首を傾いて尋ねるが、兵馬は押し黙ったままだ。
「松波様の仰せでおいらたちが舞ひつるを捜し回ってたとき、お内儀は『舞ひつるは、ちょいと具合を悪うしちまって、養生のためにしばらく余所へやってる』の一点張りでやしたが……」
——っ云うこった、やはり舞ひつるは……
与太たちは、舞ひつるが町家の旦那衆が色里の妓を落籍かせたのち、家人に知られぬようひっそりと囲う「妾宅」が立ち並ぶ黒塀の界隈に身を潜めていたことまでは突き止めていたのだが……久喜萬字屋の手引きによって、何処か別の場処に移されたのであろう。
——お内儀の云い分は、本当だったっ云うこっだわな。
「……旦那さま」
思いを巡らせる与太を遮るがごとく、美鶴が口を開いた。
「あのことを申し上げても、よろしゅうございまするか」
「ま、待て……美鶴、早まるな」
兵馬は慌てて妻を制した。
「さすれども、巷の噂では『髪切り』とやらが狙うのは吉原の大籬の妓ばかりで、しかもその内残るは中萬字屋と久喜萬字屋の二つと聞き及んでおりまする」
美鶴は夫にきっぱりと告げた。
流石に世間を賑わす「髪切り」のことは、女中頭のおせいをはじめとする奉公人たちの噂話で知るだけでなく、組屋敷に暮らす世情に疎い武家の妻や娘たちの口の端にも上っていた。
「わたくしとて、今や奉行所とは御縁を得る身にてごさりまする。つきましては、願ってもない此の機会に是っ非とも『御奉公』いたしとう存じまする」
「嫂姉上……いきなり、如何なされた」
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与太も何が何だか訳が分からず、きょとんとしている。
「旦那さま、よろしゅうござりまするか」
美鶴は再び、兵馬に問うた。
兵馬はなにも答えず、ただ目を瞑った。そうして、ほかの者が待つ中、懐手をしたまましばし考えを巡らせた。
やがて、ようやく目を開いた。
「——相分かった」
心なしか、兵馬の声は掠れていた。
美鶴はそれを聞いて、ひとつ肯く。そして、和佐たちの方へ向き直った。
「——わたくしが……『舞ひつる』なる者にてござりまする。さすれば、わたくしが久喜萬字屋へと戻り、囮に加わりとう存じまする」
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