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弐の巻「矜持」

其の参 〜陸〜

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   すると、平素は心のうちをまったく表に出さぬ政五郎が、みるみる間に渋面になった。

『父上、もしや和佐殿を我が家の嫁として迎えるにあたって、なにか御不満でも……』
   ひれ伏していたおもてを上げた主税は、父に尋ねた。
『いやいや、早まるな。そうではあらぬ』
   政五郎は即座に打ち消した。

   和佐の父・松波 多聞とは、互いに若衆まげの頃から切磋琢磨してきた朋輩の仲だ。
   奉行所で御役目をいただく者の中には、我が身可愛さに同輩を出し抜いてでも「上」へ取り立てられたいと願う者が少なくない。各々おのおのが「御家」を背負って勤めに励んでいるため、致し方のなきことであろう。

   されど、多聞は家柄の確かさもあってか、上の者に媚びへつらうことが一切なく、下の者にも偉そぶることも一切ない、さらに同輩にとっては裏表がなく気の置けない相手であった。
   ゆえに、さような父親譲りの気性の持ち主と知られる和佐に何の不満があろうか。

『おまえの母が、何と申すのかと思案しておるのじゃ』
   政五郎は懐手をして唸った。代々、同心支配役不浄役人に任ぜられる松波家の娘である和佐を……あの気位の高い妻・千賀が、たった一人の息子・主税の妻女として両手もろてを上げて迎えるとは、政五郎にはとうてい思えなかった。

『さすれども、父上……』
   主税は再び、政五郎に向かってひれ伏した。
それがしはやはり、和佐殿を我が妻にしとうござる』
   かような息子は初めて見た。目の前で何度も頭を下げる姿を見て、政五郎は重い息を吐いた。

   本田家唯一の子として生まれたにもかかわらず、主税は無骨な鬼瓦のごとき顔の父親とは似ても似つかなかった。その涼やかに整った面立おもだちで何事も如才なく立ち回り、今まで母親の意に反して事を進めるようなことなど、ただの一度もなかった。

   だが、武家らしい立派な体格は父親そのものに見えた。そして、いったん決したことは必ず最後までやり遂げる、その粘り強い性格も——

『されど、おまえに千賀が御せるとは思えぬがのう……』
   政五郎は再び、重い息を吐いた。


   それでも後日、政五郎は早々と奉行所の上役を「仲人」に立てて、松波家へ我が嫡男の釣書を届ける手筈てはずを整えた。もちろん、千賀が烈火のごとく怒ったのは云うまでもない。

   しかし、政五郎が「鬼瓦」の顔をさらにいかめしくさせて、
『本田家の嫁は、当主であるそれがしが決めることにてござる。
何人なんぴとなりとも出過ぎた真似は許さぬ。控えおれ』
ときっぱり云い放つと、千賀は口惜しそうに顔をしかめたが、流石さすがにその口をつぐまざるを得なかった。

   その後、改めて仲人を交えて両家揃っての顔合わせがあり、それが済むと早速祝言の日取りが話し合われた。
   南町奉行の裁可も無事下って、和佐は本田家の嫁として迎え入れられることと相成あいなった。


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


「当家と同じく御公儀より禄をいただく松波家を、しかも母上の縁続きの御家であるにもかかわらず、さような呼び名でさげすむとは……」
   主税の切れ長の鋭い目が、血を分けた母親に容赦なく向けられた。

   そもそも、の大江戸の町の人々が日々恙無つづがなく暮らしを立てて行けるのは、ひとえに松波家のような吟味方や同心支配役を賜る「不浄役人」たちが、朝から晩まで市井を泥臭く駆けずり回って安寧を保っているがゆえなのだ。
   まさに「江戸の番人」であった。

「——不届千万、武家の風上にも置けぬ」

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