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参の巻「駆引」

其の弐 〜陸〜

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   おすては三つ指揃えて見世仕込みのお辞儀をすると、ゆったりとおもてを上げた。
   そのとき、目に飛び込んできたのは与太の姿だった。思わず「なぜ此処ここに……」とばかりに、団栗どんぐりのごとき大きなまなこが真ん丸になる。

   されど、次の刹那にはすっと真顔になり、盆を手にしてふわりと立ち上がる。そのまま、客人である与太のもとへと進み、しずしずと茶の支度を始めた。

   故郷くに方言ことばはなかなか抜けぬおすてであったが、流石さすがに半年もいれば「吉原の大籬おおまがき」がゆえの座敷での所作あしらいくらいは身に付きつつあった。

   与太は、かたわらで茶を給仕するおすてから莨盆の向こうにいるおつたの方へと目を戻した。
「お内儀、おいらは鳶をやってる与太ってんだ。
そいでもって、火事んときゃあ『火消し』もやってんのさ」

「へぇ……おまえさん、平生は『鳶の火消し』だってんのかい……道理でねぇ……」
   おつたは「ようやっと納得がいった」と云うふうにつぶやいた。
   鳶も火消しも、日々身体からだを張る仕事だ。
しかも火消しとあらば、日々我が身の命をして大江戸おえどを護っているはずだ。

「……で、何処どこの組のもんなのさ」
「伝馬町の『は組』だ」
   おつたの細い目がばっと開いた。
「『伝馬町のは組』って……っうことは、おまえさんもしや……辰吉親分の……」
   その口から岡っ引きだった祖父の名が出た。

「おう、おいらは辰吉の孫だってんでぃ」
   与太はこのときとばかりに胸を張った。

   見世に教えられたとおり丁寧に茶を淹れたおすては、茶托の上に湯呑み茶碗を乗せると与太の前にすーっと置いた。
   されども、与太の方はおすての顔から目を逸らし、べこっと頭だけを下げた。お内儀おつたに「顔馴染み」だと知られれば、おすてにとって都合が悪かろうと思ったがゆえだ。

   それから、おつたの方へと進んだおすては、莨盆の上にお内儀がいつも使う湯呑みをそっと置いた。

「……そうかい、おまえさんが辰吉の親分さんの孫だったとはねぇ。親分さんが亡くなってしばらく経つが、そりゃあさ、天寿を全うしなすったって頭じゃあ理解わかっちゃいるけどさ。……惜しい人だったねぇ」
   おつたはしみじみと云うと、おすてが置いた湯呑みを手にし、中の茶を一口含む。

   与太も茶を飲んだ。馥郁ふくいくとした茶の香りがまず鼻をくすぐり、そのあと渋みのまったくない深い味わいが口の中いっぱいに広がった。

「親分さんにゃ、うちの見世もずいぶんと目をかけてもらったからね。その御仁の孫の頼みだってんなら、頰被ほおかむりはできゃあしないさ」

   祖父の辰吉は、南北の奉行所がまだ犬猿の仲で一切行き来のなかったあの時分に、双方ともに「伝手つて」のあった稀有けうな人だった。吉原では同心や岡っ引きたちがいる面番所に、本職の合間を縫ってよく詰めていたと聞く。

   おつたはさらに一口含んで喉をうるおすと、与太にきっぱりと告げた。
「良うござんす。おまえさんの話、お引き受けしやしょう」

   与太の顔がパッと輝き、熱を帯びたまなこがぎらりとまばゆい光を放った。
   一方、なんだか込み入った話になりそうだと察したおすては、盆を抱えるとお辞儀をして座敷を出るために腰を浮かせた。

「おすて、ちょいとお待ち」
   ところが、おつたによって制される。おすては盆を脇に置いて、再びきちっと座り直した。

   おつたは与太に向かって告げた。
「ちょうどよかった。この下働きの娘に先日、目出度めでたく『初潮しるし』が来てね。いよいよ『初見世』を考えなきゃいけなくなっちまったところだったのさ。……この子に『助太刀すけだち』させるよ」

   それは、おすてが「おとり」になる、と云うことだ。
   つまり——おすてが、とうとう「女郎」になってしまうことでもあった。

——し、しまった……
   今の今まで喜色を滲ませていた与太の顔から、すーっとその色が抜けていく。

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