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弐の巻「矜持」

其の参 〜伍〜

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   幼き頃、主税は父親・本田 政五郎まさごろうに命じられるがまま剣術やっとう道場に入った。
   其処そこにいたのが、又従兄またいとこでありのちに朋輩にもなった松波 兵馬ひょうまだった。

   兵馬には弟がいて、いつも兄の後ろにくっついて道場にやってきていたが、なにぶん幼過ぎるがゆえ、まだ稽古は付けてもらえずにいた。一人っ子だった主税も、その又従弟またいとこをまるで我が弟のごとく可愛がった。

   きちっと正座し、兄の云い付けどおりにいささかも身動みじろぎせず、じっと前を見据える——されど、まだいとけな面立おもだちを見ていると……
   無性に憐憫の情が湧き上がってきて、思わずそのかしらを「ぽんぽん」としてねぎらってやった。

   するとその刹那、はっとしてなつめのごとき大きな目を見開いたかと思うと、恥ずかしそうにはにかみながら目を伏せるのだ。

   主税の方も、いつも朋輩から「鋭き眼差しゆえに睨んでいるとしか思えぬ」と揶揄からかわれる切れ長の目が、知らず識らずのうちに緩んでいた。さらに、いつも引き締まっていて崩れることのない口元にも、おのずと笑みが浮かんでいた。

   ところが、そろそろ稽古に入れそうなよわいに達したと思われた頃、あることが判明した。
   中剃りこそせぬものの若衆まげに結っていたその子は、実は兵馬の弟ではなく「妹」であったのだ。
   道場の者たちは「かずさ」と云う名を聞き及んではいたが、てっきり「上総」と書くのだと思っていた。

   当然のことながら、武家の子弟が集まる道場に「おなご」が交じって稽古するなど言語道断と相成あいなったわけだが……

   その妹——和佐は決して得心しなかった。
   出入りがゆるされぬようになってからも相も変わらず道場へ日参し、師範の顔を見るや否や「どうしても稽古を付けさせてほしい」と頭を下げ続けた。

   さような日々がしばらく続き、とうとう和佐の父親である松波 多聞が動いた。
『非番の折にはそれがしが「師範」となり門弟を指導するがゆえ、どうか我が娘を道場へ通わせてやってはくれぬか』

   当時、多聞は当番方与力から吟味方与力になり、そろそろ同心支配役筆頭与力の御役目が見えてきた頃合いであった。しかも一刀流免許皆伝はもちろんのこと、若衆髷の時分から試合をしたら負け知らずで、たとえ一刀流ではない門外の者と他流試合をしても相手が歯が立たぬほどの腕前である。
   だれもが「師」として教えを乞いたいと願う憧れの人だった。

   そうして、ようやく和佐は道場で稽古することを赦された。
   和佐が父の手ほどきを受けて兄よりも熱心に稽古に打ち込むようになったのには、かような所以ゆえんであった。
   ゆえに、さような和佐のことは主税にとっては長い間「弟」としか見られずにいた。

   さすれども、かような和佐であっても「年頃」ともなれば、縁組の話が来るようになった。
   いくら組屋敷じゅうの者たちから「松波の跳ねっ返り」だの「松波の次男」だの「松波の女剣士」だのと呼ばれていたとは云え、和佐は父親が筆頭与力に任ぜられて勢い盛んな南町奉行所きっての出世頭であるうえに、「北町小町」と呼ばれた見目の母親と瓜二つに育っていた。

   父親・政五郎から「南北の奉行所問わず、松波のもとには釣書が次々と舞い込むようになってござるぞ」と聞かされた主税は、そこで初めて、はた、と気づいた。

——このままでは……恥ずかしそうにはにかんで目を伏せた、あの顔を見られのうなるやもしれぬ……


゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚


   その日の御役目を終えて座敷に入ってきた政五郎に、主税はいきなりひれ伏した。
『……父上』

『藪から棒に、何でござるか』
   政五郎はいぶかしげに息子を見つつも、床の間を背にすっと腰を下ろした。

『本田 主税、一世一代の頼みがあってござる』
   主税はひれ伏したまま告げる。
『松波家の和佐殿を……我が妻にしとうござる』

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