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弐の巻「矜持」

其の参 〜参〜

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「母上、和佐が……なにかわきまえぬことを申したのでござるか」
   だれもが母親似だと認める面立おもだちを曇らせて、主税は母に問うた。

「分を弁えるどころか、あの嫁は……っ」
   その刹那せつな、千賀の眉間にくっきりと筋が走った。
「太郎丸に、母親おのずから剣術やっとうの稽古をつけたいと申したのじゃっ」

   実は、和佐は姿かたちこそは「北町小町」と呼ばれていた母親の志鶴しづるそのものであったが、中身は父親である南町奉行所・年番方与力の松波 多聞たもんそのものであった。

「なるほど……和佐は、幼き頃より義父上ちちうえ一刀流いっとうりゅうの稽古を付けてもろうておったからな……」
   主税は懐手をして当時を振り返った。妻とは同じ南町の組屋敷の内で育った「筒井筒おさななじみ」の仲である。

   中剃りこそせぬものの、女だてらに若衆まげに結い上げた和佐は、兄の兵馬ひょうまよりも熱心に道場に入り浸っていた。おかげで一刀流の免許皆伝だ。
   ゆえに実家の松波の御家では、和佐が女子おなごとして生を受けたことが、どれほど無念至極であったか——

「なにが『なるほど』じゃっ。なぜ、そなたは己の妻女を止めぬのかっ。そなたは我が子・太郎丸が剣術の稽古なぞして、もし深手を負うたとしても構わぬと申すのではあるまいなっ」

「なにを仰せかと思えば……」
   ともすれば、冷ややかに見られがちな主税の涼やかな目元がふっと緩んだ。
それがしも、若衆まげの頃は剣術やっとう道場へ通っておったではござらぬか。稽古では木刀を用いて主に型を学び、たとえ試合であろうと寸止めにてござったのを、よもやお忘れか」
   曇っていたその面持ちが、次第に晴れやかになっていく。
「母上のご心配には及びませぬゆえ、どうかご安心を……」

  だが、しかし——
「こ、このたわけ者めがぁッ」
   母からさらに大音声だいおんじょうが落ちてきた。

「わらわが申しておるのは、そないなことではあらぬわぁッ。太郎丸の将来を思うがゆえに申しておるのじゃッ」
   千賀の雪のごとく白い両顳顬こめかみに、くっきりと青筋が浮き出た。

「我が本田家は、ただ刀を振りかざす武張っただけの家門ではござらぬッ。御公儀より代々赦帳撰要方しゃちょうせんようがた与力の御役目をうけたまわる御家にてござりまするッ。さような本田家を、末代まで磐石ばんじゃくにするがために……そなたの跡目を、つつがなく太郎丸が引き継ぐために……時代錯誤の剣術なぞに精を入れるより、湯島の学問所を目指す方が得策だと申しておるのじゃッ。そなたは、かような母の心がわからぬのかッ」

   そして、いきどおらせるがままに激しく張り上げていた声を急に落とし、今度は唸るようにつぶやいた。
「——そもそも、そなたの妻女が『不浄役人』の娘であらねば、こないなことを云わずとも済んだやもしれぬのに……」

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